2017年3月22日水曜日

どるふぃんおかえり


湖から離れられない男もいる。
ぼくはヘタクソだったけれど、今思えば違うやり方があったのかもしれないけれど、結果的には本来収まるべきところに収まったからめでたしだよな、と思うこととする。

「愛は永遠です。変わるのは人間ですよ。」
『ピエドラ川のほとりで私は泣いた』パウロ・コエーリョより
変わるところにあったのは他でもないぼくだったのだろう。

光がまわりに多い。いや、強い?
その光がまるでぼくに当たっているような気になることもある。
逆に光が輝けば輝くほど、闇が際立つこともある。
どんなに奮闘しようとも、frontierしか存在は認識されない、もしくは軽視されるのが常。小判鮫か何かだと思っている人も少なからずいるだろう。不当な態度や扱いを受けると主婦一揆起こしたくなることもある。
ぼくはぼくの誇りをもってやっている。
精神は店のおかげで自立した。
とるに足らない程度に二番手の憂鬱というやつもなくはない。
よきも悪きも幸せの沸点が高くない。生きているだけで奇跡だから。
夢はすでにいくつか叶えている。頭を下げずに好きなことで稼げている。しかし、人間、幸か不幸か立ち止まってはいられない。
元々担げもしなかったカヌーが夏の確かな糧となり、暮らしの中に農を取り入れ、旅ではなく暮らしに埋もれたくなり、憧れの平屋に出会い快適な住処を得て、何にも気にせず燻製の腕を磨けるようになり、新たな刺激を得るため山へも向かい、趣味でもなんでもなかったケーキをつくれるようになるため必死になり、責任の狭間に泣き、自分だけのコーヒーを公にすることにして、冬も夏も稼ぎの手段にしたら舌はブレが少なくなり、繁忙期には助っ人がどこからともなく現れてくれて共働し、たまに確認したくなってアホみたいな新聞を書いて生きた証とし、特定少数の心に届けて、
さて、これから。
何にのめりこんでいくのか。いけるか。ここから。ようやくサビに入るところかなあ。

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