2016年10月31日月曜日

祝いの御馳走

座りながら、足を動かすこともせず、ただ、箸を動かすだけで、非日常へtripできたならそれはなんてなんて素晴らしい経験だろう。


幸せはどこにある?器の上に宇宙があり、調和・平和が感じられる。

「おいしい」って不思議な感覚。生まれ育った環境、積み重ねたちっぽけな歴史が確かな舌を形成する。何を「おいしい」と感じるかは人それぞれで、どれも当人がよければそれでいい。

料理、面白い。

良いものに出会わせようとあちこちに連れて行ってくれた両親に感謝。
ぼくの好奇心の素はあなたたちのおかげでしっかりたっぷり養われています。

素材の味だけではなくて、大事なのはきっと切り取り方であって、間合いだったり順番であって、見せ方であって、佇まいであり、仕草でもあり、人柄も相まって‥それはカヌーツアーに通じる技術でもあって。

何事においてもぼくは無駄をそぎ落としたシンプルなスタイルに強く、強く惹かれる。


Happy Birthday
Happy Valentine
Happy Xmas
Happy New Year
なんでもいいや ふたりでいたい
ただそれだけ
何食べよう
何を見よう
何をしよう
とりあえず出かけよう
君を放しはしないよ

ウルフルズ「ぼくのもの」より

2016年10月30日日曜日

今年最初の白い花

やけに明るい朝。地上に咲き誇る白い花。

ウズウズソワソワわっくわく。
ぼくの越冬歴なんざ薄っぺらいものだが、何度味わっている人にも、最初の雪はどうにも胸が高鳴るものであるらしい。



珍しく風もなさそうだ。けあらし立ち上る冬の朝。
いそいそと漕ぎだす準備。あれ、先客がいた。


そうそうその顔、その笑顔。
難しい顔をして一人で抱え込むより、馬鹿なぼくらは素直に笑い飛ばしてしまうのが最良。
ぼくらはひとりではないし、どうせ敵わないんだから。自然にも、女の人にも。

とにかく「笑えれば」
byウルフルズ。


秋と冬の間に取り残されないよう、ただ、ひたむきに前を見る。見ていたい。


何もかもを肯定していきたい。大切なものを手放さずに。


春から夏、秋、そして冬へ。


誰のことも気にせず、自分のペースで漕ぐ至福の時間。この喜びをまずは感じるところから。
はじまりはいつも、ここから。


すべてはより良いツアーのため。むふふ。

2016年10月29日土曜日

いつもカヌーに積んでいる気持ち

外にいるだけで消耗する季節がやってきた。


それでも、ぼくらは、なるだけ、精一杯、ひたむきに、カヌーを漕いでいる。

それは誰のため?
お客さん?それもある。せっかくなのだから感じさせたい。

かのあのため?それもある。心配をかけまくってきた恩がある。

でも、きっと、誰かのためだけでは漕ぎ続けることはできない。
漕ぐこと。それは誰より何より、ぼくら自身のためなのだろう。
漕ぐことでここまで生かされてきた。

漕ぐこと、暮らすこと。水と陸。夢と暮らし。愛と夢。自立と共有。
相反する二つの世界をカヌーはゆるやかに繋いでくれるのだろう。
動力は技術より何より、覚悟だったり、精神性、誇り。
対自分、対ヒト、対水、対森‥。言葉を介さずともあらゆる[生命]とコミュニケーションを取るための道具として、カヌーより適した乗物をぼくは他に知らない。
年がら年中崇拝しすぎて囚われている「言葉」というツールが無力化する。水の上では「感じる」だけが正解。信仰してやまない神さまが地に落ちるような。そういった敗北、背徳感がまたたまらなく良いのだ。

訳の分からないことはいくらでもある。
それでも、全部ひっくるめても、何がどうであれ、この世界は美しい。この世界は素晴らしいと、ぼくは肯定したい。ぼくを肯定されたい。
生きていて良かった。何よりも気持ち良くさせてくれるカヌーという乗り物にめぐり合えた者の果たすべき役割。
すべてが一極に集まりつつある。ぼくらは幸運だ。

