2017年8月15日火曜日

涼しすぎたお盆

三夏目のスーパー店番助っ人、帰京。
終わりも見えてきたような来ないような毎日。
できることをできる人が…、ということで、野郎5人、助け合っていきたい。


信号機カヌーガイド戦隊。
PFD
赤&青:ロータスデザイン(今や幻の製品)
黄:ストールクイストのディセント。

雨のマント。雨具。
赤:ファイントラック/エバーブレスバリオ size:M
黄:mont-bell/ストームクルーザー
青:ファイントラック/エバーブレスフォトン

使用感については各色…各人にお尋ねあれ。

2017年8月12日土曜日

雨の作戦会議

久々、しっかり雨。太陽、思いっきり浴びたいなあ。
風はなし。よし、雨天決行。


良い日に当たった、とある家族の朝カヌー。

今日をただ乗り切るだけでなく、先を見据えながら。
行き止まる前に動き出せ。
誰でもできることにしがみつくのは誰かに任せて、ぼくらは先に行こう。
まだまだ発展途上。型なんて、枠なんて、らしさなんて、何にもなかった。
過去にも今にも執着しない。
そういう軽やかなスタンス、やっぱ、好き。

「とどまること知らない時の中で」である。
goodmanになりたい。なるために。いつもツアーが育ててくれてきて、それはきっとこれからも変わらない。
ずっと、Sotocafeがあって、諦めかけた千歳川がようやく今春、モノになって。

知識というか技術というか経験というか、佇まいで、成立するツアーへ。
何の演出もなく、淡々と。何でもないように。ただ、暗くなるまで一緒の時間を過ごして。不自然を一切排除して。
つまり、愛する家族と良き日にカヌーに乗るときのような、あの感じ。(‥安達茉莉子節か!)
ぼくがつくりたいものは、ただただ、際限なく、やさしい時間。

2017年8月11日金曜日

ツアー後の拍手

毎日毎日、一日五回転のツアーが続く。一日が伸び~る8月。

あっちもこっちもやると、色々思う。
あの人と、この人と。一緒に動くガイドが変われば、これまた色々思う。
よきも悪きも、ぼくらの関係性がツアーには滲み出る。
良いツアーは良い人、良い関係性からのみ生まれる。
陸地で構築できていないことは、水の上で表現できない。

毎日を丁寧に重ねたい。ただ安易に「重ねる」のでなく、惰性で回すでもなく、誰でもない自分で考え、動き、少しずつ、着実に積み重ねていきたいと切に思う。
何のためって、良いものをつくりたい。
良いものはすべてを気持ち良くするはずだから。
思いっきり気持ち良くなってもらいたい。
お客さん。人。自分。職場。この地球を。

夏以外のソロ活動では自分の思い描くイメージを表現できるようになってきた。
しかし、夏といえばユニット活動。苦手な大人数が相手、つまり、チームプレイが肝。

コミュニケーションの取り方にマニュアルはない。ただ、コミュニケーションはひとりでは構築できない。一人で思い描いても、伝わり合わなければ何にもならない。
ぼくは会話がしたい。対話がしたい。何事にも、真正面から向き合いたい。深いのが好きだから、ぼくは支笏湖に来たのかもしれない。
お互いがどこまで共通認識を持てるか。歩み寄れるか。その気があるか。
一方通行ではたどり着けない、ソロ活動とはまた異なった世界の色を見たい。
あと10日。今年はようやく陸から水の上に戻ってこられた嬉しい二年振りの夏。
自由になれる水の上で新たな手応えを得られるだろうか。試される夏。

「良いツアー」はお客さんの感覚とは別次元にそれぞれが持っている。
ツアー後の締めをしたら、お客さんが拍手をしてくれたという。
ぼくらの自己満尺度とはまた違うベクトルの客観評価をいただいたわけだ。
「素直に嬉しいよね」って、ほーりーとくっちゃべりながら片付け。
何でもない1シーンだけれど、嬉しいことを一緒に嬉しいって、喜びを共有できるのは実は当たり前なことではなく、とても貴重尚且つ有り難いことなのかもしれない。

先日のお休みは、
お金を稼ぐために、遊んだ。なんて健全だろう。ブルーベリー収穫。


 いや、遊びを仕事にするのか?どちらから始まるのだろう。



物語はいつだって、「好き」から始まるんだ。
これが、誰かを笑顔にするブルーベリーマフィンになるのだ。

2017年8月8日火曜日

朝カヌーと夏の助っ人と現場適応力と癒しのSotoCafe

今年も夏の助っ人がやって来た。人が集える店があるって素晴らしい。
疲れているときこそありがたい。
カンフル剤のような来客。いつもありがとう。


とある日の朝カヌーの一コマ。親子タンデム。
カヌーはコミュニケーションが何より大事。水との対話。人との対話。
ぼくはあらゆるもの・こと・人と、腰を据えてじっくりと対話がしたい。

