2015年3月31日火曜日

おひねり制アナログ紙『まちゅ★ぴちゅ』17


今年はお休みかなあと思いきや、見開きにて、整いました!


内容は、完全に秘密とします。

気になる方、早く読みたい方は、ご一報&催促してくださいまし

lake.abelake@gmail.com

2015年3月30日月曜日

4/12は北海道知事選挙だよ


先日の安平山にて、真っ先に春を告げるフクジュソウに歓待された。




さて、今週日曜日は選挙です。

わたしの一票なんて意味ないし。忙しいし。

その気持ち、分かります、分かります。

でもね、できることはしておかないと文句が言えなくなるからさ。






2015年3月28日土曜日

はじめての千歳川取材


ゆっくり亀足更新だよ。てやんday。




ちょっとツアーに関して、昨日の居酒屋で喋りながら心の内で密かになるほどな、と唸った話をさせて。

なんだか、いつからか分からないけれど、いつの間にか少し、器用になってきてしまっていて、楽になってきてしまって、省エネモードでこなせるようになってしまっていて、
例えば、それまで120%で全力投球していたのが、80%でも同じ結果が残せるようになってきて、
大人になるってそういうことなんだろうなと分かってはいても、そんな自分に嫌悪感を抱かずにはいれなくて。誰よりも不器用なはずのぼくなのに。

勿論、余裕を残しておけば、そのゆとりがのんびりとした空気感をつくれたり、緩急をつけられるようになったり、いいことだって沢山あるのだけれど、引き出しが増えてきたせいかおかげで、「想定外」な物語が生まれる機会は確実に減っていくわけで。
ハプニングを求めるわけではないけれど、自分の手の内でいろんなことが収まってしまう(そうなりたいと頑張っていたのだけれど)ことに、物足りなさを感じないわけではなくて。

振り回されたいのか、弄ばれたいのか、その根っこには何があるのか分からないけれど。

そういった、なんだか不完全燃焼な思いを満たしてくれたのが、去年の「畑」だったのかもしれない。



 「初心忘れべからず」。

今年は千歳川のおかげで、かのあ始動時のような、先の読めない新しい感動を味わえています。



「はじめて」ってこわい。けれど、このドキドキに、このワクワクには抗い難い。





颯爽と流れ行く赤いカヌーに見惚れるカメラ艇。


2015年。この川に泣かされ、この川で大いに笑うのだ。


2015年3月26日木曜日

春から冬へ ~一度も開かぬ道の駅~


かのあブログに追いつけない。てやんday。 何日か前の道北大移動編。



「ついにこの時期がやって来たな!」と行きのハイエース車内でnaokiさん。

去年の春は、新潟までカヌーを迎えに行ったよね~とか昔をほんの数分懐かしみ、
あとはこれから始まるワクワクプロジェクトのイメージを冗談を交じえつつ、膨らませていく。
ちょこちょこと脱線しつつ止まらない会話。

「仕事は選ぶんじゃなくてつくるもんだ」と、いつかnaokiさんが言ったことがある。
大滝の大魔神にその話をしたら、「マツさんらしいね」と笑った。

クリエイティブなnaokiさんといると、ぼくの中のちんちくりんクリエイティブが喜ぶのがよく分かる。
ピンポイントでそこまで刺激してくれる人はそういない。なんていうか、多分かゆいところに手が届くというか、よく分からないが、そういうことなんだろうなあ。


千歳はもう春だけれど、道北はまだ冬で、油断した僕は寒くてなかなか寝付けなかった。
さ、さすが道北!ぼかあ、南国暮らしみたいなもんだよなあ。


いつか、椎名誠さんがこのようなことを書いていた。
どこかから、街に戻ると、慣れるのに時間がかかる。なんでこんなに疲れるのかと思ったら、
‥そうか、自然がつくる線はまあるいから目に優しいけれど、人がつくる線は不自然なほどに直線だから疲れるんだ、と。

なるほどなるほど、どうりで確かにそうだよなあと、いつかのぼくも合点がいった。

そんなわけで(?)、一日、まあるく、し続けました。



木にまみれ、試行錯誤を繰り返しながら。


不器用なぼくにもできる大事な工程がありました。


2015年3月23日月曜日

世界のほーりー2015&千歳川マーキング月間


先日。

朝起きたら、天気が良かった。

どうして、天気がいいとこうも心が弾むのだろう。
我ながら子どもみたいだと呆れつつ、その日の予定をその日に決める。
足元の花の一生懸命な美しさに感動しておきながら、結局、ぼくはといえば限定的とはいえ相変わらずだ。

頭の中はいつもぐちゃぐちゃだけれど、心はいつも、潔くシンプル。

たった一点だけに向かう。


じっとしていられなくて、行きたい場所は分かっていて。



ああ、非常識なのは百も承知だけれど、なんせ、天気がいいからさ。

もしかして今日空いていたりしないかなあ?