2016年10月28日金曜日

愛する花にしか水はあげられない

愛する花に水を
枯れないようにやさしさを
太陽の下で笑い
正直な心 素直な言葉


モンゴル800「愛する花」より。

ぼくらは神さまではない。愛するときには大なり小なり期待する。愛する花の成長を。逆に期待をかけない愛はない。
それが花のためであり、それがぼくらのためでもあるはずだと信じられないもののために、わざわざ水を汲みに行くことはしない。
育たないものに、価値を分からぬ者に水を無償で提供し続けられるほど、ぼくらはできた人間ではない。
何がというか、真実がどこにどう転がっているのかはどうでもいいとして、ただ、とことん、虚しい。悲しい。
水をくれと花に請われたわけではないけれど。
信頼関係は一日では築けない。地道に積み重ねていくしかない。しかし、壊れるときはいつだって一瞬。壊れるほどのものは成立してもいない、か。
頭を捻り悩み考え続けた日々は何だったのだろうか。徒労。
1000歩退いて、ぼくの心はこの際だから別に良い。
ただ、ぼくの大切な人の心、好意だったり厚意を踏みにじるような行為を見過ごしてはいけないのは確か。

気をつけてはいる。ぼくは過度に人に期待する傾向がある。距離を詰め過ぎる。人を好きになりすぎる。おかげで、反動も大きい。期待しすぎて結果、よく失望している。期待するのも失望するのも、ぼくの勝手。

ぼくら野郎共は愚鈍な分をカバーすべく、ありったけ誠実でないといけない。

何があっても受け入れ、生きねばならぬのだという静かだけれど、圧倒的な母性を持つたぐいまれなる背中をこうして眺めたのは何年ぶりだろう。相変わらずここで会えるのが嬉しい。



2016年10月26日水曜日

はまだくんが今年もやってきた

たったひとりしか友だちを持てないとしたら、ぼくは迷わず、はまだくんを指名する。


良きも悪きもを互いにさらけ出してきた。

上っ面だけで都合よく適当な嘘を重ね誤魔化し笑い合う、そんな薄っぺらい間柄は、仕事上でもプライベートでも勘弁。

純度の高い関係性しかぼくは欲していないし、守る気もない。




2016年10月23日日曜日

友人接待からの湖炎祭2016

湖炎祭当日。
午前、準備部隊とツアー部隊の二部隊編成。
ほーりーとそれぞれにツアーへ。


東京、アースデーから早三年。
「パドルトーク」という言葉が偉く気に入ったご様子。
北海道といえば‥でぼくを思い出し、軽いフットワークでささっと足を運んでくれる友人たちに感謝。

ぼくのガイディングのモチーフは大切な人たちとの時間。


そこから、クローズ後のモラップキャンプ場へドタッと移動。


‥「おおおお!!こ、これはっ!」

現場に着いた途端、なおきさんの気概だったり、みんなの頑張りが見えた気がした。

今のぼくには店を守ることが一番の仕事である。一心同体である。ハウルの動く城である。
日々の業務に追われ、準備に関われなかったおかげで、完全燃焼とはいかないが、いつもより客観的にかのあ初の試みであるキャンプイベントをよりゲスト目線で体感したという意味では非常に興味深い二日間。

できなかったことができるようになってきている。それは個人の話で収まる話ではないこと。
【かのあ】のこれからに、ぼくは期待している。

「ツアーは始まる前から始まっている」
by矢吹全氏


音で遊ぶ夜。左手には「JAMESON」お湯割り。寒い夜はウィスキー。



「何でかのあに?」

それを聞きますか。聞いてくれますか。

暑苦しくならないように簡潔に済ませるのは不可能でしたとさ。



人の評価が欲しくて働いているわけではないけれど、日の当たらない仕事を認められるのは酔っぱらってても嬉しい。


午前。強風のため、ホームリバーへ移動。松澤家はアリー。


どんな仕事をしていようと、カヌーの面白さは共通言語。


2016年10月22日土曜日

湖に抱かれて

(photo by Chika.O)
いつも、ありがとう。もう、一言で言うなら、これしかない。誕生日、おめでとうというか、出会えて嬉しいからやっぱり、ありがとう。

BGMは、ウルフルズ「39」で4649。


心離れや波立ち、ありとあらゆる心の揺れに、いつも誰よりも寄り添って見守り、時に叱り、嫉妬され。
あなたのそばを離れないといけないのではないかと本気で考えたことがないわけではない。しかし、それでも、今、こうしてぼくは変わらずあなたに抱かれ続け、積み重ねてきた事実に満足している。

