2018年1月31日水曜日

平日の夜の2018氷濤まつり

無風満月。夜の撮影へ。


去年は一つだった「支笏湖ブルーの池」が棚田状に。
‥ななな、なんだ、このなまめかしさは!!!
そう感じてしまうぼくがおかしいのかもしれません、悪しからず。

土日はまつりっぽさは高まりますが如何せん人が多い。平日の夜なら人が少なく落ち着いて堪能できるのでお勧めです。

2018年1月30日火曜日

お菓子づくりというやつ


さて、昨日は子どもたちの冬のカヌー体験。
最後までみんなしっかり漕ぎ切りました。

さて、ぼくはというと、チーズケーキを焼き続けています。
今となってはレシピを見ずとも全材料のグラムが頭に、身体に刻みこまれています。


写真はカフェ準備中にはじめてつくった感動のチーズケーキ。

お菓子作りに興味も何もなくても、焼けるようにならねば、焼けるようになりたい、と本気で欲すると‥、人間って不思議。ものすっごい壁に感じられていることもどうにか越えちゃって当たり前になっていたりします。
趣味としては興味を持ったことはないけれど、稼ぐためのケーキづくり、となれば楽しいもので。自分がつくったものを人が口に入れる瞬間に立ち会う臨場感たるや。最初の頃はその場から逃げ出したかった。おっかないことにこっそり感想まで聞こえてしまいます。
「おいしい」って聞こえた日にはそりゃもう良い気分。ぐへぐへしてます。

とりあえず何もわからないなりに鼻息荒く向き合って。
できないことができるようになっていく快感。カヌーもそうで。
それが気持ち良さだけで終わらず生活を回すエンジンともなる。切り離すのでなく、「=」というのが重要。いかに寄っていけるか、寄せていけるか。
趣味というのは得てして独りよがりでいくらでも逃げ道があるものだけれど、それが換金化される、するということは、退路を断つ、ということで。

ま、つまり、結論としては、なお大先生あっての【かのあ】です、はい。

2018年1月28日日曜日

滴る汗とチーズケーキからの救世主現る


土日のまつりに一人で挑んだのは思えば初めてだった。
有り難いことにいつも友だちが手伝ってくれてきた。

ヒリヒリするのもよいけれど、とことんまで楽しむにはやはり、一人より、二人。
神はぼくを見捨てなかった。神はぼくに楽しんでほしいらしい。そう、救世主現る。

カヌーツアーは誰でもすぐにはできないが、飲食は生活をしている人ならできる。筋力がなくても、店に立つ体力と笑顔さえあれば。この間口の広さは他に類を見ない。ぼくはいつも狭いところにばかりいってしまうからとてもよい勉強。

どこにこだわるか、どう物事を処理するかは様々で、そういうのもまるまる、楽しい。
皿の物音を立てないようにそっと優しく棚に戻すふっくん。床の汚れが気になってひたすら掃除をするぱくちゃん。鍋の洗い方が徹底している親分。アバウトなぼくは彼らの徹底した仕事ぶりを見て我がふり直しながら今日に至るわけで。
一緒に働くのは楽しい。働きながらいろんな話をちょこちょこするのも楽しい。楽しみながら稼ぐのは楽しい。一石二鳥どころの騒ぎではない。楽しいことは分け合うのがイチバン。
まつりの楽しみ方、向き合い方は様々。
氷濤会場でマイクで売り子したのも楽しかったし、雪の歌をうたいながら除雪するのも楽しかった、スタッフ作業用のフェアリーロードをつくりながらくっちゃべるのも楽しかったし、コーヒーで人波にもまれるのも楽しい。冬のまつりは、何をしてもキツい分、何をしても楽しい。
身体は一つだけという制約がなければいいのになあ。

2018年1月26日金曜日

氷濤まつり2018開幕

まつり本番。市内は吹雪。支笏は天国。

昨日まで閑散としていたのに、どこに人は潜んでいたのかと毎度思う。


ウトナイ湖の愛され鳥。良いべべ着てたらサムクナイダネ。

一年中飲食やってる人はなんだか頼もしく妬ましくも涼しげな顔。
付け焼刃のぼくは雑魚もいいとこ。ド素人、ファイト―!

