2013年10月30日水曜日

脱線が本線?北海道随一のテーマパーク「秀岳荘白石店」

こんなはずじゃなかった。


ども、久々登場。ナチュラリストぶりっこの散財物欲王子です。

常日頃からシンプルに生きたいと願いながらも、科学技術の粋を結集した工業製品にまみれて外に出ることに喜びを感じてしまうぼくがいる。
世の中もぼくも、ちんぷんかんぷんである。

宮崎駿氏は、戦争反対なんて言っておきながらも、戦闘機オタク。そこと向き合ったのが「風立ちぬ」。
人は誰しも矛盾を抱えていて、それが「人間臭さ」や「人間らしさ」となり、魅力的な作品を生み出す元となっている。

例えば、カヌーで川下りをする場合。スタート地点までカヌーを運ぶには車が必要。
その車を動かすには天ぷら油で動く車もあるけれど、一般的には石油が必要で、エネルギー戦争による善良なる犠牲者はこの地球上に数知れず。
ぼくが積極的に車を持つことができずに燃費の良いカブでどうにかしのいでいるのも、ナチュラリズムに反することに目をつぶれずにいるから。
自分のものではないさまざまな車や人の世話には散々なって各地で宝物を見つけておきながら、‥何とも都合の良い話である。
甘ったれの自身、一番分かっていながら目をつぶってきて今日まで来ているのです。

そんなわけだから、それでもやるのであれば、ぼくらは覚悟を持って目を見開き、一生懸命に漕ぐべき、漕がないとならないのだと個人的には思う。
漕ぐことは即ち生きること。

3.11は、生の意味を問う手厳しい試験官だった。
多くの痛みが生まれ続けている中で、その痛みを和らげる行動が自分にもできることを知りながら、それをすればぼく自身も楽になることも分かっていながらそれでもぼくはカヌーを漕ぐために未知なる支笏湖へ被災地を飛び越えて向かった。
カヌーがあろうとなかろうと、人の生死には関係ない。なくても誰も困らない仕事を、あったら誰もが感謝する仕事よりも優先した。
カヌーは、「生きてて良かった」という感覚を思い出してもらえる可能性があって、それは今の時代にとっても大事なタイムマシンみたいな存在だと思う。

どうせやるなら、本気でないと。本気でないと、志半ばで散った悲しみたちに立つ瀬がない。

多くの悲しみや痛みの上にカヌーがある。それはカヌーに限らず衣食住、暮らし、生きること全般にいえるわけで。

ぼくらの笑顔はどこかの誰かの苦しみにつながっていることを知りながら、それでもぼくらは笑うのだ。
でも、できるならばなるだけ悲しみの少ないところに足場を置きたい。ベストは不可能だとしてもベターな選択を。これはぼくのエゴ。誰も傷つけないことは無理だと分かっても、痛みは最小限に食い止めて暮らしたい。

生きること。暮らすこと。愛すること。丁寧につくっていきたい。



何で漕ぐのか、何でガイドなのか、‥この頃、単純な質問を自分に投げかけ続けて自分を試している。

‥は、うっかり脱線してしまった。タイトルに戻らなければ。

アウトドアはお金がかからないなんて、真っ赤な嘘やでー。参った参った!



すべては秀岳荘のせいだ。いや、秀岳荘様のおかげです。


いつも人任せだった秀岳荘バッグをついに購入。うぐいす色?新色らしいよ。

我ながら買いっぷりの潔さに惚れ惚れする。値札もう少し見てよと、会計時にやっちまった感を出してみたりする。
お金の使い方、扱いの面倒臭さ‥、すべては親譲りということにしてしまおう。そう、それらは断じてぼくのせいではなく、血筋なのだ。

