2013年4月30日火曜日

お雪見カヌー

お花見カヌーではないですよ!甘い甘い!こちとら、北海道day!

四月が終わるというのに、こういうときには予報に従順な支笏湖。

‥本日、雪!わーい!‥っておい!



心配していた小さなゲストは「寒いの大好きー!」と、誰よりもパワフルな漕ぎっぷりでおかーさんたちと競争です。
静かな湖畔にかわいい笑い声が響き渡りました。

北国の冷たい水や空気、揺りかごみたいなカヌーの乗り心地。一生懸命漕いだこと。
ついでにニタニタ顔のおにーさんのことも思い出してくれたら嬉しいな。

君にとっての今日はどんな「一日」になっていくのだろう。
比べるものでもないけれど、同じ今日を過ごした僕の「一日」よりずっと、君の「一日」には未知なる可能性がつまっている。子どもは未来だ。存在自体のまばゆさ。
そんなことを自然に思うようになった僕は、果たしてちゃんと(?)「大人」だろうか。

にしても、カヌー馬鹿・naokiさんはお茶目だ。実にお茶目だ。


僕自身も小さいころから親にいろんなところへ連れて行ってもらった。とにかく、よく歩いたらしい。
どこかのYHの二段ベッドが高すぎてこわかったこと、宿の鍵が木だったこと‥、しょうもない断片ばかりが妙に鮮明だったりする。
途中反発したものの、やっぱり結局、人間は昔好きだったことに立ち返るようで、
歩かされながら成長した僕は、今日も地球をほっつき歩いています。


★メモ★
点が線になる、つながる瞬間のえも言われぬ快感に、移動や旅の根源的理由があるのかもしれない。地球というでっかな画用紙上では、ペンを握る必要はない。自らがペンとなるから。
思いとペン先の動きに時差がないから、もどかしさからも解放される。
そうか、移動・旅は、それ自体がアートだったんだ。途方もないアートだ。物理的に書かなくても、僕らは書いているわけだ。今、書きながら初めて考えついた思考。わーお!








2013年4月29日月曜日

フェリー偏愛主義同好会

久しぶりの太陽!


風・波はやまないけれど、貴重なお日さまを浴びながら、フェリー話で盛り上がりました。

僕の浮足立った生活は思えば、フェリーから端を発しているのかもしれない。
今は無き有村産業、沖縄本島~石垣島。
16歳の僕に戻っても、懲りずに僕は南行きのあのフェリーに乗って、かっこいい大人たちから旅の仕方と、素直で自由な生き方を学ぶのだ。

青い星、地球の上。水は分断するのでなく、つなぐのだ。人と人を。



 太陽と水の相性は最強。美しさが際立つこと。何の加工もしていないのにこの色。うさん臭すぎるぜ。
お客様に負けじと、食い入るように見つめてしまいました。



 魚影もくっきり。


午後は今年初、naokiさんと出動。

美しい写真だらけのかのあブログ→青空記念撮影日和


 わっしょいわっしょい、パワフルな漕ぎっぷり。



夏っぽいなあ。三秒遅かったけれど、まあいいでしょう。


冬の間に撮影スキルが上がったらしいですよ。むふ。


2013年4月28日日曜日

ひとつ ひとつずつ 丁寧に。

昨日より寒い、支笏湖。予想最高気温6℃。
バイクも久々に気合が必要だ。
風も強い。


それでも、漕ぎたい!漕ぎましょう!



五年ぶりの再会に選んでくれたのは、支笏湖でのカヌーでした。嬉しいなあ。



シートが壊れたり、枝を本気でよけたり、風に乗った枯葉が顔面に思いっきりぶつかったり、登ったり、滑ったり、波に乗ったり、石切り大会をしたり。

どんな状況も仲間がいれば楽しめてしまう。

カヌーには漕がない楽しみ方も沢山あるのです。




★昨日は「つくりたい」なんてことを書いたし思っていたけれど、今日は真逆のことを思っている。
僕がつくる必要なんてない。
僕は、場を整えるために尽くすだけだ。「だけ」がなかなか難しいのだけれど。

やりすぎず、やらなすぎず。主張せず、主張しなさすぎず。いないようで、いないわけでは決してなく。さりげなく景色にも溶け込んで、お客さんたちの空気感も壊さないところ。
あとは、天候等‥変化する様々な事象・人に応じて、僕自身も、目まぐるしく変わる支笏湖に合わせて変化すればいい。
自分に合わせるのでなく、自分が合わせればいい。「鳴かぬなら代わりに鳴かせて、ホトトギス」ってか。
僕には「積極的受動」(勝手な造語)スタイルが、生きる上でも旅するときにもピタッとハマっているように思う。
乙武さんが本かな?何かで言っていた。「障害は不便ではあるが、不幸せではない」

僕は五体満足ではあるけれど、欠陥だらけの人間だから、なんだかとってもよく分かる。
不便と言う特別なフィルターは、本当に大切なものを選り分けてくれる。
そうして分かることは、僕にとって本当に大切なものは本当に少なくて、でも、それさえあれば生きていけるものなんだ、そのためになら生きたいと思わせてくれるだけのものなんだって。


話が右往左往しているけれど、
風は川ではないように、風はいつかやむように(アリュートの言葉。「風は川ではないのだ。いつか、やむ。」)、僕らも日々、多かれ少なかれ変わる。‥と言ってもさすがに昨日(つくりたい)の今日(つくる必要なんてない)で極端すぎかしら。


書いた瞬間に言葉なんて嘘になるわけで。形になった途端、人目に触れた途端、僕のものではなくなるわけで。でも、そのときに嘘は一切ないわけで。誤魔化しはあってもね。笑
排泄物でしかないけれど、あながち嘘でもない。ノンフィクションだけれど、どこまでかは分からない。深い意味があるようで、ただの言葉遊びでもあるわけだ。



何はともあれ、呪文のように繰り返す。

ひとつ ひとつずつ 丁寧に。

2013年4月27日土曜日

2013ツアー初日に「初心忘れべからず」

世界地図が足りない、何もない部屋を毎年彩るタルチョ。

何もないとき、僕は地図を見ています。
大切な人の顔を、一緒に過ごした時間を、お酒を呑みながら語った夜を、あっちにこっちに旅をする。

君は今日も笑っているのだろうか。あいつは誰を‥。
確認なんてしません。不確かなものではないのだから。なんてね。


半年ぶりのツアー。
昨夜も今朝も、この部屋で落ち着きなく過ごした。

去年は何もこわくなかったのに、一体どうしたんだ?こわいのは何でだ?音楽を聞くでもなく聞きながら、ひとりで考えていた。去年と今年は何が違う?

