2017年12月11日月曜日

welcome、焙煎


夢中になると、本当にまわりが見えなくなる。
釣りの世界は足を踏み入れたらヤバそうだから、距離を保っている。

自分の癖は分かっているつもりだ。
焙煎も足を踏み入れたらヤバそうだから目をつぶってきた。

しかし、ついに、禁断の果実に手を伸ばしてしまった。


自分で焙煎したコーヒーを先日初めて飲んだ。
専門的にどうたらとかどうでもよく、感動的体験だった。

いつもなら、コーヒー豆を挽くところから始まる工程。
一手間足したら、面倒くさそう?

否。文字どおり「手ごたえ」を手の内に取り戻した喜びったらない。

時間を省くために回る世界は立ち行かないことは今の世界を見ていれば明らか。
後追い自殺などしたくないからぼくは時間をかけていきたい。

小難しいことをいったら手が出ない。
とりあえずやってみよう。

誰でもない自分が焙煎した豆を挽いて淹れる。豆を買い付けて仕入れるという行為以外はすべてぼくの手の内。
「淹れる」だけでは味わえない新しい味。
これは、なんてspecialな経験だろう。
コーヒー。やっぱり最高の嗜好品。



2017年12月7日木曜日

自己満で終わらぬよう


「店」についてよく考える。
店のあり方。雰囲気。方向性。
店員の佇まい。言動、振舞い。距離感のはかり方。
店に行くと考える。嫌な気持ちになるとこう感じさせてはならんのだと改めて思う。
さて、ぼくはどうか?誰もを歓待できているか?

シャッターが開いたのなら、「店」は誰にでも開かれる。
間口の広さ。食べることはカヌーを漕ぐことより多くの人にとって身近だ。

「店」は来るものは拒まず、去るものも追えない。これは店というか商売か。

何かを求めて人は未知なる店の扉に手をかける。何も求めず人は出歩かない。
おっかないけれど、何かに期待してドアは開く。クマ鈴が鳴る。小さな勇気。その気持ちを汲み取ってあげられるようでありたい。これはぼくの理想。
しかし、作業中は邪魔をされたくない。未熟だ。ガンバロウ。

2017年12月5日火曜日

三冬という時間の刻み方

ぼくが氷濤制作二冬目のとき、彼は一冬目。
「一冬だけだから」と、引き気味だった。楽しくなさそうだった。


氷濤エース:どるふぃん。この顔。わはは。
作業中でも手を止めカメラ目線をくれるサービス精神たるや。
ちなみに、これが「氷濤ツナギ」。
かつてはみんな愛用していたホーマック製品である。

ぼくは二冬をここで過ごし、カフェに挑むべく、温泉街へ向かい、三冬目のカフェである。
彼は夏は姿を消したり、一緒に働いたりもしながら、冬は必ずここに帰ってきていた。
どるふぃん、四冬目の氷濤。氷濤のために生きているよね。うん。


写真右上が彼。
ぼくは現場で上にいる彼を知らない。

一日24時間という唯一の公平性。どこに、何のために使うかは誰にも強制できない。

どこに身を置くか、置きたいか。選ばれるんじゃなくて、仕方なくの消去法でなく選ぶこと。
新たな展開を拡げる可能性を孕むのは能動的選択だけ。
楽しむのも苦しむのも、自分次第。
どんな自分でありたいか、全部、自分で決められること。

楽しく働く人を見るのがぼくは好きだから、どるふぃんはじめ、今日はそんな輩を見れてまっこと嬉しい。
ぼくはぼくの土俵で踏ん張るのだ。

やるなら中途半端でなく、どっぷり関わりたい特殊な仕事である。制作こそ氷濤の神髄よな。

2017年12月4日月曜日

満月の夜とたいやきを見直した日


なおき&ほーりー、絶妙なタイミングでアポなし再会。
価値観を共有できる安心感。有り難い。



2017年12月3日日曜日

みぞれ雪、静寂、常連さん


支笏湖、未だ雪なし。


ぬくいとお化けモード。氷濤まつり後半戦的な。

気温が高い。どうにか雨(寒ーい雨ほど最悪なものもない)ではないみぞれ雪の中、「ウィインターカヌークルージング」へ出動。

「冬に来る人なんているんですか?」

『いやあ、夏に比べると少ないですよ。でも、たまに変わった人がきてくれますよ。‥ね。』

わはは。パドルクエスト語的に「ウィットに富んでいる」かは分からないけれど、冗談交わしながら他愛もない会話。
行間を読み合う。これこそがコミュニケーションの醍醐味よなあ。駆け引きと探り合い。生のコミュニケーション以外はしたくない。と言いながら毎日ブログを書く矛盾。ぼくは何だろう。思考整理術兼誰かの暇つぶしになれば一石二鳥ということで。

「本当に静かですね。いいなあ。現実に帰りたくないなあ。」

雪もない、葉っぱもない。ないない尽くしに見える今の支笏でも、お客さんが持ち帰ってくれたものは少なくないように感じる。
「何にもない」って意外と手に入らない贅沢なんだよなあ。「寂しい」って片付けるのは誰でもできるし、勿体ない。
自分なりの宝物を見つけられるかどうかは、心持次第。見つけたいと願う人だけ。

寒くても手袋は履きたくないのだが、さすがに限界だなあ。手、赤。

店に戻ると程なく、昨日来てくれたカフェのお客さまがお待ちかね。
人気者は辛いぜ。求められる内が華よね。貧乏性。

カヌーもカフェもぼくはとても楽しい。自分を殺す必要がない。今の自分にできることで稼ぐ。簡素で良い。
苦しいときもそりゃあるけれど、楽しみたくて生きている。

勿論、売上うんたらってのも無視はできないことだけれど、お金のことを考えすぎると「しなければ」という義務になる。義務を負うほどエネルギーみなぎる人もいるがぼくは逆だ。
金に思考を占領されないように。強大な宗教でそれを無視することはそうできないわけだけれど。
やらされる、やらなければならないことほど退屈なことはない。純粋に楽しむことを忘れたら遊びを仕事にする人間の先はない。発端も狙いも金じゃないのだ。金であったらそもそもカヌーを選んでいない。金が欲しいなら最も実はお高い自分の時間を街に差し出せばいい。金はあくまで社会システムに乗っ取る上での手段。金よりお高い人生なのだ。
「稼がねば」、より、「楽しまねば」という情熱こそが人を巻きこんでいくはずなんだよね。