2018年1月25日木曜日

まつりの準備

明日、氷濤まつり2018(40周年)が開幕する。


photo by たんたん。


天候が最悪すぎたけど、最後の冷え込みで一気にいったらしい。すんげーきれい。


準備し忘れていることはないか。最終確認。ふっふっふ、余裕だぜーい。‥あ゛ー!?!
どたばたっぽい会場には行けなかった。
今頃みんな発狂して奇声を上げているのだろう。‥いや、時代が違う。そんな輩はもういないか。
まさるさんは元気かなあ。こーへーはいるなあ。たけさんはどこにいるのだろう。えとさん。にーちゃん。

制作のピークが終わると、(まつり会場内スタッフも相変わらず慌ただしいけれど)バトンタッチするように、温泉街のあらゆる店が今度は戦場となる。
小さな店での戦いは明日から始まる。代わってくれる人はいないから、とにかく一ヶ月汗をかきつつ踏ん張る。
途中には頼もしき助っ人も来てくれる予定で、無事に戦いを終える頃には、湖が凪ぎ出して、いつものように春が来て、店にみんな帰ってきて、ほっと一息つく間もなくカヌーに乗っているに違いなくて。

各々、自分の役割を全うするのだ。

2018年1月24日水曜日

「愛は恋より腹が立つ。愛は恋より、泣けてくる」


タイトルはハンバートハンバートの『家族行進曲』の帯より。
「悲しい」とか「痛い」とかにいらん評価を抜いてただあるがままに事実を観察し、「悲しい」とか「痛い」として存在させている。これはまさに、ぼくの進む道、NVC精神ではないか。

NVC=Nonviolent Communication=非暴力コミュニケーション。

「笑ってないと」「楽しいフリしないと」?
ベルクの迫川副店長的に言うなら「ゆらぎ」ある音楽。善悪とか白黒の間にあるのが、真実。
悲しいのも、いいのだ。


髪を切って戦闘に備える。
おまつりが終わったら、納豆をつくろうと思っている図。

2018年1月23日火曜日

できることぜんぶ


冬の雷。嵐。闇夜にまぎれて世にも不吉なコーヒー豆ドライブ。

水の上。
ツアーでは、カタコトの英語と日本語で、フユハカゼガツヨクテサムイサムイダヨ、今日はノーウィンド、そ、ユーアーラッキ!キンヨウビカラハアイスフェステバるだよ、ベリービジーだよ、オンリー13人だよ、ハードなんだよ、クリアウォーター そ、アオイしょ?

店の中。
難しい言葉を使わない方がコミュニケーションはうまくいく。
キモチイとかmottoとかソコジャナイ、とか。
目が合えばもうそれで分かり合える。それをいいことにしてるもんだから、ぼくの英語力は一向に向上する気配がない。
なんだろな、言葉は味方なのか敵なのかその時々で姿を変える。

店でもまあ、やることは変わらない。カタコトの英語と日本語、コーヒーと雑談。

自分には何ができるだろう。できるようになりたいだろう。
冬がなければ、ぼくにはカヌーしかなかった。
冬がなければ、ぼくはまだまだ自己に淫していたかもしれず、それはもう御免だ。自分のため、まわりのため。

2018年1月22日月曜日

雪国の人は今夜、東京を見下しています。

‥テレマーク用ブーツ、どっかに落ちていませんか!?