あ、もしもし、ほーりー?お久しぶりです、春も来たし、そろそろカヌー、一発いきませんか?今ならサケの稚魚がいっぱい見れるんですよ。


冬の間に積もり積もった、大事なことからどうでもいい笑い話まで、話は尽きずに、川の上から締めのラーメンまで一日一緒にお付き合いさせてしまいましたとさ。







2015年3月21日土曜日

俺の中の小さな山男

ここ数日、久しぶりに本当にゆっくりと養生させてもらっている。
風邪かと思いきや+花粉症の疑いが出てきた今春。シラカバにはちと早いからハンノキ花粉やもしれんとドクターは言った。

近場のローカルスキー場がどんどんクローズしていくことで冬の終わりを嫌でも実感させられる時期。
窓から見える降りしきる雪に怯えつつ(仕事的には過酷さが増すので複雑)、華麗に滑る自分を想像して興奮していた日々は遠い過去。


季節はもう、春ですよ!

ぼくの中の小さな山男の目覚めが今年は早い。むずむずうずうず、もっと考えないといけない大事な事が山ほどあるのだけれど。



なつきーちに証拠写真。てっぺん間違えて折り返しちゃったどー!

そんなわけで、短い短い緑の季節に備えて、2015一発目は、なかなか縁遠い安平山。安心?平穏?いい名前だ。

今年の願望としましては、ミーハー魂全開で恐縮だが、山の懐に抱かれたい、どうにかこうにか、緑の時期の旭岳にいけますように。
あとは、近場の山をちまちまと、コンスタントに歩きながら、これからの未来予想図をどどんと描いてやろうと思います。
足るを知りすぎている今。程よく、貪欲にもならないとこの世界ではやっていけないのだろう。

脱思春期、愛より速く、駆け上がるのだ、大人の階段。


春は宴、呑みや、唄えや、笑いましょう。

2015年3月19日木曜日

摩訶不思議な美々川の魅力

千歳川の次に身近なる川、美々川(びびがわ)。



いつも言っているけれど、ぼくの中での様々な価値基準は、「また○○したいか」。

また会いたい人、また漕ぎたい場所、また食べたいモノ‥そういうものにぼくは出会いたいといつも思っている。
何にでも反応するわけではない面倒くさい好奇心をピンポイントでくすぐられたい。


この川は、なんというか、本当に訳が分からない。
訳が分からなすぎてぼくは年に一、二度ここに足を運んでいる。

「また漕ぎたい」と思わせるナニカがここにも確かにあるわけだ。
そのナニカの掴めなさでいうと、この川はぼくにとっての世界一かもしれない。

この川のような人、たまにいる。分からなすぎて苛立ったりもするのだけれど、でも嫌いにはなりきれない‥というか。
決して目立つ人ではないし、でも、いつも端から二番目くらいに何でもないように当たり前のように居座っている。笑っているのか怒っているのかも分からないけれど、いつもいる。そんな人。





支笏湖も千歳川も水がきれいで、でもここ美々川の水は特別に透き通っているというわけでもないし、流れを楽しめるほどの流れもない。


それでもたまに、ここに来てしまう、摩訶不思議河川・美々川。








2015年3月18日水曜日

「冬もカヌーに乗れる幸せ」

氷濤まつり終了から一夜明けたら、水の上。

お客さまは、「おひねり制アナログ季刊紙まちゅ★ぴちゅ」読者様ということで、ぼくも出動。

ドキドキそわそわ、ぼくにとっては初めての大好きな千歳川でのツアーでした。


人生を全うしたサケを見、人生の幕を開けたばかりの稚魚を見、
はて、ぼくらは一体どっち側なのだろう。




天気がいいと唄いたくもなるよね。


サケ、オジロワシ、シカ、ヒト‥春の陽光に生命力が一層輝いておりました。





なんだろう。この川のそばに暮らしてこれた今までに感謝。これからもずっと、ぼくは君のそばにいたい。


2015年3月16日月曜日

氷濤まつり2015はカレーラーメンで閉幕


3月13日の金曜日。
去年の11月20日から始まったまつりが、ようやっと、終わりました。
ほんに、ありがとうございます。

飽きるくらいに濃厚な時間を共に過ごした氷濤マンたちともしばしの別れ。

…ってそこら中にいるやないかーい!

湖畔沿い歩けば氷濤マンに当たる。

ハイペースな日々の中には、事件も不満も笑いも何も、とにかくいろいろありました。
具沢山、頼んでもいないのにご飯までてんこ盛り。
多分、それが氷濤なのでしょう。

無理をさせ続けた身体からの抗議の声に耳を傾けることとします。

さらば、氷濤!!どうにか越えたぞ、いえい!!!