好きなことで暮らす本当の意味を考えるには夏より断然冬なのだ。

2017年12月2日土曜日

チーズケーキとカヌーと氷濤と、人

【おいしい】の唄
おいしいっていうのは際限ない
おいしいをもっとおいしくするためには‥

楽しいっていうのも際限ない
楽しいをもっと楽しくするためには‥


ぶつくさと
あーでもないこーでもない
思考が栄養

なにができるだろう
どこまでたどり着けるだろう

誰かのおいしいを味わって拡がる世界
自分のおいしい

増やすも減らすも深めるも諦めるも
ご自由にどうぞ


舌と心が喜ぶものを取りこんだなら
なんだか新しい世界を生み落とせそうな最高の気分さ





夕日を写していると座敷童が映った。

複合的にあれこれ考えると、脳みそが止まる。キレのないふにゃふにゃ踊り。
自分で言うけれど、たったひとつのことを突き詰めさせると能力を発揮する。偏向性、狭さだけが深まるための武器である。好きだけ選んでこうなった。
なんせ、器用じゃない。

手を出すなら本気でないと。本気になれることだけ選んでやってきた。
手を抜くなら、最初から手を出さない方がマシ。
試されるよな、冬には毎度。

2017年12月1日金曜日

『川を歩いて、森へ』天野礼子

まさとし目利き書房より。

カフェが繁盛していると、読書ははかどる。カウンターから身動きがとれないときには本を読む。知的好奇心を満たすためにもいらっしゃいませ。


中央口論新社。
2017年2月。

闘うアマゴ大好きガールの人生の記録。魚が好きで、その魚のいる川が好きで、川を川でなくす輩や政策に体当たりしていくうちに、サケのように川から森へ導かれていく。
何度死にかけても川の神様に生かされてきた。
脳動静脈奇形という、10万人に一人の血管異常もなんのその。それがしかも物書きの最も大事な「言語」と「思考」にかかわるところにあるのは100万人に一人くらいの確率らしい。
タフな心はそのへんからも起因しているのかもしれない。そんなこともあっけらかんと、カミングアウト!という気もなくさらっとしちゃうあたりも、潔い。男前だ。見習いたい。

開高健さん、野田知佑さん、ニコルさん、辰野勇さん、菅直人さん、鳩山由紀夫さん‥そうそうたる登場人物たち。

『わが日本には、三万本もの川がある。‥三万本もの川を狭い国土に持つわが国は「川の国」であると言えるが、また多くの森を持つ「森の国」とも言え、四方を海に囲まれる「海の国」とも言えるだろう。』

出だしから考えた。
ぼくはいったい何本の川を知っているだろうか。

p.191『「森は海の恋人」であったが、「海もやはり森の恋人」だったのだ。川は、森と海の間をとりもつ"キューピッド"にちがいない。』
日本の自然という全体の個とをぼくは何も知らない。

2017年11月30日木曜日

一粒万倍日のご褒美はカレー屋からの夕日

ハプニングから始まる一日があってもよい。
おかげで、会いたかった人たちと久しぶりにゆっくり話す。


長沼。「シャンディーニヴァースカフェ」(やっと名前を覚えたけれど、彼らは彼らで「ペンネンノルデ」を覚えられずにいる。わはは。そうだよな。ややこしい名前仲間。)からの夕日。
中にこもっていると何とも思わないけれど、
外から見たら、支笏湖が夕日を飲み込んでいた。いや、夕日が支笏湖に飛び込んでいくのか?
あの光の中にぼくらの暮らしがある。

まさか、あんなところに穴ぼこがあるなんて。
穴があったら入りたい。これは何の性??

新たな予感はいつもカレーから。ここのカレーしか外では食べなくなっているなあ。

2017年11月29日水曜日

手離すことでしか得られない自由


photo by Chika.O

「‥ほとんどの人は、何かをあきらめなくてはならないという点に目が行ってしまう。

だが、人生とは皮肉なもので、人生をもう一度信頼する勇気、もっとつながりあった生きかたを受けいれる勇気を見つけたとき、
手ばなす少々のものよりもずっと充足感と意味とはりあいに満ちた何かを手に入れることになる。
たしかに最初のうちは喪失感を覚えるかもしれないが、
そんなものはたちまち、おそらく人生ではじめて経験する<自由>と<つながり>の感覚に取って代わられる。」

『無銭経済宣言』マーク・ボイル/訳吉田奈緒子/紀伊國屋書店

2017年11月28日火曜日

秋気温だけど「ウィンターカヌークルージング」

冷え冷えの11月。シャンとするのに慣れたところだってのに、何だ今日は。あたたかすぎるぞ、気温7℃、微風。うーん、ぬるい。ぬるすぎる。


氷の迫力が足りないなあ。

ん?カヌーに興味あり?

とりあえず動かしてみますか。

‥な、なんだこりゃー!となる。

一本のぼっこで艇を全方位に動かせる自由度の高さ。一人の華麗さ。二人のバリエーションの多さ。
カヤック?カヌー?何がどう違うの?手軽なのはどっち?

何をしてどこで遊びたい?