冬のあいだ、いろんなところに行って、いろんな人と、いろんな時間を過ごした。
それを無駄にするわけにはいかない、したくないという気負いと自負。

目には見えないけれど、僕自身が三時間のツアー時間内でつくりたい明確な形。

つくりたいものがある。つくれるかどうかは分からないけれど、ひと夏を注ぎ込むに十分すぎる、人は馬鹿にするかもしれないけれど、僕にはとっても意味のある、高すぎる理想。
たった一度でも、素晴らしい景色を見れたならいいなあ。

ま、そう簡単にこちらのエゴをくみ取ってくれる従順な支笏湖ではありませんから、チャンスは限られます。
できるか分からないことの方が僕にはよっぽど楽しいです。できることはいつでもできるから今やる必要はありません。今ならできるかもしれないことをこそ、やるのです。


冬は女の子に翻弄され、これからは風と波に振り回される季節です。あーだこーだ言いながらも、なんやかんやと好きなのでしょうね。

本日は、恵庭岳をバックに三人カヌーを被写体とする名カメラマンのアシスタントになりました。
いい写真は撮れたかなあ。

名前に僕と同じ漢字を使う少年がいた。同じ漢字は初めてかもしれない。珍しい。
お父さんが、なんでこの漢字にしたかを教えてくれた。


風の中のツアー初日から自らの名前の意味を考えさせられるなんて、今年もドラマだらけのカヌーツアーになる予報。


★怜★ 
《画数》8画
人名漢字
《音訓》レイ・リョウ・レン・あわれむ・さとい
《名乗り》さと・さとし・とき


《意味》
{形}さとい(サトシ)。心が澄んでいて賢い。悟りがよい。〈類義語〉賢。「怜悧レイリ(さとい)」
{動}あわれむ(アハレム)。▽憐レンの俗字として用いる。(平)先韻に読む。


《解字》
会意兼形声。令は、澄みきって清らかな神の命令。冷(つめたく澄んださま)霊(澄みきった神のお告げ)玲レイ(清らかに澄んだ玉)などと同系。怜は「心+音符令」で、心が澄みきったさま。
《類義》
賢 


(「名づけフォーラム」より)

2013年4月26日金曜日

Soto Cafe、明日オープン


明日からゴールデンウィーク。



‥ということは、そうです。明日からSoto Cafe カヌーツアーが始まります。

五日前は代々木公園にいた流れ者が、明日からはホストの役回りを務めます。人生って不思議。


ここは、どこまでも、完璧なまでに美しいです。
手の届くはずのない気高い美しさに嫉妬を覚えたことはありません。




ここは、島国にいながら、大陸の風を感じられる貴重な場所です。

北海道は日本の端っこにあるのではなく、大陸への入り口なのです。




左の樽前山はまだ真っ白。



お昼はみんなで「ポロピナイ休憩所」へ。
僕は豚丼。900円。



午後、雨。
気付くと、カヌーにはゴミ。
二人で三袋分の収穫となりました。


ちなみに、去年の明日は晴れ。こんな感じでした。

 

2013年4月25日木曜日

お米がおいしくなった


午前中、雨。
午後、場所により曇り、晴れ。




水温は4℃ということで。きれいだからといって手を突っ込んでいると、すぐにピリピリしていきますが、それでも触り続けていたくなるほど、この時期の水は美しいです。不純物ゼロ。まるで僕。なんてね。

まわりの木々たちはまだ裸だけれど、この「水色」を見ているだけで満たされるものがあります。
木にも台風にも暑さにも水草にも邪魔されることなく、春ならではの「水色」をカヌーで探しにいきませんか。‥井上陽水か。
兎にも角にも、あたたかい格好でお越しくださいね。


「何もないから、何もある」

北国の春って、そういうことかもしれません。



naokiさんカヌーに積まれているのは、ゴミだよ。





★おひねり制月刊紙『まちゅ★ぴちゅ』第4号、最初の読者はnaoさんでした。あとんす!




★四月。食べることを面倒臭いと感じたのは初めてのことかもしれない。
本来、僕は食べることが大好きだ。
移動中にタイミングを逃したりなんだりで、リズムが乱れたまま落ち着いてしまい、食べなくても動ける無敵状態になっていた。
おなかがすいて食べようとしても、胃が縮小しているらしく、思った量を食べられない。
噛むエネルギーや時間がもったいないこともあって、じっと座ってもいられない。気付いたら珈琲だけで日中を過ごしていたり。

やりたいこと、やるべきこと、友だちのこと‥。少ない脳みそには容量オーバーだったのかもしれない。
僕がパンクしてしまわないように、「食」が生贄になっていたのかな。


カヌーを漕ぐ、運ぶ、お腹がすく。お腹がすく、漕げなくなる、漕げないのは困る。食べなきゃ、食べよう、いや、食べたい。回転寿司、食べたい。

お米がおいしくなってきました。


ひとつ、ひとつずつ、丁寧に。






2013年4月24日水曜日

春から逃げた僕が届けるのも春


千歳から支笏に向かう「道道16号」沿いは、緑のトンネル‥にはまだまだ遠かった。葉っぱがない。
長い冬に耐えてもいない僕だけれど、それでも既に新緑のこの道を味わえることを思うと、楽しみで仕方がない。