2017年8月6日日曜日

秋の夕暮れと階段


珍しくここ数日、今までにないくらいファミリーカヌーづいていて。場数がとりあえず足りていないのはひとつ。
努力も大事だけれど、向き不向き、得意や特性、興味のあるなし、センスというのはやはり無視できない代物で。
やはり、オレが味わってほしい世界観は短時間の、しかも夏の時期には間違っても表現できない、というか、一切必要とされないものなのだよなあ、と寂しく現実を受け入れようと試みていた今日この頃。

しかし、その必要はないぞと神は支笏湖に使いを送ってきた。
朝、毎年の恒例行事としてファミリーカヌーに来てくれるご家族登場。かつて、珍しくファミリーカヌーに出たときに当たったレアな常連さん。
腐りかけていたぼくを拾う神が現れた。これでいいのだ。
うまくまとまらない、まとめないツアーもたまには良し。

ファミリーカヌーツアーの期待の星と今日は三回転。似合う似合わないは大事。個性とツアーの色のマッチング。
午後からは急に晴れ間が差したので、がきんちょたちを水の中へ引きずりこむ。
季節はまず、夕方から動く。夕方は既に秋色。
夕方から店の階段づくり。19時半は暗くなった。


2017年8月5日土曜日

「おまえには愛はあるのか?」byガガガSP

いつの間にか、誰もいなかったとっておきの楽園は、ぼくが生まれた街に成り下がった。成り代わった、に訂正しておく。
知佑じいさんは、「この国には自由がないけれど、水の上には自由がある。自由があるのは水の上だけだ」と言ったけれど。
じいさん、活字の海から手を差し伸べた救世主よ。
これからぼくはどこで呼吸をすればいいんだい。誰もいない場所にたどり着いたと思ったのに。


モラルはどこをさまよい、良識はどこに沈んだのか。
向いている方向、守りたいものは何。
同じものを見て美しいと感じ合っている仲間であるはず。余計にやるせない。
美しさを換金化して暮らす意味は。重みは。ぼくらも同罪か?
いつも寄り添ってくれてきた場所、水。cheapな姿。美しい人、美しいところだけ見たいと思うのは薄情だろうか。

言ってはいけないこと、言っていいこと。言っといた方がいいこと。大人の世界にはいろいろある。くだらない。くだらないけれど、けれど、である。しかし、くだらない。素直なままではしかし、うまく生きてはいけない世の中。

愛する努力をしてまで愛しようと試みたところで、既に不自然だよなあ、と思いつつ、愛せないと苦しくなるのは自分である。または思考を停止してしまえばいいのか。どちらもナンセンスにしてネガティブ極まりない解決策。開けるのか、ゴマ?
しかし、好きになろうとした人を好きになれた試しはない。恋に落ちるのはいつも一瞬。最初からそんなんは分かる。

やりたいことしかやらず、我儘を通してやってきたけれど、やりたくないことをやってみることで得るものも何かあるのかもしれない。やったことのないことは試してみる価値があるはずだ。
たった数日の話だけれど、今のところは犠牲にするものの方が勝っている。
何をしているのだろう。珍しく自己嫌悪のため息も出る。何のためにカヌーに乗っているのだろう。つくりたいものはもう分かっているし、つくるための方法も分かっている。いくつになっても、自分の心はお高いまま。
一日ずつ、試される自分。
思うこと、感じることは多く、アウトプットが追いつかない。今までの夏とはまた毛色の違う、何だか少々不気味な色が混ざっている。

2017年8月4日金曜日

風立ちファミリーカヌー

さすがに夏。毎日どたばたしています。
どうしたらいいかな?こうしたら?それよりも‥。
あれこれみんなで考えながら、その都度移り変わる状況に応じて的確な判断を下し動く。思考が冴える真夏。


午前、3ガイド体制でファミリーカヌーツアー。
自分のツアーにしていない、なっていない「ファミリーカヌーツアー」の到達点について探る今日この頃。
家族っていいなあ。家族って良いのか?家族って何だろう。
まあ、そんなことを思う隙のない賑やかなカヌーツアーも夏ならでは。