JSCAの講習で見聞きして感心したネタを早速使ってみる。自分の腑に完全に落ちていないとぼくの場合はそれっぽくはならないのだが、知識は蓄えているだけでは腐ってしまう。インプットしたらアウトプット。繰り返すこと。

技術より感性。理屈より快感。
さして興味を持てずにいた技術の言語化、あれ、面白くなくなくないじゃん。
(個人的革命的変化)

ツアー状況次第では店が突然閉まったりすることがあるかもしれません。ご了承くださいまし。

2017年11月27日月曜日

「私だけの時間なの」

一日は24時間。


その時間すべてを自分のためだけに使える人はそういない。
24時間のうちの15分間。
閑散期の静かな温泉街の小さなカフェでコーヒーを飲む。
その人は、やさしい顔をしながら目の前の景色を、にんじんケーキを、過去でも未来でもなく「今」というこの時間を慈しんでいた。
「(‥かくかくしかじか‥)私だけの時間なのっ」

一杯のコーヒーは一人の女性を少女に戻す。‥こともある。

物語はいつ水から生まれるわけだ。

「贅沢」というのは、財布を膨らませる紙があれば得られるわけではない。

久しぶりに、良い夕方を店より眺める。

お隣『ペンネンノルデ』さんの、冬マフィン‥ココア&ラムクランベリー&クリームチーズマフィン、完成度高すぎです。

2017年11月26日日曜日

初除雪と「暮らし」


支笏にもようやっと来ました、白いベチャ雪。


生まれたわけでも育ったわけでもないところで越冬するには強いfor‥が必要。

白い季節は様々、「覚悟」を試すわけです。
生きること。働くこと。遊ぶこと。愛すること。
すべてを集約した言葉を「暮らし」と云いまして。
「今まで」と「今」の思考が生む、最大なる自己表現です。

言葉は真実をいつだって語るとは悲しいかな言えません。
ぼくは言葉に救われたクチなのでそのチカラを完全に信じたいのですが、皆がそうでもないようです。使う人次第で言葉は軽薄にもなり得ます。ぼくは言葉をもてあそぶ嘘つきは大嫌いです。
言葉の使い方に納得いかず、失望することも多かったので、‥言葉のままに期待するぼくが馬鹿なのでしょうが。
勿論、『この人は言動一致、嘘をつかない信頼に値する人だ』と説得力の塊のような人に出会えたことは幸運です。その人がいなければぼくは今ここにいません。

「暮らし」は真実だけを語ります。説得力は言葉以上、その人以上です。

まあ、だんだんと「言葉」よりそちらー「暮らし」から真実を推敲するようになりました。
言葉はときに、残酷です。言葉の使い方を知らない人もいます。
「暮らし」を見ればそれだけで等身大のその人が見えるという訳です。

語らずに「暮らし」に全てを語ってもらえるのが理想。ぼくは言葉のチカラを信じたいけれど、同時に言葉から解放されたいとも願っています。
いつか訪れるであろう夢のような日まで、ぼくはあほみたいにこうして言葉をつないでいくのです。

説得力のある「暮らし」。
ギャップを埋めていくためには足し算ではなく引き算。
どんどん、捨てていくことなんだと感じる初冬なのでした。

2017年11月25日土曜日

『ウィンターカヌークルージング』始動!


あれこれ、個人的雑務だったり、仕事内容を切り替えたりで、ようやっと体裁が整ったところで、久々カヌーツアーへ出陣。
今冬は今まで以上にツアー動かしまっせ~。

横目に氷濤勢。‥おおお、みんなやっているなあああ!!
邪魔しないようにすーっと通り過ぎながら、ああ、なかなか行けずにいる間にもうタワーが立っているではないか。時間が確実に経過していることを実感する。

うーん、なんか、やっぱり、良いんです。
空の下。水の上。空と水の間。呼吸の仕方をここで思い出す、というか。
ぼくのままで一番いられる場所。

寒い?そりゃそうです。特に今年の11月は冷え込み厳しすぎるけれど。

吹きなぐる風に乗って真横から飛んでいく雪に興奮する北好き不思議ガール。

寒いから感じられるモノがある。
人生相談初冬ツアー。マンツーマン、やっぱりよかですたい。
どうせ生きるなら、ぼくは楽しい方が良い。楽しいかが大事、楽しくするのは自分次第・捉え方次第。毎日笑えていればそれだけで。

2017年11月24日金曜日

引き潮満ち潮津軽三味線

今季初雪道走行。
雪はきれいだ、明るいなあ。


高橋竹山(右)&弟子・高橋竹与(左・現二代目・高橋竹山)。超絶技巧。面白すぎる。解き放たれた音。後半戦、遊び心ありすぎ。

執着するな、と「カラバトカリー」のスパイスに覚醒させられ、
何となく行き詰まりを打破するにも、執着するな、なのかなあ。ううむ。考えずにはおれない、様々と向き合う季節。
お金はどう得るかで価値を下げも上げもする。稼げれば何でも嬉しい、わけではない。好きなことで稼いでいたい。嘘偽りなく。お金は目的でもない。ただの手段。目的になるとたいがいうまく回らなくなっていく。

できるかな、やってみよう、から、できる、へ。さてどう展開するか。同じことの繰り返しでは済まないのが人間、人間界の悲しい性、さだめ。

何が肝要か見失ったら本末転倒。
とにもかくにも心・身体健やかに。

2017年11月23日木曜日

いざ行かん、多様性道!