バイクは寒かったりこわかったりするけれど、肌感覚で季節をまるごと味わえるのがいい。


支笏に着いたら、どこからか「べんべ~」と、かわいい声がした。
そんなかわいい知り合いいたかなあ、なんて首をひねっていたら、天使の声の主は、たいちゃんではありませんか。
去年の11月に別れるときはまだ話せなかったのに、僕のことを覚えていてくれた。なんてこった!


naokiさん、naoさんにご挨拶。マメに連絡なんてのしないのに、やっぱり久しぶりな気がしない。多分、お互いに。
いつも、感動の再会なんてのには程遠い。至って普通。日常、続きだ。
僕はずっとここにいたんじゃないか?

でも、確実に五ヶ月が経過していて、その証拠にたいちゃんが進化しているではないか。僕はその間、各地で人様に散々迷惑をかけたではないか。旅先でなくしたオレンジのダウンは手元にないし、メモリーカードにはあの笑顔たちもちゃーんと残っている。

浦島太郎の逆バージョン的感覚といったら分かりやすいだろうか。
損か得かといったら、得をしているわけで。

アウトロー大先輩曰く、「充実してたってことじゃない。」
そうか、そういうことか。ラッキー。


午後の支笏湖。雪かぶる恵庭岳。



 ‥お?なんだなんだ?

詳しくは、かのあブログ→支笏湖清掃活動記にて。

去年、僕も素潜りで川底清掃を頑張っていたのだけれど、酸素を背負ったダイバーの力は凄まじいです。当たり前ですが効率が良い。
去年の素潜りの徒労は何だったのだろう。少し悲しくなりそうだったので、真面目に「カヌーde陸までゴミ運搬隊」(勝手に命名)を務めました。
カナディアンカヌーの積載能力の凄まじさに改めて感動。

2013年3月から拠点を札幌→支笏湖に移したダイビングショップ、オーシャンデイズさん。
美しすぎる支笏湖との一体感を味わいたい方は是非。





naoさんが言った。「始まるね」。


2013年、今シーズンもよろしくお願いします。



「偏愛道具学8」が妙に絡まれているせいか、アクセス数が凄まじい。おお、こわ。



北海道上陸&おひねり制月刊紙『まちゅ★ぴちゅ』第4号発行

おひねり制月刊紙『まちゅ★ぴちゅ』第4号。
フェリーに揺られて、自衛隊員さんたちの終わらない体育会系話にも負けずに、太平洋上で完成しました。気付けばロビーのソファで寝ていました。



メインは「冬の思い出」。
文章の気持ち悪さ、いい感じです。すぐに見せられないのが残念。新宿なら父が真っ先に催促してくれるのですが、仕方がないので一人で朗読して悦に浸ってみました。


その父が先日、「年間購読料だ」と言って、さらりと五千円を払ってくれました。
5000円÷12ヶ月=416.6666‥。417円の価値が、一紙につきました。

‥すごくないですか。驚きながらも、ありがたくいただきました。

紙とペンが、お金になった瞬間。僕もつくれたのです、お金。雇われずに、やりたいように、お金。
親からだけど、それでも、お金は、お金。稼ぐ手段に、なるかもしれないのです。何でもない紙とペンが。

その後は、郵送用の切手を頂いたり、餃子をごちそうになったり、僕の申告で一紙100円花屋のきれいなおねーさんにいただいたり、清龍代おごってもらったり‥。まあ、『まちゅ★ぴちゅ』のおかげでか分からないラインも大いにありますが。

出版社に行ってみたり、人に触れ回ったりして、表現する場は簡単には手に入らないしあってもお金にはなかなか結びつかないことが少し分かって、腕組みをしてしばし黙考。‥では、とりあえず自分でできることをやってまえ!僕の好きな言葉、「とりあえず」です。

そうして始まった『まちゅ★ぴちゅ』で僕が実験したいのは、こだわろうとしているのは、今まで興味のなかった、ここにあります。「換金」。別にフリーペーパーにしたって構わないのですが、それでは今までと何も変わらないから。ちがうことをやりたくなったのです。

自分の生産能力を試してみたくなったのです。蹴散らされてもつぶれない図太さが備わったのです。生産能力があるのか、ないのか。あるならどの程度までいけるのか。
換金化は、つまり、社会とつながるための分かりやすい定規みたいなものだと思っています。僕も社会の一員だから。
お金を稼ぐ前から「大切なのはお金じゃない」と言っても、説得力がないかなと。

一紙の価値は僕は100円200円くらいかななんて思っています。人によって「僕」という人間への評価が違うから、それによってお金も変わるとは思いますが。ビッグイシューの読み応えで300円だもんなとか思うと、ビッグイシューのおじさんたちに並んで「一紙300円です」とは言えないよな、とか。
でも、まあ情報誌と言っても意味合いが違うから、300円もまあ、手間を考えればありだよな、とか。


我が家には僕だけでなく、芸事に勤しむβ(べーた)ってのもいて、まあ大変なんです。でもね、いつもいつでも「好きに生きろ」と、両親は何も言わずに態度で示してくれているんです。

「あんた、恵まれてるね~!!!」と、先日、友人の大切な方にも絶賛されました。
そうなんです。否定なんてできません。僕は恵まれているのです。愛されまくって育つと、こんな風になります。なんてね。




「おひねり制」は、読者の方の評価に任せるシステムです。今は始めたばかりで試しがてらなので適当なのですが、そのへんももっと単純にこちらから一紙いくら、送料いくらとか提示した方が親切なのかな、とか、いろいろ模索中です。