自分の心を偽り、犠牲にし、くだらない常識やマジョリティの意見を聞き入れて「普通」に馴染もうとしたなら、ぼくは自分を大嫌いになるところだった。
誰だって肯定したい、されたい。してあげたい。
好きなことを否定されることは自尊心や自負心を簡単に奪い去る。それは他のどんな行為よりも罪深いことであり、アイデンティティの侵害はどんなに近しい人、たとえ恋人や家族であっても許されるべき行為ではないはずだ。好きな人の思考・人生を囲いこむことは、大罪だと声を大にして主張したい。本当に好きならば、「解放」っていうか、「開放」に向かえる。誰も誰の所有物ではない、なり得ないということを、愛はそれっぽい言葉でしれっと捻じ曲げる場合が多々あるから厄介だ。それは愛ではない。人は物ではない。対等でなかったら、何様よって話。

誰に何を言われようとも、思われようとも、パドルを手離す気等ぼくには本当のところ、全くなかったのだろう。
好きなものをこの手で掴むことを放棄したなら、他に何を掴めというのか。お金?常識?成功?名誉?肩書?そんなものはどうでもいい。手持無沙汰では手がみじめ、空虚。
物事には二つだけ。気持ち良いか、気持ち良くないか。気持ち良いことだけぼくはしてきた、していってやる。

生きている実感をありありと与えてくれるのは、「好き」だけ。


ぼくも少しは大人になった。夢中でなくとも、許し合える関係になれたと思っている。心離れとはまた違う。もっと良いもの。ぼくは人であり、あなたは湖であり、それはどうしたって変わらない。
あなただけだったぼくの暮らし。それもひとつの幸せ。
好きな湖で悩み、悶えながらも、ただただ浮かび、感じ続けていく日々の中で、ぼくはどんど、大切なことを陸の上でも見つけていけた。探し方を教えてくれたのは、誰でもない湖。

すべては、湖が美しかったおかげ。
ずっと寄り添ってくれた湖のように、守りたい笑顔がすぐそばにある。

2016年10月20日木曜日

サヨナラ、秋

10月18、19日。
いつ素晴らしい夕方になるかはそのときまで分からない。風はどうだ。そろそろ来ちゃう、まあいいか、たまには波にも揉まれたい。
予定は立つはずがない場所。そっちの都合に合わせるだけ。ちょっとお邪魔させてよ。

自分の都合なんざ。無駄なものはどんど、削ぎ落として。「軽さは正義だ」(byホーボージュン)。
街では都合だけで動ける。都合は街でしか通じない。都合は街に依存する。
何にもできないぼくのまま死にたくない。
街ではなく都合でもなく、何より自分を頼りにしたい。自分に依存するのが最も健全だろう。


日が沈んでしまった。秋は余韻を楽しめばいい。まだ間に合うよ。


夕日は西へ。暮らしに沈んでいけ、ぼくら。

2016年10月18日火曜日

いつも美しい、けれど、きっと、多分、今日がピーク


【生命】、「イニュニック」が燃えた日。


水の上から、振り返る。いつもの光景。切なすぎる夕方の光の中で、すべてが愛おしい。
ぼくの職場。毎日、ここで浮かび続けてきた。

友人たちがはるばるやって来てくれる。何度もやって来てくれる。何を言われるよりも、嬉しい。
言葉ではないのだ。心は足とつながっている。
ぼくの好きな場所をみんなが、「いいところだ」と言ってくれることが嬉しい。

日々のツアーは特別な人たちをもてなす際の練習といっても過言ではない。


新緑の時期が支笏は美しい。
しかし、個人的には切なく物思いにふける秋が一番やはり、好きかなあ。


今日もよく生きました!

photo by Chika.O




2016年10月16日日曜日

ニューバランス


秋。日曜日。久しぶりに20℃。暑い!

ガイドとして。
店番長として。



モードが違いすぎる。
冷静と情熱。
どちらもフル回転させるのはさすがに疲れた。
器用とは言い難い。視野狭窄型。年を食ってきたおかげで少し広がった。
どちらかだけでは物足りないのがぼくだし、
どちらにおいてもうるさいくらいの理想がある。
二兎を追うものは、一兎も得ず?