コーヒー道、勉学は終わらない。


色んな淹れ方がある。こだわりがある。豆がある。
ネルドリップだけが正解‥でもない。
「おいしい!」はたったひとつだけでなくてもよい。
色んな形の「おいしい!」があって良い。
ああ、なんだかぼくも少しずつ大人になっていく。

生物多様性の大切さを説かれた学生時代。
カヌー道もコーヒー道も、「多様性」が肝。
自分の正義を振りかざす青い時代は終わり。足すのでなく、引いていくこと。
「シンプルをきわめるとピュアになる」、だ。
振り返らず、しがみつかず、寂しがらず、こだわりきった先にある世界をただただ見に行くのだ。
何のために、なんてなくていいのだ。知らない世界を見てみたい。好奇心の疼く方へ。

2017年11月21日火曜日

『奥入瀬自然誌博物館』河合大輔さん著

先日、青森・十和田のカヌーガイド/周平・ヤスさんから進呈された奥入瀬本。


写真が多く、デザインも良く、見やすいなあ‥と思ったらそうですか、周平さんがデザイン担当か。
撮影した写真は時に丹羽大先生。
そしてそして、何といっても河合さんの書く文章がやはり素敵すぎる。
押し付けない。本全体を包みこむやさしさがにじみ出ているなあああ。

お買い求めは→おいけん

学生のとき、クモ(お空じゃないよ、昆虫でもないよ、スパイダーだよ)の研究をしていた。
小さな小さな世界に目を向けると、そこには人間界なんて到底及ばない大きな大きな世界ー気づき・学び・発見・感動・美しさーがあったことを思い出した。

ぼくは家をつくったことは一度もない。死ぬともしれない大空にDIVEなんてできない。
小さな小さな、人によっては見つけ次第殺されてしまう場合も多々あるクモはぼくが尊敬してやまない生き物である。
小さな小さな生き物への畏敬の念は、人間界以外、あらゆるフィールド、川に、湖に、山に、すべてとつながっていく。

生物が生息できる限界標高にいるのは、三つの生き物だけだと何かで読んだ。
クモ。鳥。人。

マクロな世界に答えがあるのだ。
一点にとどまることが、世界を旅する以上の旅なのだ。

この本を読むと、奥入瀬に行きたくなる。
雨の森を歩きたくなる。立ち止まりながら、ゆっくり。
蔦温泉、また行きたいなあ。
うん、行こう。
河合さんの視点で森を歩けたなら、森の色が変わるんだろう。虹色どころではないよな。
知らないことがまだまだいくらでもあることを知るところから、世界の色は足していける。
もっともっとカラフルな世界を味わってみたい。

2017年11月20日月曜日

『ヴィヴィモン』@鎌倉

逃避といえば、海だった。

何が何だか分からない。自分が誰だか分からない。もっと面白いと期待していたはずだったのにクソつまらない日常という現実。ただただ抱えきれない違和感に押し潰されそうになると、海へ逃げた。
何にもせずに、ぼーっと、ただただ、一日中海を眺めてぼんやり。
高校生だった。
友だちからメールが入る。「今日休み?」
『うん、海に来てしまっている。わはは。』

制服についていたであろう砂。親は何をどう思ったか。


縁あって、縁を感じるお店。
とある店にはフラれたが、【カフェ ヴィヴィモンディモンシュ】へようやくたどり着いた。
店でコーヒーと向き合うときに背中を押してくれた存在。

(2015年11月15日てやんday:【活字の海で溺れたい2 「鎌倉のカフェで君を笑顔にするのが僕の仕事」堀内隆志】)

音楽という情熱はさらりと流して、誰でもが入りやすく、誰でもにちょうどよく。
個性を強烈に打ち出すより、個性を内に秘める方がもしかしたら難しいことかもしれない。
良い時期に良い場所、良きコーヒーに出会った。

出先でおいしいコーヒーを飲めたときの喜びったらない。

2017年11月19日日曜日

for


眩い人たちに囲まれて。
好きなことをする。しごく単純なことを続けている人たち。
簡単なことがなかなかどうしてできないと嘆く人が多いことにもようやく気づきはじめてきて。
あれ、あの人もこの人もどうやらただ者ではないということか。
一緒にいると愉しくて。面白くて。予測不能すぎて。先が読めないから物語に夢中になるように。
ぼくにはできないことをできる人がいたら、ぼくは嬉しくてたまらないから、ついていく。
楽しそうな人がぼくは好きだ。
はて、ぼくはその人たちにとってどう映るのだろう。くすぶってみえるのだろうか。はたまた、同じく、楽しげに見えるのか。

普通の顔で店に立っていると、おじさんが嬉しそうに「楽しいだろう、にーちゃん」とニタリ顔。
ん?しごく真面目な顔をしていただけなのに何故?
しかしまあ事実を否定することもせず、素直に答える。

「ええ、楽しいですよ。‥一緒に働きますか?」

そんな一日。
生きている限りは笑っていたい。



2017年11月17日金曜日

カフェCANOA再開

本日、なおきさんの誕生日。氷濤まつり制作陣仕事始め日。カフェ再開日。

三冬目。
リハビリがてらの「いらっしゃいませ」。
店の表にあった「テイクアウト」看板を「カフェ」に裏返して、カフェメニューを飾ったら、あら不思議。急に人がカフェだと思って入ってくるわけで。
「箱モノ」というのは使い方・使い手次第で、姿を変えるカメレオン。
一瞬で別の空間になる不思議。
しっかし、緊張感あるなあ。


冬ツアーメニューもかのあツアーメニューに三本上がった。
長いこと夢見ていたプログラムもある。
さて、どこまで可能性を見出していけるかな。

2017年11月16日木曜日

友だちというもの

どこがすごいとかイマイチとか、もう、よく分からんのです。


なんか、気付けばいつもなんとやら。

言葉と言葉の間。
行間で語らえる間柄ってのはそうないのだなあと、大人になるほど、色んな人と関わるほどに気付かされます。

友だち100人もいりません。

2017年11月15日水曜日

【ペンネンノルデ】11/19(日)『パンとおやつ市』@恵庭出店

支笏湖でこっそりマフィンを焼いている「ペンネンノルデ」出陣イベントのご案内。
ペンネンノルデ公式インスタグラムはこちら→【ペンネングラム】


■時間:10:00-16:00
■場所:黄金ふれあいセンター(恵庭)
◎主催:ミナミナ市

今回の主催は安定感あるミナミナ市さん。
アクセサリー作家でもあるこの方、とってもハートフルな方なので、イベント全体とても優しく居心地の良い空間になるそうな。
ズラリと豪華絢爛(広く浅く)なのも良いけれど、じっくりゆっくり丁寧に、狭く深くどっぷりと、という方がぼくは好きです。
一点から世界中どこにでも行けるのです。