システム変更の際は改めて報告します。
とりあえず、読者の方の匙加減に委ねながらもうちょい行きます。



★★★★★★★

去年の11月。雨。苫小牧。視界が悪く前が見えない。メガネもやられた。寒いし。時間的余裕のなさが焦りを生んで、僕は東港と西港を勘違いして、むかわ方面への無料高速道路に迷い込んだ。ありえない。雨。暗闇。高速。弱小カブ。死のセオリーしか見えない。どうにでもなれと、泣きそうになりながらどうにか脱出。今夜は野宿、か。いや、雨は嫌だ。支笏湖に泣き戻りするか。そうしよう。諦めかけていたら、滑り込みセーフで大洗港行きのフェリーに乗り込めたのが、ほんの五か月前。

二、三年前のような気がしていたが、ほんの五か月前だなんて。
どおりで、何の懐かしさもない。それは去年と一緒。
ずっと前からここで生活している気がする。
ここに来るまで、僕は随分と長いこと、東京にいた気でいた。それほど濃厚だったんだな、春の東京。

どちらが夢?


どちらも現実。ほら、四万十に行ったのも本当だよ。

なんてこった、なんて生活だ。



千歳の「0円ハウス」。誰でも歓迎。
今シーズンは、誰が遊びに来てくれるかな。

2013年4月22日月曜日

ようやっと北上宣言@大洗港

はいさい。

明日から、四度目の北海道、始まるよ。
さすがに北海道ももう春だよね。

フェリーの予約を入れずに6号線を快走。
120キロとか楽勝やん。

予約を入れなかったのは、今は繁忙期でもないし、平日だし、たかがバイクだし。

‥甘かった。

危うく乗り損ねるところでした。
直前にキャンセルが出たらしく滑りこみセーフ。

いつものように自衛隊さんたちが沢山います。

商船三井フェリー。
18:30大洗港→明日13:30苫小牧港着。

新宿→大洗港120キロ、渋滞もなくカブで4時間30。

苫小牧に着く頃には、「月刊紙まちゅ★ぴちゅ四号」が完成している、はず。

去年は同じ道を泣きながら走った僕ですが、
今年は、心も身体もひとつです。

北北亭行きたいですね。
‥すいません、独り言が大きいもんで。


東京はじめ、本州の皆さま、死ぬほどお世話になりました!

思えば、嫌いな人が僕には思い浮かびません!





‥‥

‥‥‥いや、いるか。笑

アースデイ二日目

午前中、雨。フェリー運休日。



なんか、まあいろいろあって、アースデイ二日目。

僕には「約束」という概念があまりないけれど、例外的に“たしかなこと”もある、らしい。

昨日も今日も、peaceful 満タンやで。
勢いづくと関西弁を使いたくなるのはなぜ。


2013年3月11日の日比谷公園での修行の成果を、まさか今日、「地球の日」に生かせるなんて。
ある出店者の方がブース前で、無料で大シャボン玉ゾーンを設けていたのです。
これを見逃す僕ではありません。



 気にはなっても最初のアクションを起こせる人は、世の中にそういない。
だから、まず、僕らがやる。まっ先に楽しむ。

笑い声が、人を誘う。

誰かがやりさえすれば、誰でもできる環境が即座に整う。

一気に人だかりができる。
さ、見せ場見せ場~。

何事も、見るよりやるが難し。

何事も、見るよりやるが楽し。



雨上がり、しゃぼん玉、かわいい女の子、子どもたち、おかあさん。‥やばい、最強peaceful!


で、なんかオレ、小学生もびっくりだろうけれど、すげー笑ってたらしくて、ある方に、
「久しぶりにその笑顔見た。全然笑ってないから。」みたいなことを言われた。

うん、やっぱり、「自分のことなんか何も分かっていない」と思っておいて間違いないみたいだ。どんな顔をして喋っているのか、自分のことは絶対見えない。
勿論、誰にたいしても、何にたいしても、どこにたいしても。
その方が間違いない。

その後、たまたま偶然、昨日もカフェったある方に出くわして、会場内のフェアトレードコーヒーを飲みながらあれこれ話した。


みんな、幸せでいてほしい。たったそれだけなのに、それがなかなかどうして難しい。
誰も傷つけずに生きるなんて不可能で、痛みを最小限に食い止めるくらいしか僕らにはできない。
誰かの喜びは誰かの悲しみ、誰かの望みは誰かには迷惑。かもしれない。僕には分からない。


そういえば、小学生のとき、親が担任に言われたことがある。
「(僕は)何を聞いても「分からない」ばかりで、はっきりしない。よろしくない」
と。
あらゆる可能性を考えたら、「分からない」が最も間違いのない答えだと思っていた。

注意を受けたところで、親は僕に「はっきりしなさい」と怒るわけもなく、むしろ担任の解釈の浅さを笑っていた。

大人になって、やっぱり僕の口癖は「分からない」だ。決めつけてはいけない。これでいこう。
分かりたい気持ちは満タンだから。

日が延びてきて、時間感覚が乱れる。

気付けば、五月が指先に触れそうだ。








2013年4月21日日曜日

アースデイ@代々木公園



どこまでが日常で、どこまでが非日常で、どこまでが仕事でどこまでがプライベートなのか、旅と日常の差異は?
僕にはそういう線があまりない。ない、というか、ふたつはひとつだ。切り替えスイッチとか、不自然だと思う。「仕事」の定義にもよるが。

曜日感覚も日にち感覚もあまりない。僕には数字よりも、どれだけ太陽を浴びれるかどうかの方が大事だ。


通年受ける質問。「今どこいるの?何してるの?」Where、Whatの法則には、夢(ワクワク)が内包しているから、何度聞かれても悪い気はしない。

最近はというと、When。「いつ来る?」とか、「まだいたの?」。これは現実だ。

僕も知りたい。


(C.W.ニコル氏)