ぼくは諦めない。欲しいもの全部手に入れてやる。



2016年10月15日土曜日

冬支度「一生愛せる消耗品」

店と一体化してのソロ活動となる二年目の冬に備え、気持ち良い普段使いの靴下に出会いたいなあとぶつくさ念じていると、
履き心地の良さげなアースカラーの靴下に出会った。

暮らしが変われば、使うものも使いたいものも変わる。
ヒリヒリしっぱなしの心を支える足元だけでも、優しさに包まれていたい。

冬の外仕事といえば‥の「氷濤マン」であれば、この靴下は決して履かないだろう。

Rototo】 
MADE IN JAPAN 奈良県産。

「RoToToは上質で快適な履き心地にこだわった
「一生愛せる消耗品」をコンセプトとした
メイドインジャパンの高品質ソックスブランドです。」(HPより)


キャッチ―すぎるコンセプトだけで既に心を掴まれてしまった。


左:DOUBLE FACE SOCKS 右:DOUBLE FACE SOCKS “SILK&COTTON”



SP thanks mile(江別)。


2016年10月14日金曜日

home river

10月、突っ走ったご褒美は、美味しい御馳走よりも、澄んだ水。

濁った支笏を見続けるのは勿論、そこへお客さまをご案内するというのは、美しいもの・人好きとしてはやはり堪えるものがあるのだなあと、清流・千歳川に浮かび、自らの躍る心に気付かされる。



好きな人の一番いいところをぼくらはカヌーという視点から得、提供している。
好きな人の最高を独自の観点ではあるけれど、そばで見てきて、それを自慢することが仕事である。
思いっきり愛を唄えなくなる秋。
「こんなもんじゃない」。悔しさは常に付きまとう。
単純に、好きな人の乱れた姿を見るのが心苦しいということもある。
他の人はどうでも、自分の好きな人にはいつでも、きれいであってほしい。それはぼくらの、‥ぼくの単なるエゴかな。
ここ数年、受け入れられるようにはなってきたなあ。

※勿論、お客さまは秋の支笏湖でもその美しさに大満足してくれているので悪しからず。


夕方のような千歳川の紅葉に見とれる朝。

2016年10月13日木曜日

ウィスキーお湯割り


焚火といえば、ウィスキー。


ベタなのがいい。分かりやすいのが好き。
寒い日の夜長はウィスキーをチビチビ飲んで身体の芯からあたたまろう夜。

2016年10月11日火曜日

北海「道人」と念願の「東千歳」と

長いこと熱望していた「みんなで行こうよ、東千歳バーベキュー」企画。



埼玉からヒッチハイクでやってきた若人も一緒に。
左の北海「道人」は、なおさんの家族。

18歳。ぼくは28歳。
この10年間より濃厚な時間はこの先ないのではなかろうか。

18歳。東京。
水の上で味わえる気持ち良さは既に知ってしまった。カヌーガイドになろうとも決めていた。

ひとつ、覚悟を決めてビビりながらもえいやと歩き出した頃。
「常識」や「既成概念」は決して「心」を越えない。


久々、ビール片手にぽつりぽつりと語らうオヤジと息子。


過去の自分に恥じない生き方がしたい。
恥じないどころか「どんなもんじゃい」と自慢したくなるくらい、誇り高くありたい。

毎日笑いながら暮らせているのは、過去の自分がどうにか踏ん張ってくれたから。
ぼくは過去のぼくに「ありがとう」と伝えたい。
どんどん生きやすくなっていくから大丈夫だよ、ヘタクソでいい、誤魔化さないでいい、自分のペースで思ったままにいきなさい、それでいいんだよ、と背中を押してあげたい。


「いつか」に戻る気は毛頭ない。

結局いつも、最後に残るのは、「すべてに感謝」だけなんだよなあ。


‥出たな!気をつけて!

回顧主義に浸ってしまうのも若人の効用、か。

2016年10月9日日曜日

支笏湖紅葉まつり2016


快晴、たまに雨。店内の気温計は、13℃。
強風のため午後ツアーは一切の迷いなく中止の判断を下した。
いつだって中止の決断をするときは悩みに悩んだ末に決めているが、今日のようにこれだけ風が吹けば諦めもつくというものだ。
ぼくら人間の能力なんて、自然の中では何てことない。
外に出ることで、畏れが生まれる。風も水も流れも、森も、すべてはおっかないほどに美しい。おっかなければおっかないほど美しい。美しさはおっかなさ、だ。
陸地ではすぐに枯渇する謙虚さを胸に刻み続けるために、自分たちの微小さを知るために、ぼくらは外に出るのかもしれない。
「足らない」事実をあるがままに受け入れることで、「足るを知」っていく。