試さないことには語れない。道具について語りたいならば、投資せねば。

「自己投資を怠るな。」

これは矢吹全氏の教え。

どかっどどどんどん。人もお金も何事も、執着せずに愛するがよろし。それがなかなかどうして難しいのだけれど。


今日の燃料、君がくれたコーヒー。インスタントラーメン。

恵庭岳に登ったあの日を境に、食べる行為が面倒臭くなってしまっていて、今もそれが継続中。食べることが好きなぼくにはとっても珍しいことだ。
考えたいことが多すぎて、食べる時間が勿体ない。
うーむ。とりあえず、空っぽだった冷蔵庫に、最強発酵コンビである有機納豆と支笏原水仕込みの無添加味噌を突っ込んだから復活は近いはずだ。
夏終わりから玄米切らしているからかなあ。

SPGM5~歴舟川 私を海まで連れてって the movie

一緒にユーコン気分を少しおすそ分けできたなら嬉しい。


遊びすぎて時間が足りず後半はフィーリングカップル方式の豪華タンデムとなった。
ガイドは北米でのガイドツアーも行っている然別湖のボレアルフォレスト・阿久澤氏。
飛んでいるのはオジロワシ?いやいや、ハクトウワシに見えてきた。
ここはどこだ?日本?

いやいや、ユーコンだ。

いつかいつかの北米河川への夢膨らますカヌー乗り。


2013年10月29日火曜日

尊敬している友だちと牛乳豆腐と「夜這いの民俗学」

今年の11月に結婚するかずやが大切な仕事仲間をぼくに託してくれた。


 「あいつに会えば、何か変わるから」って言われた?
おいおいおい、ハードル高いんでないの。まあいいか、期待も予想もひょいと飛び越えてトリップしよう。
ここはぼくの庭。


彼女は終始、ぼくの友人を褒めちぎっていて、まるで自分事のようでくすぐったかった。
やつが職場でどんな顔をしているのかぼくは知らないけれど、やつはやつの場所でたしかなものをしっかりと積み重ねているようで安心した。

さすが、オレの友だち。
尊敬できない人と、ぼくは友だちを続けることができない。

さて、彼女は突然吹かれたしゃぼん玉に何を感じたろうか。この色を日常に持ち帰ってどんな色に代えていくのだろう。
面白い化学反応が起こったなら嬉しい。


午後は、二年ぶりの再会。

遠軽→中頓別(2011年11月18日てやんday)
最後の晩餐@中頓別(2011年11月20日てやんday)
「夜這いの民俗学」(2011年11月23日てやんday)