物乞い完了。どしどしご一報くださいまし。

下がってほしいときに気温が下がらず氷濤制作は本番に間に合わせるべく追い込み中。
制作部長と松澤先生はどっぷり現場にいるらしい。
良い顔だなあ。やりがいと充実感。ウズウズするなあ。Cafe(本番がピーク)と制作制作(今がピーク)とは闘う時期がズレるから、なんだか何とももどかしくもある。
何にせよ、楽しいと思うことをするのがやっぱり正解!

大雪警報が出た東京。
東京に雪が降ると、雪んちゅたちは今がチャンスとばかりにお江戸‥都をこけおろしにします。
うんうん、なめるなよってね。分かりますよ、でもね、知らないんだよ、雪で滑ったり雪が凍ったりすることは机上の知識で知恵じゃない。ホワイトアウトが日常茶飯事の国があるともまさか思っていないんだよ。
あそこは雪と関わりがない国だもの。車が無くても問題無い国だもの。一分で次の電車が来る場所で車を所有する意味がどこにある?自分以外の力に委ねるしかない国だもの。それが当たり前だもの。人は何でも慣れるから、飼い慣らされていることも当たり前。

天災というのは経験しなかった人にとってはたいがい「無」。
想像力でもってみんなが自分以外の遠くの人のことをも想い、寄り添い合えたら、色々すべては今とだいぶ違うはずで。
完全理解はできないとは思う。それでいいとも思っている。ただ、温度差を埋めようと互いに努めること。歩み寄ろうと試みる気持ちだったり行動・姿勢。
「相互理解」をぼくは大事にしたい人間なのかな、と。
「理解したい」と思うのと同じくらい「理解されたい」と強く欲しているような。
手応えっていうのは一人では得られない。
興味を持てず、また、持たれないことほど、寂しく、また、むなしいことはない。
笑うために、ぼくはぼくのやることをやるのだ。


さ、イメトレだ。「おいらんすべり」を夢見てがんばろ。

2018年1月21日日曜日

FREE AT LAST

ついに穏やかな土日が終わった。今週の金曜日から連戦が始まるはずで。
おっかないけれど、始まれば終わり、春が来る。
始まったら考える隙がなくなってしまうから、春のことを今のうちに少しでも考えておく。イメージイメージ。

シャッターを開けて閉めるまでに起こるすべてが未知だった一冬目。感情の分類・整理ができずよく泣いた。無事に春を迎えたとき、何だかぼくは生まれ変わった気がした。
二冬目、とにかく笑った。多幸感に満たされた。
三冬目。さて、知ってしまっているが故に始まるまでの時間がおっかない。


かのあトートの中には物書き:安達茉利子先生のトートをいつも忍ばせている。買い物袋だ。

キング牧師の言葉らしい。

FREE AT LAST



「ついに自由だ」。

カヌーもコーヒーも人も、そそられるのは、きっと「自由」なんだろう。

何にも煩わされずに、自分の好きなことをもっと好きになっていけそうな気がしている。






2018年1月20日土曜日

大寒の一粒万倍日、天空の湖からの素敵なお誘い


好きなことをしていると、好きなことがどんどんどんどん拡がったり増えたり深まったり、際限なく咲いていく。
カヌーは色んな「好き」をぼくに教えてくれた。
たとえば、道が二つに分かれていたら、「正しい道」より「楽しい道」を迷わず選べるぼくでいたい。

2018年1月19日金曜日

麹納豆を仕込む


麹を手でほろほろほぐす。
にんじん1本を千切りにする。大鍋にイン。
大鍋に醤油大5、酒大4、みりん大4イン。
一煮立ちしたら火を止める。
熱さが落ち着いたら麹100グラム、塩昆布30グラムイン、かき混ぜる。
さらにあら熱がとれたら、納豆3パックイン、かき混ぜる。
ゴマもイン。
一日一回かき混ぜて二、三日で完成。

発酵の嵐。
ご飯のお供に最高だなこれ。


写真の色味は悪いけれど。

2018年1月18日木曜日

町の楽しみ


千歳に出るときの楽しみ。千歳川沿いワシウォッチング&双眼鏡実地練習。しっかし難しい。
この頃つるむ姿も見るような。活発なのはあたたかいから?