写真は礼文の漁港から望んだ利尻富士。
海と空の青がこの島ではひとつ。水と山。青と緑。花と海。利尻と礼文。バランス。相性の良さでこの二島に敵う場所は他にないのではないか。それぞれに趣の異なる魅力的な島は単体で在っても成立するけれど、すぐそばに二つの島があることで、より引き立て合う、馴れ合わずに足を引っ張り合うことも一切なく「寄り添い、高め合う」最高級の信頼で結ばれた理想形がこの二島にいるとひしひしと感じられ、それが夢の世界の間柄ではなく、実在する独立した関係性であることがぼくに希望を与えた。
理想論では終わらずに、奇跡のような現実が起こり得るかもしれない。

利尻にとっての礼文。
ぼくは利尻に憧れて利尻に近づいてみた。そばにいったらさらに利尻に憧れた。
利尻にとっての礼文の存在の意味も近づいて初めて分かった。
二つは、二人は、完璧だった。こんな二人をぼくは今までに見たことがない。アダムとイブとかジョンとヨーコとか、それくらいかもしれない。

ぼくは利尻になりたい。
ぼくにとっての礼文はどこにあるのか。いや、ないのかもしれない。もし、あるのならばそれは、何なのか、どこであり、誰なのだろう。

遠くに出かけなくても分かることはいくらでもある。移動距離はステータスなんかじゃない。何か国いったって人は愚かなままだ。すごくない。
生まれ育った場所で死ぬ人の方が世界中を旅した人より真理を掴んでいたり魅力的であるケースはいくらでもある。暮らしを超える旅なんてありえない。「旅人」なんてかっこよさそうな言葉より「通行人」の方が的確だとぼくは思っている。
でもやっぱり、ここではないどこかに行くことでぼくの思考はグッとシンプルになるのも確か。
守りたいことは何か、会いたいのは誰か。

眼下に拡がるこの世のモノとは思えぬ素晴らしき夢見心地の大展望。この景色を見せたい人がいる。


脱線しました。
テイクアウトモードがシステマチックに、円滑に動かせていることを改めて確認。
コーヒーの味さえ決まっていれば、誰でもが店員となれる。

「ピンチになったらきっと助けに来るよ~♪」by とんねるず 「がじゃいも」より。
‥ではないけれど、みんなで共働する、できるというのは、面白い、楽しい。

飲食は「力」ではない。
カヌーも「美しさ」だったり「滑らかさ」だったりであり決して「力」一辺倒ではないところが良い。
ぼくはそういった、凪の湖面のような「水平性」フェチなのだろう。
誰も偉くない。誰もすごくない。ぼくらは皆素晴らしい。ぼくも、あなたも素晴らしい。
それだけでいいはずだとぼくは信じてやっていく。

2016年10月8日土曜日

いっそのこと雨が降ってしまえばいい


午前。今にも降り出しそうなのに今すぐには降り出さない曖昧な空。
何もかもが重たくのしかかる。髪の毛が重たいせいもあるかもしれない。
いっそのこと雨が降ってくれたら楽だのに。
そう念じていると、思いが通じたのか午後ツアーしょっぱなから雨に当たる。
しかし、水の上はいたって平和。陸に上がるとまた雨が降って、ぼくらは笑った。

久しぶりにツアーに出た気がした。


※【sea to summit】
海抜0mから1,721mへ重力に歯向かい歩いた利尻にて。
新相棒:ダナーライト。山での勝負パンツは新井場隆雄氏に感化されて速買いしたホグロフス(2008年物)。
パンツのポッケのチャックは壊れたままだし、社会の窓もオープンマインドすぎるけれど、お気に入りを身につけるというのは、精神衛生に一番の効果を発揮してくれる。機能性も大事。でも、それだけでは足りない。

好きなものを着よう。


明日は支笏湖紅葉まつり。

三大欲求のバランスが見直される時期でもあるのか、何だかどうにも抗いがたい秋なのである。
身体は季節に追いつこうといつでも健気でいじらしくて仕方がないから、かわいがってやらないといけないのだが有り難いことに毎日忙しい。