二年前。今よりもっともっとあほだった頃。いろんな暮らしを見せてもらった。



少ないなりに、北国での思い出がぼくにもちゃんとあるんだね。


風が吹くと、雪のように枯葉が舞った。晩秋。燃焼し尽くした命たちが揺れるよ。
なんて美しいのだろう。

風もいいもんだ。


「またおいで。」


また行きたい場所は、また会いたい笑顔たち。


ああ、ぼくは、ちゃんちゃん焼きが食べたいよ。



SPGM4~歴舟川原Cafeの唄

10/23、歴舟川の昼下がり。


ぎゅうぎゅう詰めの街中弱い者いじめチェーン店で肩を寄せ合ってひそひそ話も嫌いじゃない。

でもね、服装とか髪型とか人目とか‥、どうでもいいことはひとつ残らず投げ去って、なんにも気にせず大きな声で馬鹿みたいに笑っていたい。

お腹がすいたら、お昼だよ。時間ではなく、心のままに動くがよろし。

日暮れ前に着く気がしない、そんなことはみんな最初から分かっていたくせに、大根役者たちは困ったフリをしてみたりする。

「ちゃんと下らねば。」と、一番ちゃんと下る気のない人が説得力のない言葉を吐く。


片手にロールケーキ 6人ぼっちの川原Cafe 数十分後には 夢のあと。


脳内歴舟川サウンドが音を変え、ぼくの日常で鳴っている。
歴舟川に行く前のぼく、さようなら。新しい未知が、未知なる自分を引っ張り出す。

拝啓 歴舟川さま
遊んでくれてありがとう。また行くね。こわかったけれど、死ぬほど美しかった。生きてて良かったと、また思えたよ。

カヌーにも忘れずに‥いつも面倒臭いぼくと一緒にいてくれてありがとう。

川よりもカヌーよりも、一緒に漕いでくれたみんなに、とっておきのありがとう。

hands shake また明日。
hands shake 夢と現実を、君も明日も「大切」を全部ひっくるめ手 つないでいけ。






2013年10月28日月曜日

さっぽろ湖×カヌーLife Native

本日のかのあブログ

休みなので、‥カヌーを漕ごう。

Pちゃんこと工藤貴明代表のかわいいHP→カヌーLife Native


支笏湖北西側は朝から夕方色。晩秋というのかな、いい季節やないかーい


紅葉×雪。

札幌近郊の観光地、「定山渓」。実は初めてでして。
なんとなーく、栃木っぽいような。


道中紅葉祭り。未知なる水への好奇心。浮足立つ車内。



Nativeツアー集合場所である「八剣山果樹園」。
おはようございまーす。



 ‥って、ええええ~!男前豆腐もびっくりの男前山が後ろにそびえていました。
こりゃそそられる。

そこから移動して、札幌っ子の水がめであるさっぽろ湖へ。


ナイスタイミーン!完璧なるベタ凪。


右手にはパドル。左手には君がくれたコーヒー。


くちびる山や。(然別湖)


‥いいなあ。



心が動けば動くほど、言葉はどんど、薄っぺらくなり、苦笑い。

自分の心を完全につかまえることなんて、誰かの心を掴むことなんてできないけれど、
一緒に漕いでいれば、何か、何となく、その人が何を大事にしているか、手に取るように分かる気がする。


“カヌーとは、ルーレット。いつどこで誰と乗る事になるか分からないルーレット。”
by はからめ・匠さん



いい顔するんだから。






ここさっぽろ湖で、どんな物語が生まれていくのだろう。





世界一のコーヒーと手作りスコーン、ごっつあんです。


2013年10月27日日曜日

SBB(しゃぼん部)秋活@ベンベ沼

同日の【かのあブログ】。

SBBって?


え?知らないの?

「しゃ(S)ぼ(B)ん部(B)」でしょう。

健全なる大人の部活動、水面下で‥いやまあぼくらは水上にいるのですが。
密かに盛り上がってきております。


 カヌーとしゃぼん玉は、世界平和への近道ではないか、と。
どちらも素晴らしいコミュニケーションツール。

大切な人と、漕ぎたい。大切な人と、吹きたい。



千歳も札幌も雨だったけれど、支笏は快晴。


風が吹いたら、葉っぱが舞った。
葉っぱを捕まえようと、今度はぼくらが舞った。


ねえ、ここは、とってもいいところ。


SPGM3~波待ちの列

10/23歴舟川の素晴らしい夕方。



切り込み隊長・せーじさんの背中は何語る?

