2017年12月5日火曜日

三冬という時間の刻み方

ぼくが氷濤制作二冬目のとき、彼は一冬目。
「一冬だけだから」と、引き気味だった。楽しくなさそうだった。


氷濤エース:どるふぃん。この顔。わはは。
作業中でも手を止めカメラ目線をくれるサービス精神たるや。
ちなみに、これが「氷濤ツナギ」。
かつてはみんな愛用していたホーマック製品である。

ぼくは二冬をここで過ごし、カフェに挑むべく、温泉街へ向かい、三冬目のカフェである。
彼は夏は姿を消したり、一緒に働いたりもしながら、冬は必ずここに帰ってきていた。
どるふぃん、四冬目の氷濤。氷濤のために生きているよね。うん。


写真右上が彼。
ぼくは現場で上にいる彼を知らない。

一日24時間という唯一の公平性。どこに、何のために使うかは誰にも強制できない。

どこに身を置くか、置きたいか。選ばれるんじゃなくて、仕方なくの消去法でなく選ぶこと。
新たな展開を拡げる可能性を孕むのは能動的選択だけ。
楽しむのも苦しむのも、自分次第。
どんな自分でありたいか、全部、自分で決められること。

楽しく働く人を見るのがぼくは好きだから、どるふぃんはじめ、今日はそんな輩を見れてまっこと嬉しい。
ぼくはぼくの土俵で踏ん張るのだ。

やるなら中途半端でなく、どっぷり関わりたい特殊な仕事である。制作こそ氷濤の神髄よな。

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