2016年10月7日金曜日

ルーカレーが嫌いなだけだった

毎日、寒い。風がおっかない。髪が伸びて野暮ったい。
しかし、カッコ悪いというのもこの季節なら悪くない。


飲むと吐くぼくの頼もしき相棒。酒は飲んでも飲まれるな。尻は揉んでも揉まれるな。飲まれてばかり。いつになれば大人になれるのだろう。

モンベルのジオラインアンダーウェア薄手大活躍期に突入。
寒いので残念だが靴下を履きだした。
安物は足が蒸れて不快だ。
ウールとかコットンとか、安くなく気持ちの良い靴下を買い揃えたい。冬が来る。

朝は一ケタ


暑いのか寒いのか身体が困惑している。
胃腸炎は肩や腕回りを少し薄くして、身体を冬仕様に軽くして、代わりにカヌーを少し重たくした。


秋のウトナイ湖。【photo by Nao.F】

考えたいことは山ほどある。考えるべきことだって。
ツアーは準備から始まっている。
冬だってそう。夏だって。始まる前に固めておくべきことがいくらかある。
どこに向かうのか、向かいたいのか。
何が大事なのか、守るべきか。
すべてはよりよく生きるため。
時間も身体も心も有限。
ならば、何をし、何を手離すか。
誰を愛し、誰に愛されたいのか。
行きたいところはいくつになっても減らない。
できるようになりたいことも星の数。
一息つきたいときには、やはり、唄いたく、書かないとその章が終わらない。
ひとつ、ひとつずつ、焦らずに、しかし、ひた走る。
健康の指針は、「ここぞというときに踏ん張れるかどうかかもしれない」とベルク本には、書いてあった。

さて、ようやっとベルクにも足を運べそうだ。






2016年10月5日水曜日

何度目かのキノコップ制作北上遠征

「春」と「晩秋」といえば‥キノコップ制作!
(※キノコップ=木のコップ。ククサというと分かりやすいか。北海道と言えば‥シラカバ!でつくっている。ショップにて絶賛販売中。)

しかし、今回は寒ーくなる前に行けました。



なるだけ、何でも、自分たちの手で生み出したい。
ツアーにしても暮らしにしても一貫して流れるDIY精神こそ【かのあ】の肝かもしれない。
回数を重ねていく度に技術も向上していき、今やアーティストの域に達している気がするベルトサンダー担当なおき氏。


何となく分業化がされていて、ぼくの相棒は丸ノコ。
高い集中力と安定した精神力を求められる。


美深の夜を味わいに。
涙あり笑いあり冷酒あり学びあり‥いやはや素敵な夜でした。



あーだこーだして、帰りの道中にようやっとご褒美そば。

幌加内といえば、そば!

片道6時間の強行翌日は、野郎揃って川の上‥ではなく、とある森の中。


日中の寒さも本格化してきた支笏湖。
皆さま暖かい格好でお越しくださいませ。

2016年10月1日土曜日

生まれ変わって初めての夕方

胃・腸が生まれ変わって、内臓の感応性が非常に高まっている。
「必死になりたい」と書いたら即座に必死にさせられて言霊のおっかなさに慄いた。
体内にとっては食物というのは全般異物であるわけで。

今までも気にして育てられ、気にして生きてきたけれど、
より怪しいものを食べるのは身体のためにやめよう。化学調味料の味の尖り方は異様すぎる。


そんなこんなでリセットされた新しい身体で味わう仕事終わりの秋の夕方。


日中とは異なり、人が少なくて落ち着く。


スワンもこんなところで働けて嬉しいだろうよ。手伝う。


ただ、何でもない毎日を、何でもない冗談を交わしながら何事もなく終える。

そんな、「奇跡」というと、何ともきな臭くてたまらないが、当たり前ではない積み重ねが、ぼくの中で当たり前になりすぎていたかもしれない。

朝起きて、ご飯を食べ、店へ向かい、コーヒーを淹れて、今日のツアーのカヌーを出しに行く。ツアーが始まる前にコーヒーを飲んで、ツアーに出るか見送るかは必要に応じて。ツアーの質、カヌーのこと、コーヒーの味、かのあの雰囲気、守るべきものを守るためにだけ誠実に。

日常は反復横跳び。身体は大事だよ。

なんつーか、まわりがどうとか何がどーだとか一切関係なくして、もう、ぼくにはこういうこと全部がホームとして身体にすっかり馴染んでいるのだなあ。