さ、話がそれる前に、癒されたい方、おいしいものが好きな方は是非。

2017年11月12日日曜日

11/1-15 安達茉莉子『消えそうな光を抱えて歩き続ける人へ』@ひるねこBOOKS


谷中の「ひるねこBOOKS」へ。安達茉莉子さんのお話を聞きに行ってきた。


思い出すと単純な「楽しい」だけではなく、できるならば蓋をしたい苦く苦しい記憶、とか、気の知れた人だけに分かってもらえていればいいような自分のアイデンティティ成立への道、背景。

表現者というのは、どうしてさらけ出すのだろう。出せるのだろう。出さずにいられない、のだろう。

隠す、隠さない、隠したい、言う、言わない、言いたいけど言わない。言えない。
どこからが「嘘つき」「不誠実」「ごまかし」「逃げ」となるのか?
臆病者は市井の人を選ぶ。

何のために、とか、誰のために、よりは、
よりよく、生きるため、もっと、高く踊るため。

2017年11月10日金曜日

缶詰カヌー合宿5days


技術や理論。採点、評価に点数。肩書き。
ご存知の通り?そういったことが嫌いで。というか体質に合わなくて。ぼくはド文系のフィーリング型。


缶詰生活の息抜きの一冊はこちら。
『津軽三味線ひとり旅』高橋竹山 中公文庫
チーム十和田に聞いてみるの忘れたなあ。
『ましろのおと』という漫画を読んでから、三味線のことが気になって気になって気になっている。

考えるより感じていたい。

どうでもよかったこと。お任せしてきたこと。逃げ続けてきたこと。

向き合うと、そこには、新たな世界も確かにあって。
ようやく、面白いと思えるまでになって。
相当時間がかかったけれど、亀の足でも歩き続けていればいつかたどり着く。

久しぶりに考えたカヤックのこと。広い河川敷の階段に座ると、文化祭をこそっと抜け出してニケツして隣街まで走った高校生に一瞬で戻ってしまうこと。
初めてカヤックに乗せてくれた人と再会、その息子さんとはじめまして。

初心忘れべからず。
過去を捨てるな、抱えながら進め。さらに進め。
多分そういうことだろう。

初めて漕いだ日。それは自由を手にした日。

オールドタウン、キャンパーに乗りたい。
ぼくの身体はぼくが思っているよりずっと、フラットボトムに侵されていることを痛感した。
カヌー=オールドタウン=キャンパー16。
北海道では、支笏湖では、…いや、かのあでの当たり前。本州では当たり前の方程式…ではない。
どうやら贅沢な環境に慣れすぎていたのだということも、こうして外に出ないと気付かない。なんて幸せな環境。
あの艇だからとことんまで飛べるのだ。あの艇でなければここまでカヌーに捧げることはなかった。

関係者の皆様、様々な学びをありがとうございます。
もっとうまくなろう。うん。




2017年11月5日日曜日

『ねぼけ人生』水木しげる


都内、某隠れ家に沈没している。
セレクトショップまさとし。
いつも良い本を良いときに。


p.123「何をやらされてもできるというキモチでいたし、現に、工夫すれば何だってできた。不具でも、普通の人と同じようにできれば、それは不具ではないのだ。」

知らなんだ。片腕失ってたんだ、ラバウルにて。
思考が素敵。
反骨反骨。よしゃ。苦手なことも向き合おう。食わず嫌いなだけかもしれないし。

2017年11月3日金曜日

ごっつあん、big up パスタ

冬仕込み。ここ二日ほど、ジンジャーシロップを量産していた。

結構、手間ひまかけている。自分で言わないと誰にもわからない。
夏は炭酸でジンジャエール。冬はお湯割でホッとジンジャー。


今日のお昼はブロッコリーとしらすのバターしょうゆパスタ。
ぐっとくるね。知っている人がつくる野菜はどうしてこうおいしいのだろう。
食べるものをつくるヒト。カッコ良すぎ。

大滝方面に大きな声で叫ばずにいられない。
「あなたのことがつきだからあああああ!!」

よし、明日からちょいと場面転換。
精進しましょう、あらゆるジャンルにて。

2017年11月1日水曜日

どうでもいい人が大好きな人になる瞬間


おでん。

はっきりいってどうでもよかった。さっきまでは。

たった一杯を飲み干すだけで、思考が、志向が、180度切り替わってしまうこともある。

おでん革命。

だしって何なのだろう。澄んだ。シンプルな、ピュアな味。

「おいしい」という感動に出会えたときの喜びったらない。
これを味わうほどに、そっち側に立ってみたくもなる。

初めて多摩川に浮かんだときの喜び、千歳川に「はじめまして」をした日、初めてあのコーヒーを飲んだ時の喜び‥
全部、昨日のことのように強烈に鮮明な記憶として残っている。
初動の感動という残像を追いかけることが仕事になっていて。

カヌーで「気持ち良い」という感動に出会えたときの喜びを自分があちこちで味わえば味わうほどに、味わって欲しくもなるように。

心が動くところから、すべては始まっていく。心が動かないことには、何も始まらない。

ああ、もう、ぼくはあの店のおでんが食べたくて仕方がない。

2017年10月31日火曜日

とりあえず一段落 ありがとう

10月31日。低温・風が鳴る日は気を張りながら。


(写真はポロト湖で過ごした夕方)