この頃、珍しく食欲がない。珍しい。お金がないから、ということだけではない。
顔の色も少し落ち着いて、脂ギッシュ感が薄れてきた。

春は、心と身体の縫いあわせ期間だ。
一点集中夢中盲目型の僕には、なかなかいろいろ難しい。
心が一点に集中していないから、させていないから、あれこれ、行き届かなくなる。
目の前の人やことだけに集中できなくなるので、いつも通りにできないことが多くなる。

集中しているときは夢中だから、その幸せにも気付かない。夢中状態が終わったときに初めて分かる。そのときに気付いていたらそれは夢中ではありえない、か。

11月も、縫いあわせ期間だ。
一年十二ヶ月。そのうち二ケ月が少し勿体ない。不完全燃焼。効率的ではない。といっても、効率的に生きたいわけではないし、十二ヶ月完全燃焼していたら身体が持たない気がするし(完全に実行できていないから分からない。試したい。)、移動による恵みがあることも確かな事実なのです。

揺らせば揺らすほど、たしかなものがはっきり分かる。揺らさずに分かればいいのだが。

フェリーの揺れは、縫い合わせ作業を楽にする「まち針」みたいな存在だ。






昨日、夕方になってからようやく荷造りを始めた。

思いのほかさくっと終え、今日、出発する気でいた。

‥今朝、起きるまでは。


「意志薄弱な!男の子やろ!(ある人の口癖)」と責められるだろうか。


目覚めて二秒、信頼しきっている直感君がびしっと判断を下した。今日は日が悪い。

まあ、なんというか、僕にもいろいろあるのです。
的確なのは「僕だから、いろいろあるんだよ」、か。


こんなことを宣言する必要もないだろうけれど、みんな分かっているだろうけれど、
いろいろ、ここに書き続けているけれど、どこまで出しているかは僕しか知らない。まあ、僕も知らない。知ろうとしていないし。

ここを見続けてもらえば、僕という人間のことがよく分かるようにはなっている。会うより本質が分かる、とも思う。
「文章を見るまで、何も考えていないただの馬鹿だと思っていた」と言われたことも何度かある。‥改めて思えば、失礼な話ではないか。それでも笑えてしまうのは、僕が変だからか友人たちが変だからか。

僕は考える馬鹿だ。考えても馬鹿だ。どうしようもないのだ。

でもね、本当の僕は、やっぱり、ここにはいないんだ。いくら時間をかけて、心を傾けていても。

「僕」、「僕」うるさいね、しかし。

何が本当かも分かっていないかもしれないけれど。

現実世界を歩いているんだ。社会の中で、文句を言いつつも、それでもどうにか社会にしがみついていこうとしているんだ。
ここから、本当の僕に惹きこもうとしているのだろうか。

まあ、どうでもいいことばかり今日もつぶやいているけれど、
全然アースデイに触れていないけれど、アースデイに行ったんだ。






いろんな人と喋ったよ。「同時多発同窓会」みたいだった。

モデルごっこをしていたら、遠藤ヤットに似てるとまた言われたよ。

今日もとっておきのカフェを教えてもらったよ。





愛おしい時間をつなぎとめずに、僕は行く。
愛おしい笑顔を、これから先もつなぎとめていきたいからだと思う。

また会いたい人たちに、今度は何を持って会いにいけるだろう。



「いろおに」だっけ?凍ったり解除したりする遊び。あれ何だっけか。「フリーズ」とか言ってさ。あ、「こおりおに」だ。
そういう技が通用しないことはもう分かったから、歩くんだ。僕らは歩き続けるんだよ。
ヒトは皆、ひとところになんていられない。物理的には可能だとしてもね。


帰り道。
雨だから自転車を置いて電車に乗る、というのは、チルタ(僕の自転車の名前。押上生まれ北海道育ちだからアイヌ語なんだ。)にかわいそうで、僕は久しぶりに雨に濡れることにした。ぽつんと佇む愛車を想像したら、そんな残虐行為はできないじゃないの。ただでさえ、半年別れるわけで、寂しくてチルタは死んでしまう。

なぜか、途中、道に迷った。わざと、迷った。確信犯。

実のところ、僕は濡れたかったのだ。何が混じっているのか知れない冷たい雨に濡れそぼり、一人で自転車を漕ぎたかったのだ。
「ああ、こんなサンダルなんかで走って足を滑らせてしまったらどうしよう。こけたら、車にやられるかな。死んだら、葬式では誰が泣いてくれるだろう。みんなの前では泣かずにひとりで静かにじっと泣いてくれる人がいるかな。いるならそれは誰であって欲しいのだろう」とか、くだらないことを考えながら、まだまだ生きるつもりの僕は細心の注意を払って、この前きれいにしたばかりの自転車を雨に濡らした。

馬鹿なことをやりたかったのだ。簡単にできる、ひとりでできる馬鹿なことを。

「オレ、何やってんだろう」と、思いたかったのだ。








2013年4月19日金曜日

クルミドコーヒー@西国分寺


はいさい。
優しい気持ちで今、ここにたどり着いてくれた方は、まずはこのHPをどうぞ。
クルミドコーヒー

お忙しい方は、まあ僕で堪忍な。



HP内の、「クルミドコーヒーとは」→「演出覚書」↓

1「たとえつぶれても、やってよかったと思えるカフェを。」

‥ずきゅん。


カフェでも川でもゲストハウスでも家でも畑でもカヌーでも雑貨でも湖でも本屋でも田んぼでも文房具でも絵でもお酒でも餃子でも花でも何でも‥、
とにかく僕もそんな空間を、いつか、つくりたい。