近々インドへ修行にしばらく出てしまう「シャンディ―」@長沼。悲しいかな春まで食べ納め。しかし、きっとまたおいしい味を見つけてくるんだろうなあ、ワクワク。ついて行きたいくらい。初めて食べた辛口カレーの調合に身体がびっくりして、不思議な調子に。身体が感応するスパイス調合の共通性はどこにあるのだろう。
びっくりついでに「ファミリーツリーカフェ」@長沼のおにーさんをクスッと笑わせることに成功したらレモンケーキ(これまたうまい)を手土産に、南幌の真面目なパン屋南幌・食のパレット a・i・u・e・oへ。
冬休みということで金兵ファミリー全員集合!面白すぎる。人が一番の商品です、あい。

先日の冬森遊びのときにもここの「豆パン」を行動食に持っていったんだけれど、自然な甘さは自然の中で食べるとものすっごいおいしいのだよなあ。じんわり。

‥「南幌かあ、ちょっと遠いなあ」と思ったそこのあなた!
氷濤祭り期間中は、支笏湖のマフィン屋・【ペンネンノルデ】で【a・i・u・e・o】の「ひまわりレーズンパン」(ドライフルーツとナッツたっぷり。甘味はドライフルーツの甘さのみ!)も食べられるみたいだよ。わーお!アンビリーバボー!!
嘘をつかない小さなお店はつながるわけだ。

2018年1月16日火曜日

どこへ行こう 何をしよう

戦闘の前に雪遊びがしたい。当たりまくってるニセコ?岩見沢?
うーん、‥‥やっぱり、支笏湖。ここを知りたい。


人間ってのはすごいもんで。道具さえあれば漕いだり滑ったり何でもできる。
知恵の使い方を見失っている妙な世の中ではありますが。
スノーシューには面白くない雪。本日お借りした相棒・【スキーシュー】(歩行◎/登り○/滑り△という感じ?)なら楽ちん。足上げ不要。がに股(スノーシューは横幅があるので、いつもの歩き方はできない)にならんでよし。滑って稼げもするという。

ああ、スキーワールドの楽しみ方の幅の広さはカヌーに似ている。
カヌーはのんびりも激しくも、キャンプも釣りも、一人でも二人でも仲間とでも、何をしてもしなくてもよい。
テレマークの世界観は、カナディアンと似通っているとニセコの大先輩が言っていたなあ。どちらも道具に無駄がない。シンプルな分、乗り手次第、腕次第なんだって。
石川直樹さんの本に「全ての装備を知恵に置き換えること」というのがあるが、この言葉通りの世界感なんだろう。
カヌー、テレマーク、釣り。この三つはなんだかそれぞれにヤバい世界。


登って歩けて滑れたら、もう楽しい。
夏は決して立ち止まらない場所。雪の魔法がかかるとあら不思議。


「karhu」。
岩見沢の遊び人の教えに従い、スノボ用ソフトブーツを合わせてみる。グリップ感良好。相性良し。

2018年1月15日月曜日

冬はザワークラウトを仕込む


雪のない国では「雪」といえば、=白い。=寒い。=楽しい。「雪」という一文字にも様々あることが常識なのは雪国だけ。
最高の「雪」があれば最低の「雪」もある。「雪」なら何でも喜べるわけではないのだ。

最も煙たがられる雪。雪と雨の間、超雨寄りのぎりぎり雪。人はそれを「BETYAYUKI」と呼ぶ。
氷濤まつりには‥NO MORE 暖気!!!!!!