サーフィンをやったことはないけれど、同じような感じなのだろう。攻め気のカヌー乗りたちも、一艇ずつ瀬で遊ぶ。
列が途絶えるときは、イコール日暮れ時。

沈(「ちん」。転覆)したって構わない。もっと動くだろう?カヌー。もっと動かせるだろう?俺。

まだできるはず。もっともっとできるはず。己の可能性を信じて疑わない人ほど、沈をする。

「俺はこんなもんだ」?限界を決めたなら成長はない。
自意識過剰でちょうどいいだろうと、誰に何を言われても変わらずに思っている。


漕ぎ方の土台には、生き方。ふたつはひとつ。
どう漕ぎたいかは、どう生きたいか。
漕ぎ方を追求していけば、陸地でもどうにか生きていける気がする。

激しく、優しく。美しい緩急。






2013年10月26日土曜日

支笏の紅葉トンネル

昨日、千歳に「ただいま」をして、今日、支笏に「ただいま」と伝えた。


雨にも耐えた紅葉たちが健気に「おかえり」と迎えてくれた。

‥なんでい支笏、珍しくもいじらしいではありませんか。
そうかそうか、寂しかったのか。秋は浮気ばかりでごめんよ。

みんなちがって、みんないいのだ。ともすけ。


水上紅葉Cafeもありかな、と。まむりぞーと。



漕ぐ。たった一言で表現できてしまうけれど、漕ぎ方は千差万別。

自分はいかに漕ぎたいのか。むいこたん。




生きる。たった一言だけれど、生き方だって千差万別。

みんなちがって、君はもちろん、ぼくもいい。


大切なことほど、たいした理由なんてないのかもしれない。

漕ぐのが、好きなだけ。生きるのが、好きなだけ。君が、好きなだけ。かんば。

なんてね。




青空のお出まし。きれいだ。




夕方色。いやれっくす。

おふざけしたいお年頃ーりんぐすとーん。

※じょうこうさん曰く‥「ローリングストーンには職業や住まいを転々とする人は成功できないという意味だけじゃなく活動的にいつも動き回っている人は能力を錆びつかせないという意味があるらしい。」


SPGM2~歴舟川のコーヒー10/23

10/22の深夜と言うか10/23の早朝、naokiさんと真っ暗闇の集合場所にたどり着いたら、北の釣り吉が仮眠をしていた。

どこに何があるのか分からぬままに、まずは黄色いテントを張って、わかめだしの効いた梅酒に舌鼓を打ちつつ、2時半ごろ就寝。


ここはどこ?
太陽に起こされ、小さなテントのチャックを慌てながら開ける瞬間には、何とも言えぬ喜びがある。目の前には大抵、美しい未知なる景色が拡がっている。

そんなわけで、カムイコタンキャンプ場の朝。雨に降られるのがSPGM企画の常のはずだが、‥いい天気になりそうな、いい朝ではありませんか。


「コーヒー飲むかい?」




CAMEL】のりょーくんが、コーヒーを淹れてくれた。

家では紅茶なのだが、外でのいい朝には、いいコーヒーが必要だ。

世界一のコーヒーは自分ではつくりだせないということを今年、学んだ。
「世界一のコーヒー」は、顔の見えるあなたがぼくに(も)淹れてくれるコーヒー。

自分のために淹れるコーヒーと、誰かのために(も)淹れるコーヒー。
ひとりで飲むコーヒー、愛する人と飲むコーヒー。同じ豆でも、同じ淹れ方でも、大違い。
誰と飲んだコーヒーが世界一か知っているのは、舌‥ではなく、心。

コーヒーが教えてくれる人生哲学なのであーるぐれい。





2013年10月25日金曜日

第三回SPGM@歴舟川からの紅葉ピーク糠平川

ただいまー!
思いのほか家出が長引いておりましたが、本日無事、千歳着。

年に一度のハチャメチャイベント、Single Paddle Guide Meeting@歴舟川。


素晴らしい景色の中でカヌーを漕いでいる間にどうやらぼく、26歳になっていたようです。



好きな人の誕生日は大事だけれど、自分の誕生日なんてのはどうでもいい。どうでもいいことは口にも出ない。

今年も美しい川で、すごいと思える魅力的な人たちと一緒にいられた。

それ以上他に何がいるだろう。


水を得た魚たちは素直に川を下るはずもなく、ひたすらに上流を向く。予定はあってないようなものであるらしく、日暮れまであーだこーだと漕ぎ合っている。

一日目、二日目。
漕ぐ場所や水量や天気。一緒に漕ぐ人で、雰囲気はがらりと変わる。

二日間の歴舟川を堪能した後は、額平川おかわり組に便乗。


時期も相まって、とても気持ちの良い川だった。
美しい場所が、いずれダムで消されてしまうという。

美しいと感じるのはヒト。美しさをぶち壊すのもヒト。どっちのヒトでありたいか。


北海道版天空の湖・然別湖の【ボレアルフォレスト】/ごあさん。
カヌー乗りの笑顔は、水の上、カヌーの上によく映える。




2013年10月22日火曜日

湖の真ん中カミングアウト

朝一。naokiさんを空港へ見送り。

本日、秋晴れ。明後日からは雨らしいから、今日・明日が支笏の紅葉ピークだろう。
紅葉はぼくらよりずっとデリケートだ。

久々、朝凪。ナイスコンディションは10月三回目くらいかな。


のんびりと漕ぎ進み、風もないので沖へ出た。


沖へ漕ぎ出しゆったりしていると、今回お二人が支笏湖でのカヌー目当てで北海道へ来たその理由を教えてもらった。

ふむふむ、なるほど、そうでしたか~。にたにた顔増量中。
このタイミングで話してくれるあたりがニクいではありませんか。



美しいものは、独占するよりも大切な人と分け合いたい。


クリス曰く、
「HAPPINESS ONLY REAL WHEN SHARE.」(映画「into the wild」)