風の通るところ、日の当たるところ、水の流れるところ、みんながふらっと来てくれるようなところ。


また行きたい場所が増えました。幸せだ。



まあ、そんなこととは露知らず、言われるがままに西国分寺に降り立ったのは、三・四日前。
珍しく時差が生まれている「てやんday」。我ながら、慌ただしすぎる。

国分寺の直感型超アクティビストとたっぷり、三時間半ほどのマシンガントーク。


元々備わっていたホスピタリティ、もてなしの心というやつが、「カヌーガイド」という視点を得てから、過剰に体内を流れているらしい。
最近、まわりの人によくいわれる。「すごい気遣うよね。疲れない?」

そのときは目の前の人に夢中だし、そういうコミュニケーションの取り方しか勉強してきていないから僕には自然。

まあ、でも、後になってどっと疲れてたりする。あ、集中してたな、と終わって気付いたりする。
僕は疲れたがりなんだと思う。エネルギーを消費させてくれる“ヒト”がいるのが僕には喜び。

一緒にいる人の貴重な時間を頂くわけです。僕といる時間だけでも楽しんでもらいたい。世界はそう悪いものでもないから。
ただのお茶も、僕には立派なエンターテイメント会場です。勝ち負けではないけれど、真剣勝負です。

やっぱり基本は一対一です。僕の人付き合いは、一対一で会わないことには始まりません。誤魔化すのとか、空気を読むのとか、くだらない技術はいりません。

病的なまでに本気で人と日々向き合っているつもりなのですが、この日は久しぶりにフルスロットル。

あ、この人、素敵だ。好きだ。感覚でずんずかいってもついてきてくれる。
楽しませたいな、と思った。思ったというより、思わされた。
知ってもらいたいなと思った。思わされた。悔しいな。不快ではない悔しさってのもあるのですよ。


世の中には、面白い大人が殊の外多く、そういう出会いが重なれば重なるほど、年をとることが楽しみでしかなくなっていく。

何をしていてもいい。僕はこれまで通り、歩き続けていたい。
いろんな話をして、道草を食いながら、たまに一緒に歩いてくれませんか。


ふじこちゃんは、僕の友人たちの友人(「犬も歩けば棒にあたる」ではないけれど、最近そんなんばっかだ。)で、ハチャメチャな噂をよく聞いていた。

共通の友人である、ハジマルオトのライブ会場で「初めまして」の挨拶をしたのが、去年の年末。
「ハジマルオト」が聞こえたなら(2012.12.28)(てやんday)

まあ、さくっと握手をして、二言三言交わしただけ。

でも、後で聞いたらその一瞬で、鋭いふじこちゃんは、
「あの子は優しいね。人とのキョリの取り方が絶妙。」と、僕の人付き合い的秘密兵器をさくっと暴いていた。

自分でそのへんは分きまえているつもりでもあったので、それを後日人づてに聞いたときは、本当に驚いた。特に秘密なわけではないけれど、会って数秒で核心をつかれるなんて。

ふじこちゃんがただ者どころではなく、強者であるということもあるし、僕が分かりやすくしているのかもしれない。まあ、相性というやつもあるのでしょう。

どこでどう見られているかなんて分からないものです。知らない間に見られて気に入ってもらっていたり‥、本当、人と人の縁というのは面白いものです。


また冬に会いましょう。
僕のこと、今でも面白がってもらえているけれど、半年後には、一年後には、もっともっと、面白いヤツになっていますから、期待していてくださいね。出会ってくれてありがとうございます。

また会いたい人が増えました。幸せだ。



ところで、素朴な疑問。村上春樹ってそんなにすごいの?
IQとか今回のとかそんなにいいの?読んだことある方、ご意見頂きたいところであります。
まあ、「ノルウェイの森」は特別だけれど、深夜特急に同じく、みんなが読みすぎているから読んでみる気になれずにいます。




2013年4月18日木曜日

Gomi Konton Store(ゴミ混沌ストア)@鹿児島大学近く


先日、鹿児島からファンレターが届いた。


「ファンレター」と書いてくれたのは、彼らの優しさ。
僕も彼らのファンですからね。

元々、彼らとは、文通相手だったりもして。
それぞれのタイミングでお互いに葉書を送りつけ合い、何となくの近況を知る。電話もメールもあまりしない。返事があろうがなかろうが気にしない。まあ、なんとも気ままな関係である。




2011.3.11の5日前。新宿で仲間たちと共にお酒を呑んでから、物理的距離があって、しばらく顔を合わせる機会がなかったのですが、二年後、どんぴしゃタイミングで原宿で再会を果したのです。

(2013.3.11てやんday世界の終わりはこんな色


3.11から半年後くらいかな?
彼らは東京から鹿児島へ拠点を移して、
Gomi Konton Storeなる、異空間をつくった。

最初はネットショップ限定だったが、今では実店舗を鹿児島大学近くに確保して、店主の偏った好みによる、素ん晴らしい異空間が現実世界で体感できるそうな。

‥い、行きたーい!


お店のコンセプトは、


「ゴミ(ガラクタ)の中から表現を見出し、カオス(混沌)としたものから 面白さや美しさをつくりだす」(HPより)

ちなみに僕は、ボタンピアスを買いました。


 まあ、写真でも分かると思うのですが、とにかく、根っからのヘンな人たちです。
「ヘン」って誉め言葉です。

そんなヘンな人たちと、話をしていたときに言われました。
「れいくん、成長したね。てか、うちらよりずっと大人じゃない?」

‥ただ、相変わらず悶えているだけなのに、大人になったと言われる二年前の僕はどれだけ子供だったのだろう?なんて若干不安にかられつつも、素直に喜ぶことにしている僕です。

変わらないはずがないですよね。人間ですし、ただでさえ、変化しやすいお年頃ですし、3.11もありますし。



自分と向き合っている人が強いのは、弱いから。自分と向き合う人は、自分に厳しくて、人に優しい。


僕は、ふたりが、やっぱり、とっても好きなんです。



なぜ、似たような写真をぱらぱら漫画よろしくUPしているかといいますと。

店主・MIKAさんのインパクトに自然、目が行きがちですが、お隣のYUTOくんの表情が、たまらなくいいからです。
‥Keep ニタニタ優し顔!