そう叫びながら冬と言えばのザワークラウトを仕込む。
和寒の越冬キャベツをざく切りして塩もみ(キャベツ重量の2%の塩)、キャラウェイシード、ジュニパーベリー、ローリエ、クローブ等のスパイスを揉みこみ、ぎゅっぎゅと保存ビンに詰めラップ、重しをのせて水分が上がるのを待つ。ぼくは一晩ほったらかす。
水分が上がったら重しを外してラップの上から軽く蓋。常温で数日乳酸菌発酵を呼び込む。
完成すれば半年ほど持つ。
育てる。寝かせる。毎日観察しないと分からない些細な変化を逃してなるか。
ちまちまと面倒臭いことがどうやらとっても性に合うらしい。
ザワークラウトというのはドイツの保存食で、日本語なら洋風漬物というところだろうか。これがまたおいしいのだよなあ。

2018年1月13日土曜日

天国のような湖

落ち着かない。こんな日に遊びに行かないなんて信じられる?
ぼくらの職場、like a heaven.
浮足立つなと言う方が土台無理ってなもんで。


「電線が気になるね。もったいないね」と友人に指摘されるまで気にならなかった電線。そう言われてみれば確かに。勿体ない。
「ニセコ町は電線を埋めてるんだよ」と聞き、スキー場に向かってみると、本当だ、そう言われてみれば確かに。
人の数だけ景色がある。世界がある。同じ場所にいて、隣にいる人と自分の目に映る世界が同系色とは限らない。
だからこの世界はオモシロイわけで、はずで。

美しい湖。いつも寄り添ってくれているみたいな気になるなと言う方が無理ってなもんで。どんな支笏も素晴らしい。どんなぼくらも素晴らしい。称え合って生きていこうぞ。

命を大切にしないやつなんて、大っ嫌いだ!!
byテルー(ゲド戦記)


2018年1月12日金曜日

「おなじ話」ハンバートハンバート


年末、素敵な唄を教わった。


ハンバートハンバート。夫婦の掛け合い。

「どこにいるの?」「なにをしてるの?」「どこへ行くの?」「そばにおいでよ」

寂しいってのは、何でか、何だかいいんだ。

2018年1月11日木曜日

お金・言葉・心の波を乗りこなしたい2018

以下思考整理の独り言。面倒くさいので読み流してね。


写真は「野々傘」の冬季限定メニュー。肉たまカリーうどん。どろりっち。


目を閉じて、まあるい円を描いてみる。
その円の五倍の大きさの円を想像してみる。
線の違いに愕然とする。
それでもきっと、それよりさらに、五倍どころではない円がさらに大きく描かれていたに違いない。

主観と客観、自己と他者のズレについてのお話。
沢木耕太郎は「自己に淫する」と言っていたが、若いときは多かれ少なかれ皆「自己に淫する」はずで。
ぼくの場合はそれが非常に激しく、また、長期に渡っていた。

人からどう思われるか。どうでもいいとずっと思い、言葉にしてきた。
「どうでもいい」ということほど、ものすっごく気にしていることであることにも気付いた。言葉の使い方を間違っていた。ぼくは言葉を全部裏返して使うことに慣れ切っていた。
いいかげん、これから先の人生は自身の感情を認めてあげることにする。きっと、強がりなだけだったのだろう。諦めていたのだろう。
耳をふさいで、とにかく、自分の声ばかり、声だけ聞こえるように。
人の声を聞くことがこわかったからなのかもしれない。現実を受け止める準備が整っていなかったのかもしれない。すべては、曖昧な記憶だけが手がかりなので仮定でしかない。