訳)幸せは分かち合った時にだけ現実となる。

ぼくの根っこもそこにある。


去年ツアーに参加してくれたとあるお客さまは、街中で支笏湖やカヌーや季節や水や‥あれこれの素晴らしさをぼくらの代わりに唄ってくれていたのだ。

それがあって、目の前に気持ちの良い笑顔がある。

嬉しいなあ。
去年の超問題児、いい仕事ひとつはしたじゃない。

どんど、世界 狭くなっていけ。


さ、今夜は東京日帰り出張のnaokiさんと落ち合ったなら、ずんずか東へ向かうよ。



2013年10月21日月曜日

秋の美々川

カッコ良い写真は、【かのあブログ「勇払原野の原始河川」】にて。


夢の中でもツアーをこなし、遅く起きた朝。
今日が誕生日の友だちに手紙を書いた。
ネットで「おめでとう」なんて言いたくないし、言われたくもない。
電話で「おめでとう」と生声を届けるか、なんて思ったのだけれど、なんだかそれも親指ひとつで気軽すぎやしないか、と。

顔と顔を付き合わせるのが「人付き合い」。それ以外のやりとりはいくら頻繁でもぼくはノーカンだと思うようにしている。

FB、ツイッター、LINE‥
便利な時代だけれど、使いこなしても振り回されてはいけない。
そこに拡がるのは真実に限りなく近い虚構。フィクションとノンフィクションとの境を曖昧にしてはいけない。二つは別物であり、ぼくが欲しいのは真実だけ。

100人からの「いいね!」より、たったひとりのあなたの笑顔がぼくにはいっとう大切。

ぼくは、ちゃんとあなたのことを知りたい、なるだけ手渡しで伝えたい。
ぼくは、ちゃんとぼくのことも知ってもらいたい。

会いに行く。会いに来て。
本当のあなたもぼくも、たったひとりずつしかいないんだ。

本当に大切なことをぼくはいつも書かない。


手紙は別物。手間がかかる。つまり、信頼できる。


そうこうしていると、naokiさんから川へのお誘い。
行かないはずがない。

急いでコーヒーを挽いて、Gorikon片手に出発。

この前のベンベ沼ほどではないけれど、まあまあそれなりのものは撮れたかなあ。
さてさてとSDカードを取り出そうとしたら、衝撃の事実。


なんてこった。SDカードが入っていない。

というわけで、今夜のかのあブログに期待!

2013年10月20日日曜日

「何となく」の真実

予報を裏切る雨スタート。
どんよりというか、なんというか、なんだか、なんていえばいいのか分からないけれど、妙な天気。
穏やかではあるのだけれど、いつひっくり返るか知れない恐ろしさがチラついて、何となく、気が気でないガイド、沖ばかり見やる。


「何となく」は、意外と馬鹿にできない。
予報とか風向きとか、季節とか気圧とか‥そういうデータではないところ。
「直感」とか「第六感」とか「五感」とか「本能」とか言うのだろう。

毎日漕ぐことでぼくが手繰り寄せようとしているのは、「生命力」。
街にいると、無用の長物。

かつて、単なる生物ヒトだったころの記憶をありありと思い出すための近道が「カヌー」なのだろう。

ぼくらには時間がない。
(ぼくら=退化した生物ヒト)

「恐い」。肌感覚に素直に従う。
「恐い」。とても大切な感覚。




目に優しいマイルドな紅葉が続いております。

午後写真は撮り忘れてしまいました。