明日からも対応できるときにはしていくのですが、

とりあえず、3月から幕を開けた湖でのツアーが一段落。
良いお客さんと店に戻ると、良い人たちがいつも通りに迎えてくれて。
湖炎祭が終わってからずっと思考的には冬のことをあれこれ考えていて、通常ツアーではないことをばかり考え動いていて、ツアーは終わったような気にもなっているところもあるのだけれど、一応だけれど、一応なりに、区切りを区切りとして、同じように大切なものとして認識してくれていて。
何を大事にしているかが別々だったら長く一緒にはいられない。誤魔化せない。
どんな人間関係でも大事なのは、根っこの共鳴。枝葉はバラバラで良い。その方がオモシロイ。
根っこに重なる部分があるかどうか、どの程度重なっているか。重なりたいと思い合えるリスペクトが互いにあるかどうか。
根っこがあるかどうか?これは低次元すぎてお話にならない。




2017年10月29日日曜日

『恵庭ものづくりフェス2017』に行ってきた

今日はカヌーガイドの顔をしまい、‥といっても滲み出てしまうわけで、やっぱりカヌーガイドが街を歩けばカヌー乗りに遭遇できたりもして。「水の上にいるだけのカヌーガイド」では近いうちに誰にも知られず絶滅してしまう。
話が逸れる。
先日告知していた恵庭の大きなイベントにマフィン屋として参戦してきた。
まずは、年中、水陸問わず、あちこちで様々な未知なる出会いや経験をさせてもらえていることに、あちこちに感謝。外の、人の刺激がぼくには必要だ。

飲食の世界は、好きなことで稼ぐ本当の意味をぼくに教えてくれた救世主。
好きなことで稼ぐことが、ぼくには当たり前になりすぎていた。振り返ると、ごめんなさいしかないわけです。

「好き」を仕事にするのは苦しい。しんどい。おっかない。ヒリヒリする。おかげで極上の手応え、喜びを味わえる。やみつき。
未知との遭遇。これがないと。

まあ、イベントというやつは、蓋が開くまでどんな展開となるか読みにくい刺激的なアウェー戦。主催の熱量、思惑次第。
参加者側は74組ほどだったらしい。経験したことのない大舞台であった。人ごみが苦手なぼくは人に酔う。


支笏湖を出て街へ乗りこみ。戦闘態勢を整える図。


選べる喜び。悩める贅沢を提供すべく、夜中から店主はマフィンを焼き続けた。
働くってのは、商売ってのは。本気でやるのがやっぱり清々しい。


ズラリ。誠実に並んだマフィンたち。


勝負の日には赤パンツ。いや、安達茉利子先生のイラスト。
いろんな店がある。表現、モラル、良識、アイデンティティがある。質を高次元で維持するために何を守り手離すか。これはカヌーツアーでも心を砕くこと。全く同じ。思考は水陸両用。
自分はどうありたいか。他と比べることで見えるものは多い。
水陸両用ハイクオリティ表現を。
主催の皆さまお疲れ様です。お世話になりました!

2017年10月27日金曜日

集中力

湖から逃れられずに帰ってきたシーズン終了間近の、どるふぃん(中央ボート)。


今年は団体カヌーツアーを何度か手伝ってもらった。
かつては、遠方のガイドさんを呼んでいた。
「遠くの親戚より近くの他人」ではないけれど、年中支笏湖と向き合う仲間が少ないながらにできてきたのは有り難いことだよなあ。

さ、途切れつつある集中力を取り戻さないと。



2017年10月26日木曜日

カオスな晩秋

違うところを漕ぎに行く度、漕ぎたくなるのは‥。


先客がいた。
外に出れば出るほど、この水の美しさにほとほと参る。
ここより美しいところを見つけられる気がしない。


今年は色鮮やか、かつ、長続きしている支笏湖の紅葉。


紅葉と雪。

秋と冬が混在する、カオスな晩秋なのだった。

2017年10月25日水曜日

美しい場所を探して


カヌーに乗らずに死ぬ人の方が、majority。
しかし、そんな人生勿体なさすぎるとminority代表として思わずにはいられない。
乗れば誰でも分かるわけでもないけれど、乗らないと見えない世界の底のなさったら。
その扉があることを何とはなしに通常ツアーにも醸し出してはいる。勿論必要としている人にだけ。cultureとしてのカヌー。


支笏湖みたいな水の色。

知らない場所を漕ぐのはおっかない。分からないことが多いから耳をすます。何かあっては困るから安全第一。静かに染み渡っていく、生きている実感。
足裏には体温を簡単に奪う水。生と死は表裏一体。生は死がそばにあればあるほど強く輝く。

街中だと手放さざるを得ない自身のコントローラー。
パドルに預けているのは自らの命。ヒリヒリヒリ。人任せにしていては得られないスリル、おっかなさをこそ味わいたくて、ここに暮らし、パドルを掴み、自己を律する。
誰でもない自分を誰より信頼できるようになりたくて。
変な気を起こしたら簡単に死ねる。起こすなよ、変な気。
生への執着を高めていく。

どこでも良い。水でも山でも何でも良い。美しさにノックアウトし続けている内に死にたい。錆びるなよ、心。

2017年10月24日火曜日

世界中の人に自慢したいよ、ぼくの友だち

新宿の田舎で育った。
東京は狭いが奥行きがあり、新宿にも田舎がある。
都市開発はしかし止まらず、もう少ししたら、「ある」は「あった」となるだろう。
まあ、千歳市内のアパート乱立ラッシュも何だか何だかつまらないと感じている。

小学校の同級生は自分含めて14人ぽっちで、親も先生も遊びたがりのクレイジーな輩が揃っていた。土地柄もあるかもしれないが、多様性に富んだ道を皆それぞれに歩んでいて、なかなかにオモシロイ。今日はそのうちの二人をご紹介。

放課後といえばキックベース。場外ホームランを記録したのは二人だけ。
そのうちの一人はカヌーに出会い、そのうちの一人は自転車に出会い、ヤツは自転車競技の世界で日本代表として戦うことになったらしい。