とにかく他者の目が、声がこわすぎて、対処するためにとった戦法は、すべてを無に帰す「見ないふり」だったのかなと、ようやく今振り返って思う。ぼくはあまりに弱かった。

誰かに刺激される感情に夢中で、ぼくの存在が誰かに与えていた感情というのがあるなんて、あるかもしれないなんてこと、まさか夢にも思わなかった。

世界の色は変えられる。自分が変わってしまえば世界がついてくる。
置いていかれるか、世界。むしろ、置いてく勢いで、世界。

2018年1月7日日曜日

知らないことを知ってみたい~石膏ボード編~

店ができてからずっと、不可思議だった石膏ボードというやつと向き合うことにした。
「分からない」というのは、あまり気分が良いものではない。
ぼくは君のことが知りたい。君と仲良くなりたい。教えてほしい。‥ノックノックノック。うーむ。音の違いにイマイチ確証を持てない。叩きすぎて手が駄目になりそうだ。
そうか、ぼくは人間だ。道具に頼ろう。そうしよう。
どんな世界も、まず、道具がオモシロイ。
石膏ボードと仲良くなることも忘れ、道具選びに熱中したここ数日。


さて。
左から
1
壁ロック(→商品名。別名「ボードアンカー」である。石膏ボードは脆い。普通のビスでは固定されない。困ったときはコレらしい。これをドライバー一本でねじこんで、そこに普通のビスをはめる。摩訶不思議。なるだけ下地があるところに使った方が良いとのことである)
2
スピードミニ(「ボードアンカー」を使わずに、脆い壁自体を強化するコペルニクス的転回風グッズ。革新的アイディアに思わす入手してしまった。普通のビスで打ち込み可能となる。強度も十分とのこと。)
3
下地探し ドコ太(4のセンサーで大方の目安をつけたら最終チェックとして細い針を刺してダブルチェックするアイテム。穴は小さいが空いてしまうので多用は避けたい。鉄にも反応するタイプをチョイス。針が通れば中は空洞。針が通らなければ下地あり。しかし、力次第でどこにでも針が通ってしまう気がするのは経験不足だろうか?現時点ではあまり信用できずにいる)
4
下地センサーsuper(電池式。壁をなぞると、下地の木材があると思われるところに反応する。結構的確な気がする。とにかく、楽しい。)

おかげさまで、カーテンレールの固定に成功した。
いつ落ちるか不安で開けることのできなかったカーテンが開けられるようになった。
些細なストレスに人は慣れるが、ストレスの芽は早めに摘むに限る。

昨日までできなかったことができるようになる、という分かりやすい進化という名の喜び。
今日は壁ロック記念日。

2018年1月6日土曜日

すけすけパンツを思い切って捨てた

しょぼい下着を履いていると人間もしょぼくなるらしい。
病はパンツから。‥ということで、
昨夜、履き古して非常にセクシーになっていたパンツを一枚、思い切って捨てた。
2018年。どんとこい。

様々において冷静に、客観的に物事を見つめることー自分との対話の時間を持たずに、「やらなければ」、「すべき」という義務・使命感に支配され、
ここでも飽きるほど書き連ねている「誠実」であること、目の前の人を大切にすることをぼくはおざなりにしすぎていたのかもしれない。
あらゆる場面において、質を守ることは、ぼくがせずにはいられないことではあるが、けっして義務ではない。

まあ、何というか、年末年始の間に新たな階段が目に入ったところで。目から鱗というやつです。新鮮な驚き。
まずは視界に入らないと階段は存在しないのと同じ。存在しないと上がれません。
より良い眺望を得るための好機と見ているわけです。

コチラは楽しげなヤツ↓
大滝クロカンスキーコースが今季オープン【伊達】




2018年1月5日金曜日

田舎のパン屋が見つけた「腐る経済」渡邉格

『田舎のパン屋が見つけた「腐る経済」タルマーリー発、新しい働き方と暮らし』
渡邉格(わたなべいたる)/講談社/2017.3.16


ふらふら暮らし、30歳でパン屋になることを決意した著者。
マルクスの経済論を持ち出しつつ、「天然菌(純粋培養菌の逆)」によるパン作りと向き合い、「腐る」ことで生命の営みが成立する自然界の法則に反した「腐らない」おカネが資本主義のおかしさをつくり出していることについて。経済についても分かりやすく書いてくれている。
働き方、仕事との向き合い方。大事なことは何か。