最後は、原宿の文化屋雑貨店前にて。



※【文化屋雑貨店】は初めて日本に『雑貨』というジャンル・概念をつくり、今もなお進化を続け日本のシーンをリードし続ける 渋谷にある唯一無二のお店です※ (Gomi HPより)


今度はどこで会えるかな。




【おまけのあの日の唄/きらめく一片のゴミ】

雑音だらけの日曜日

静寂をつんざく原宿

いつかの今日、東京は焼け野原

東京大空襲あれから丸何年経ったのか、何年後かの今日、
日本の北では雪が降り続き
街では夏日を観測した

黄砂、PM2.5、放射線‥
あらゆる物質が空を舞う

夏日はいつの間にやら強風にかき消され、見上げれば空はまっ黄色

耳をすませても、きこえない君の声

耳をすませても、雑音ばかりのぽんこつさ


いくら耳をすませても、音がなければきこえない


2013年4月17日水曜日

安田菜津紀・佐藤慧・渋谷敦志写真展「舫 ファインダー越しの3.11」@コニカミノルタプラザ

4/22(月)まで、新宿、コニカミノルタプラザにて。はまだくんの友だちらしい。

安田菜津紀・佐藤慧・渋谷淳志写真展「舫 ファインダー越しの3.11」

佐藤さんの写真が良かった。

僕が見たいものはいつも、人と人との間に。そこにしかない。between ヒト &ヒト。


渋谷淳志さん曰く、

「写真を撮るということは、扉を叩くことなんです。物理的な扉だけではなく、“あなたのことが知りたい”と、心の扉を叩くことなんです。」

ファインダー越しの3.11』より。



写真って何なんだろう。文章って何なんだろう。絵って、喋りって、音楽って、芸術って、表現って。
なくてもいいものなのか、なくてはいけないものなのか。どうしてヒトは刻むんだろう。伝えようと悶えるんだろう。
きっと、限りない人生だったなら、不要なことなんだろうね。

もっとshareしよう。もっともっともっと。


帰り道、複雑顔のマスクが、二度、「あたしを撮って」と訴えてきた。


世界も春の陽気に踊らされている。痛みは感じられない。まるでゲーム。なんだここは。仮想現実じゃないんだぞ。
分からない。踊らされるより先に、踊っちまおうぜ。涙も吹っ飛ばせ。俺はここにいるっての。


「愛をこめて花束を」

好きな方、やはり多いようですね。うんうん。僕も例外にもれず、大好きです。


結構‥というか、かなり好きです。この歌。「Superfly」です。

昔の彼女が当時、よくカラオケで歌っておりました。
そうそう、何の風の吹き回しか、自分でもあまり考えずになんだか面白い気がして、先日、彼女に『まちゅ★ぴちゅ』を送りつけたんですね。
しばらく経ってからコメントが届きまして。
「見たよ~!また陽気なことやってるね。」なんて言われました。

昔からなのですが、あの方、言葉の使い方が(も?)少しおかしいのです。ここがへんだよ、日本人です。
「陽気なことやってるね」なんて今どきの女の子が言いますか。言わないですよ。「陽気」って、その言葉のチョイス、何なん?斬新ずぎるそのセンスに脱帽です。
でも、そんなぶっ飛んでいるところが好きだったんだよなと、僕は思わず笑ってしまいました。


僕は絶対にそんな使い方は思い浮かばないし、できないですから。
僕にはないものばかり、彼女は持っていました。僕が持っていたものを、彼女は一切持っていませんでした。僕らはふたりでひとつでした。

まあ思春期ということもあったとは思うのですが、それにしても服装から何から 彼女は本当にCrazy でした。僕は待ち合わせの度にドキドキワクワクソワソワしていたんです。今日はどんな格好か、見たいけれど見たくなくて、ね。こわいもの見たさというやつですか。

まあ、僕も結構ひどくて、隣にいてほしくない格好をされたときなんかは、最初から露骨に苦い顔をして、はっきりとダメ出しをしていました。何様なんでしょう。今ならもう少し、オブラートに包みますよ。‥え?黙っとけ?それはちょっと知ってもらいたがりの僕には難しいかなあ。
好きだから、もっとかわいくなれるから、文句を言うわけですし、ね。
ま、ひどいヤツです。でもそれくらい奇抜なセンスだったのです。

「‥なにそれ。なんで?そんなん見たことないよ。おかしいしょ。」

待ち合わせて三秒。ケンカの始まりです。まくしたてられると、僕も口答えができなくなって黙るしかないんですね。普段は僕の方がいろいろ達者なのですが、ケンカになるとてんで弱い。彼女は考えながらまくしたてることができるのですが、僕はそれがどうしてもできない。黙っているうちにどんどん攻められて、面倒くさいから、とりあえずその場をやり過ごすために平謝り。そうして、嫌な思い出は都合よく忘れるのですが、彼女は嫌な思い出ばかり抜群の記憶力を発揮させて、いつでも引き出しから引っ張り出してくるんですね。


まあ、すごい脇道に逸れてしまいましたが、たまにはライトな文章も一興ということで。


まあ、なんというか、どうにか本流に戻ると、Superflyね、この曲いいですよね。生命力のある女性というのは、美しいです。


言葉のチカラというのは、それはもう、ものすごいもので。
「言霊」というやつを僕は利用して、利用されて、こうして生きているわけで。

誰かと話しているときに、そこにいない誰かの話が出るでしょう。「誰か」でなく「やりたいこと」とかにも共通なのですが。

そうすると、頭にその人が知ってか知らずか、インプットされるのです。そうなるともう、僕は夢の国に生きていたいわけでもないから、妄想だけではとめられないのです。逞しすぎる想像力が一人歩きしてショックを受けてしまわないように、実像を確かめずにはいられなくなるのです。だから、自転車を走らせて、阿佐○谷へ行きました。