写真はFBより引用。

のりおブログはこちら。
No Sports No Life!!紀雄の自転車日記


写真はHPより引用。
あるとき西からやってきた転校生は出会った頃から「弁護士になる」と宣言していた。
困りごとはこちらまで。
おにざわ法律事務所


目の前の日常に戻ろう。
湖の仲間たちと、久しぶりに支笏湖脱出。たんたん。

稼ぎに走らない遊び。稼ぎ続けるためにはとても大事なこと。人は機械ではない。
思えば訳も分からず感謝もないままに、よく遊ばせてもらってきた。


だいちゃん。太陽が恵庭岳に沈み行く。

ぼくらが暮らす町の川は、やっぱり、世界一。


2017年10月23日月曜日

焼ける朝と台風21号

べちゃ雪。強風。雨。
伸びた髪の毛、迫る11月のことを考えなければならない。何をしても、せずとも、腹は減る、一日は終わる。
天気が悪くならないと一日家にいることは困難。こんな日もたまには良い。



Lake SHUMARI、初秋の早朝。
行ったことないけれど、フェアバンクスの秋はこの色だと思う。
黄金色は、なんだか郷愁を誘うのだよなあ。
故郷なんて持ち合わせていないのだけれど。

2017年10月22日日曜日

今日から晩秋、さらば、紅葉

長いこと美しい紅葉が続いている。
今朝、何だか、気配が違っていて。一夜で増した落ち葉たちにハッとする。
ああ、昨日までは気付かなかった「晩秋」臭が充満しているではないか。


カヌーを出しに行く、いつもの風景。
そろそろ見納めとなる。


台風21号が来る前最後の紅葉カヌー。
今季も「SotoCafe」を守ってくれてきたほーりーも本日、今季ラストツアー。


一ヶ月前は少し疲れた緑。一ヶ月後には茶色い世界になるなんて。そんな馬鹿な。
劇的すぎる季節の移ろい。何度見ていても、何だか信じられない嘘みたいな真実。


「体験カヌー」出場回数ぶっちぎりガイド:だいちゃん。

台風に備え、明日はお店もツアーもクローズです。

2017年10月21日土曜日

期日前投票


期日前投票に行ってきた。
選挙権。したくても投票できない人だっているから実は当たり前でもないんだよね。意思は示さないと。
通る通らないはその後のこと。

安倍さんサイナラ。最初からサイナラ。
選挙結果に、日本やるじゃんと思わされたい。

2017年10月19日木曜日

来年会議


どんどん変わる。
当たり前だ。
ぼくらが変わる。
ぼくらのできることが増えていく。
やりたいことが深まっていく。
さらにさらに、その先へ。
まだまだ、何にでもなれる。できないことはできるようになる。
質を高次元で保ちながら、味わい深い空間を。

2017年10月17日火曜日

コーヒーとヤーマンと湖炎祭2017



photo by DAISUKE.K

初めて飲んだ時の衝撃は冬のモチベーションに今もつながっていて。
羽田空港そばの多摩川。初めて水の上に浮かんだときの衝撃が夏のモチベーションに今もつながっているように。
始まりは一目惚れ。たったひとつずつの恋は冷めることを知らず、知れば知るほどどこまでも深まっていく。

通りすがりの縁もゆかりも持たない人間には、通うお店ができたことが素直にただただ嬉しかった。暮らしている感じが、暮らせている気になれる気がして。

そこでは良い音楽が流れていて。何だろうと聞いたらシンゴさんで。
初めて行った由仁?ライブで座って聞いているのがしんどくて、この人、外で唄うべき人だと思いながら、踊り手と再会して音楽に委ねて。

去年、初めて湖炎祭が開催されて。
支笏湖。風、寒さ。焚火。炎。
ああ、この状況で唄ってほしいのはシンゴさん、間違いない、と残念な思いと共に確信。

自分が好きなことが何なのか、どういう意味を、解釈ができるのか。
もっともっと突き詰めていきたい。心はいくつになってもぐわんぐわんと振れ続ける。
振れる心を仕事に活かせるようにもっともっとなっていくのが年を重ねるメリットだろう。

2014年8月30日:【世界一のコーヒーと音楽
たった三年前。全てが不確かだった。

2017年10月16日月曜日

湖炎祭2017

2シーズン目の湖炎祭。


photo by NAOKI.M

笑いあり、涙はないが、ハプニングもなんでやねんも多々あり、毎度おおきに、ココアはやっぱりモリナ○なのであった。



2017年10月13日金曜日

時空を超える定山渓のカレー


四年前、兄のように慕った人に教わった定山渓のカレー。

‥ああ、あれから思えば様々、随分と変わった。
まっとうにやれているだろうか。いつかの自分に怒られそうな気もするようなされるわけがないような。


知る人ぞ知る。「カラバトカリー」。

ああ、ぐるりと、回った。時が満ちた。スパイスハイ。脈打つ鼓動。めぐる血液。高まる体温。
ぼくは鎌倉に行くのだろう。いや、行くことになるのだ。なんせ、世界はまあるいのだから。

導かれるままに流れることを忘れてはならないようだ。かつて、スーホーは友だちだったのか。
ぼくらは何度でも生まれ変わる。たった一食のカレーが大きく何かを変えることもある。
憑き物がとれたというか、身が軽くなったというか、必要なのは、執着すべきは今だけ。

2017年10月11日水曜日

言葉より速く



続く北通い。
雨竜のアンティークショップ「豆電球」のイケてる外観。

コーヒーとカヌーの相性の良さを認識させてくれたその人のことをここ数日考えていたら、たまの店番日、突然その人が目の前に現れた。
あれ?何で?