ああ、そうだよな。うんうん。
1「無銭経済宣言」→「2 月極本3 好きなお金嫌いなお金」→この本。
お金考はこの本をもって、ひとまず終結することにする。

・どんな小さなことでもいいから「ほんとうのこと」がしたい。自分が正しいと思えることをして、それを生活の糧にして生きていきたい。

2018年1月4日木曜日

『月極本3 好きなお金、嫌いなお金。』YADOKARI

詳細はこちら→月極本


この本を北海道で取り扱っているのは、「ペンネンノルデ」というおかしなマフィン屋さんだけ。‥お菓子お菓子。
ギフトエコロジーの話をするソーヤー海さんの世界観はこの本の前に読んだ「無銭経済宣言」マーク・ボイルに通ずる。

システムから脱しようとすればするほど、大きくなっていこうとすると、システムにとっつかまる矛盾と向き合いながら進むYADOKARIは今後どう展開していくのだろう。

お金の捉え方や使い方、向き合い方は人それぞれ。何でもそうだ。

ぼくが好きなのは好きなことで稼いだお金。好きなことで得たお金というヤツは一万円を五万、十万円にする。有り難みが違うのです。

2018年1月2日火曜日

ハードな除雪2days


支笏湖、湿り雪。二日で30センチほど?
除雪のしがいありすぎ。
千歳市内、なんてことない。


店前、カヌー、桟橋、‥除雪除雪除雪ー!
ジョンバー(誰にでも通じない)、ダンプ。
しかし、どうして、北国は31日からおせちを食べ始めるのだろう。

自分の「当たり前」が世界の「当たり前」ではないかもしれない。
それを念頭に置きつつ暮らせば、何か変わっていくかもしれない。
常に意識は開いておくことを忘れずにいたい。

「社会」を変えたいと思い、二冬費やしたことがある。
結局、何にでも反対するネガティブな世界がしんどくもなり、周囲の大人たちの説得力のなさにも疑問を感じ、この手法だと生きている間に希望は見出せそうにないと判断を下した。
自分が変わった方が早いし面白い。楽しい方が性に合う。行動で示していこうと街を見切った。

誰かを変えたい、こうなって欲しい。
二夏取り組んだが、これもまた「社会」と同じことが言えるのでは、とこの頃気付いた。
結局、自分が変わった方が早いし、面白そうだ。

というか、そういえば、正月っぽい御馳走にありついたの、随分久しぶり。

2018年1月1日月曜日

変わるもの、変わらないもの

信念。おっと、新年。あけましておめでとうござい


‥ふぃん。

ふぃんといえば、どるふぃん。

年をまたぐ前に夢の中でした。

2018。重たい雪の除雪から始まった元旦。除雪車がいつもより遅いので、あちこち車が立ち往生。
雨っぽいなあ、ううむ。どうしようか。ううん。頑張らせてください。


‥ということで、どうにか雨にはならず、風のない湖面で元旦カヌー整いました。
振り返れば出会いは2012年。彼は自転車で札幌からやって来た。
天真爛漫チャリダーズとshake hands

冬の湖でのツアーを本格的に動かすのは、今冬が初めての試み。
思考錯誤しながら、個人事業の最も良いところと思われる「フットワークの軽さ」を武器にとりあえずやってみてから考えてを繰り返していく中で、出会う人があり、離れる人があり、ずっとつながる人があり。どれも人。どれが悪いということは何もなく。
人の流れ、川の流れ。溜まり続けては淀むかもしれない、変わらないことが良いばかりでもないかもしれない。ただただ、不自然や無理は排して、自然に任せ、見極めて、目の前の流れを何より大切に。

できるようになりたいけれど、今はまだできていないことが沢山見つかった2017年。今年はひとつずつ、それらを現実化していく年。
今年も宜しくお願いいたします。