2015年3月11日水曜日

3.11から四年業


去年の今日、ここで紹介した言葉が相変わらずがつんと響くので再び引用。

瀬戸内寂聴さん曰く、 

きょうがもう最後だと思って、きょう食べたいものを食べて、飲みたいものを飲んで、会いたい人に会って、そして読みたい本を読んでください。 

台風も地震も、そして戦争だって、あしたにも始まっちゃうかもしれない、変な時代です。 
そんな不安な時代に本なんか読んでいられるかと思うかもしれませんが、不安な時代だから、明日がないから、きょうは本物の本を読みたいんです。 


『図書』(岩波書店)2014年1月号内、「これまでの100年、これからの100年」講演よ

四年前、ぼくは東京にいた。カブを入手したり、二度目の北上準備をしている頃だった。
確かだと信じきっていた地面か揺れに揺れて、悲しみや痛みが各地で量産される中、カヌーなんかやりに行く場合ではない、どこかもよく分からない支笏湖入りを止めよう、と思った。
地面も原発もぼくも、みんながみんな、ぐわんぐわんだった。

過程に何が起ころうが考えようが、結果として、
誰かの力になれる他にない機会をまるごと捨てて、こうしてぼくは、今も、ここにいる。

3.11。
漏れ続ける放射能と、生命の尊さを唄えなくなったうそつき国家。
何年経とうと変わらない、ぼくの業。

正しさとは何だろう。


ぼくはカヌーが嫌いではないけれど、何というか、非常に憎たらしい。いや、こうなったら嫌いなのかもしれない。
カヌーに載せるのが、コーヒーセットだけならどんなにか素晴らしいことだろう。



2015年3月9日月曜日

中原中也「春宵感懐」



雨が、あがつて、風が吹く。
雲が、流れる、月かくす。
みなさん、今夜は、春の宵。
なまあつたかい、風が吹く。

なんだか、深い、溜息が、
なんだかはるかな、幻想が、
湧くけど、それは、掴めない。
誰にも、それは、語れない。

誰にも、それは、語れない 
ことだけれども、それこそが、
いのちだらうぢゃないですか、 
けれども、それは、示かせない……

かくて、人間、ひとりびとり、
こころで感じて、顔見合せれば 
につこり笑ふといふほどの 
ことして、一生、過ぎるんですねえ


雨が、あがつて、風が吹く。
雲が、流れる、月かくす。
みなさん、今夜は、春の宵。
なまあつたかい、風が吹く。

2015年3月7日土曜日

支笏湖のベストシーズンはいつ?


よく聞かれるよな、と氷濤まつり解体作業の合間にて。



春紅葉って、知ってますか?
秋の紅葉は誰にでも分かりやすいから適当に返事するには最高だけれど、毎日支笏湖にいるぼくらが本当に感動しているのは春なのです。
淡く燃える、あどけない春紅葉。
観光船からもポロピナイからもカヌーからも、どこから見てもそれはそれは素晴らしいようです。

やっぱり、そうなんだね。カヌー馬鹿と目を合わす。

水と空はふたつでひとつ。どこまでが水?どこまでが空?
どこまでも水。どこまでも空。
ゆらゆらゆら、どちらの世界もつないでぼくらはカヌーで浮かんでいるの。ぼくらはカヌーで宙を飛ぶ。深さは高さ。夢が現実。思考が行動。思いが身体。笑顔に愛。君がぼく。
二つの世界をくっつける、なくても誰も死なない乗り物、カヌー。

浮いているの。浮かんでいるの。
どっちでもいいよ、そんなこと。

空と土は自転車。
冬の白と空をくっつけられる乗り物が多分、ボード。








春労働の唄


春を伝える三度目のベタ凪
そびえ立つ恵庭岳がぼくの富士
防寒ツナギは脱ぎ捨て 薄手の夏物へ衣替え
素晴らしきこの景色に皆 目もくれず 好天の中 冬の余韻を片付けていく
終わったまつりに引導を渡せ
冬は終わった 汗をかきかき動き回る
待ち時間には雪玉が飛び交う
妖精は宙を舞い 仲間に手を振る
身体に蓄積された疲労は色濃いはずだのに 笑い声は途絶えることを知らない

夏に向かって 日毎に伸びる日
明るいうちに家路につけるだけで妙に浮き足立ついい大人たち
いそいそとパチンコへ向かう者がある
いつもは呑まないお酒に手を伸ばす者もある
季節は春  酔っ払うなら陽気でnight
大人っていいもんだ

そわそわ ざわざわ 躍っているのか波立っているのか
賑やかな心の舵取りはいつまでたっても上達の兆しがないけれど 心の向かう先は いつも同じ 馬鹿のひとつ覚え そう 馬鹿は学ばない
誰の言葉よりどんな統計より何よりも 己の感度にこそ宿る生命
真実は心だけが知っている


春は平等に皆にやってくるから好きだと壇れいが言う

恵みの春が誰の心にも訪れることを願わん




2015年3月3日火曜日

解体初日


カヌーを漕ぎ、ボードで滑り、束の間の休みはあっけなく終了。
グリーンシーズンには駐車場となる氷濤会場。
氷が自然に解けるまで待っていられないので、本日より解体作業開始。
調子の悪そうな氷濤マンが一人、二人…。

追い立てられるような激動の日々は既に遠い過去。
アドレナリン全開期に比べると皆、まるで別人のよう。

体力だけでなく、心も本気で消耗するのが多分、本当のまつり…なのかもしれません。

さ、最後まで集中せねば。
怪我なく、事故なく、大過なく。