ふらりと立ち寄っただけとのこと。

贈った言葉たちを見たわけでもなく、というか、言葉を贈るぞという心だけが届くことがあるのだなあと、言霊の不思議を思わずにはいられない嬉しい出来事なのだった。

手紙を書くこと。
忙しいとできないしする気にもならないし忘れた気になるけれど、手紙を書く時間、誰かを思い、誰かのために費やす時間がぼくにはやっぱり必要なのだ。
ラインでは埋められないコミュニケーション欲を満たすのはスロウすぎる手紙だけ。

2017年10月9日月曜日

10/29(日)『恵庭ものづくりフェス2017』

千歳の変人・こにたん(小西木材)主催、かなり熱量の高そうなイベントが今月末に開催予定!
支笏湖からはマフィン屋さんも出店するらしいよ。


恵庭ものづくりフェス2017」?
「北海道のものづくりを盛り上げようというイベントです。

普段恵庭では見ることのできないような出展者や体験ができます。出展者と地域の方の交流、学生と出展者の交流、出展者同士の交流を目的としています。」

2017年10月8日日曜日

空飛ぶムササビタープ@シュマリ

本日、支笏湖は好天、あたたかな「紅葉まつり」で大賑わい。
人波にもまれるのはやはり得意ではない。
夏の疲れから逃げる術はないのだろうか。まあ、ないよなあ。


美しきフォルム。背景がまた素晴らしい。完璧。素敵だなああ。
久々、ムササビタープが気持ち良さげに宙を舞う、の図。

2017年10月6日金曜日

秋は赤いよ、そば畑@幌加内

会いに行くこと以外、好きだと伝える術を知らない。
何だろう。東も好きだけれど、気づけばいつも北に惹かれる。


今秋最大の学び。夏は白い花を咲かせることは知られているけれど。
まさかまさか。実は秋も負けていない。

おいしいだけではない、眺めても良し、そば畑。
秋、赤く染まるよ、そば畑。@幌加内(ほろかない)。

2017年10月5日木曜日

月とカヌー2018入荷

中秋の名月といえば、これ。【月とカヌー】の、はからめ月のカレンダー2018。


画像拝借。

かのあでは
・A4サイズのカレンダー
・ムーンサークルカレンダー(コットン100%)
取扱中。

気になる方はお早めに。
取り置きも可能でっせ。

今年ようやく出会えた匠さん、よし子さん。

カヌーを通してつながる人は皆、素敵。

こうあるべき。アホ臭いなりにとらわれているくだらないセオリーを明日中にはゴミ箱に捨ててしまうつもりで眠ろう。

そうそう、秋のオコタンペ湖、最高です。

2017年10月4日水曜日

「二十九、三十」秋と冬の狭間に揺れる銀杏ボーイズ

シュマリ、家外屋倶楽部、迫る湖炎祭、テンポを上げた秋足。
クレイジー極まりない刺激的な秋。
なんだか、泣きたくなるほど美しい景色だったり、手応えだったり、落ち込むくらい情けない自分に出会ったりして、容量オーバーなまま回り続けるハムスターみたいです。

おかげで、どうでもいいことは本当にどうでもよくなるから、そこは幸せ。どうでもいいことばかり考えるのがぼくの仕事のひとつではある。でも、足元より、やっぱり、空に手を伸ばす方が幸せ尚且つ健やか。


パンクしないために、ギリギリ待ってくれていた紅葉散歩。
photo by さ。

どうしたら良いのか、何にも咀嚼できないまま、しかし、誰に分かられなくても自分の内に刻み付けておきたい、「これから」のための新たな世界の扉がうっすらと見えたような。
太陽が昇ったと思いきや沈む短き一日。手の隙間からこぼれる。まるで器用ではないので、様々なタスクを同時に進めることができない。一つずつしかできない、何事にも意味が必要で、仕方がない。
自分の乗りこなし方を分かっておくことは自分のため、まわりのため。

感謝を伝えるには、何ができるだろう。
思い浮かぶのも、やりたいことも、できることも、いつも同じ。

どうでもよくないあの人に、なかなか会えなくなったあの人に。
会わない間に色々それぞれに起こるわけだけれど、それらをいちいち共有する時間も労力もなかなかかけられなくなっていくわけだけれど、
物理的距離を越えられるのは、ぼくには、いつも、たった一つの行為だけ。
すれ違っていく人と人。たまたま出会ったこと、たまたまよく顔を合わせたこと、それがいつまでも続くことは非常に稀、ほぼ皆無であることも分かるようになってきて、
それは決して悲しいことではなくて、人間だもの、とどまってはいられない。
そのとき、お互いに必要とし合った事実があるだけで満足しろって贅沢な話なんだろう。

久しぶりに手紙を書いています。
どうでもよくないあの人に。なかなか会えなくなったあの人に。
電話でもラインでもフェイスブックでもメールでもなく。とにかく、時間をかけたいのです。手間を惜しみたくないのです。手間こそ、無駄にこそ、人間らしさがこもると信じているのです。
何を書こうかななんてことは何にも考えずに、いつも、ただ、机に向かうだけ。
書き終わったらポストに投函して、投函してから少し後悔をして、相手に届くころには自分が何を書いたかなんてことはすっかり忘れていて、忘れた頃に向こうから手紙が届いて。
ぼくにはこのテンポがちょうど良い。知りたい人の本音だけがぼくは知りたい。情報は多くなくていい。欲しいのは、本音だけ。

書いていると、思います。思い出します。溢れます。困ります。声が聞きたくて仕方がなくなります。酔っぱらって気が大きくなったときくらいしか、電話もかけられなくなりました。

秋のせいだろうか。

話なんかしないでいいから、とにかく、アテもなくぶらりと街をふらつきながら、笑い合いたいと切に願わずにはおれません。
返事なんかなくてもいいのです。見返りが欲しくて手紙を書くわけではありません。ただ、好きだって言いたがりなだけです。言えないから書くしかないのです。会えないから書くしかないのです。
それでも酔狂な友人たちは、この時代にわざわざ目には目を、手紙には手紙を返してくれます。
銀杏ボーイズのCDが手紙と一緒に届きました。
なんだか、いつもより沁みるのはきっと、

秋のせいだろうか。

おしゃ!センチメンタル全開でいきまっしょい。