 5/12は、母の日です。


そこには、働くきれいなおねーさんがいました。
僕は好きな人の働くところをのぞき見するのが昔から好きでね。驚く人の顔と言うのはいいもので、。悪趣味だろうか。
勿論『まちゅ★ぴちゅ』も手渡してね。一号100円もらっちゃったりしてね。おやつまでもらっちゃってね。



ああ、また脱線するよ。すません。
彼女が何をしていようが、誰の胸で眠っていようが、今の僕にはいい意味でどうでもいいことになりました。
といっても、こうなるまでは長かった。僕は超引きずり太郎ですから。
五年付き合って、回復するまでに四年かかったわけです。

勿論、泣いているより笑っていて欲しいとは思います。彼女に教えてもらったことが僕には沢山あるから。
でもそれだけ。
まあ、たまに会ってしまうと、「あれ?かわいいね。っていうか、きれいになったね。今夜どう?」なんて、何を狙っているのか分からないセリフを吐いて、冷たくあしらわれるという、そんなに、というか全く大人でない僕も確かにいるのですが。
バカな誘いをかけられるのは、彼女が完全に僕のところに来るはずがないという前提、信頼があるからだと思うのです。

人間、やっぱり、恋していないといけまへん。いけなくはないけれど、季節は、春です。
解き放つなら今、です。
僕らも生物です。ただのヒトです。「人間」をしようとしなくてもいいと思うのです。自然のままに任せたらいいと思う。アカデミー賞なんてくそったれい、でしょ。



あなたの、かつての特別な人は、どこにいますか?元気ですか?
それを考えたとき、心に喜びは息づいていますか?

2013年4月16日火曜日

きれいなおねーさんは好きですか。@カルマで中野


ありきたりなタイトルですいません。


香川農life直前、阿佐ヶ谷イネルでえみこさんと知り合った。
僕はカヌーを漕ぐから、四万十に行けたらいいなと話していたら、高知県四万十でcafeをやっている「みどりちゃん」という友だちがいるらしい。
四万十初日、ソーシャルワーカーが展開するCafeわくるへ、行ってみた。予期せぬ客の来訪に驚きながらも喜んでくれた。笑顔で店内に「まちゅ★ぴちゅ」を置いてくれる運びになった。

「阿佐ヶ谷イネル」でもらった手書きのニュースレター。「まちゅ★ぴちゅ」は、気付かぬうちにそこからヒントをもらっていたような気がする。

縁ありつながった、(つながっていた、か)ふたつの素敵なお店のすべての始まりの場所が、ここ。

中野無国籍食堂カルマは、まるさん。

都民投票で知り合った、ビッグイシューでもお馴染み・料理研究家の枝元なほみさんも、ここ、カルマで修行をしていたんだって。


「あべちゃんに会わせたい人がいる。とりあえずイネルに行って。」
きれいなおねーさんにそんなことを言われて、紡がれていった不思議な糸。


自分のことをよく知っているのは、自分ではない。

自分のことを気にしてくれている人が、分からないうちにそばにいたりするんだよ。
それを知ったとき、僕はとーっても嬉しかったんだ。

ふと、思ったんだ。顔の見える誰でもない誰かのために宛書してきたけれど、
実は、意図しないところで誰かにあげられているものの方が多くて大きいのかな、なんてね。

言葉が、親である僕を差し置いて、一人歩きをしていたんだ。


僕の生き方を、考え方を、僕自身を、僕の言葉を、
「面白い」とか「出会ったことのないタイプだ」とか言ってくれる人はまあ、いるよ。
昔からずっと「普通じゃない」と言われてきた。

僕は満足していないし、もっと、もっと突き抜けたくて悶えているわけで。
手がかりをつかみたくて結構必死なんだ。妖怪とか化け物にでもなりたい。

でも、そうなれないのは、分かってはいるけれど、僕は甘いんだ。甘すぎるんだ。潔癖なんだ。、きれいなものしか見たくないといつも願っているんだ。気にしないでいいところばかり気にしてしまう。最後には自分を守ってしまうんだ。逃げ癖はいつまでも抜けないし、結局自分がかわいいんだ。人は変わらないんだよ、簡単に。変わりたいと本気で思っていれば変わるはずだのに。好きなものには、好きな人にも、捨て身でありたい。どうして片足残すんだ、馬鹿。中途半端だ僕は。

途中から、春になり仕事が舞い込んでバイトをする暇もない絵描き屋も合流。

まあ、そういう問題点とかこれからどうしたらいいのかとか具体的なところまで、びしっと指摘してもらったのです。人のことなら調子よくいくらでも言えるのですが、こと自分の弱みを指摘されると、‥あたたたた。
人のふり見て何とやらです。本当。

でもね、やっぱり、嬉しいんです。気持ちの良い敗北感とでもいうのでしょうか。
僕がどうなろうとどうでもよかったら、会うことも口を酸っぱくすることもないでしょう。
僕が書くことに向き合おうとしていて、その意味を言葉の裏までちゃんとわかってくれていて、そこでどうにかやっていけるようにするにはどうしたらいいか、時間を使って一緒に考えてくれる人がいるんです。いたんです。


書きたい。書いていたい。書かせてください。生きたい。生きていたい。生かされていたい。
君に生かされた僕に、恩返しをさせてくれないか。僕はときに無力な言葉のチカラを信じているんだ。信じてもらいたいんだ。

何でもいい。
エッセイ、コラム、インタビュー、詩、‥
喋ることもしていたい。何かお話あれば、ご一報願います。

lake.abelake@gmail.com
安部 怜


今日は何の話をしようか


僕の友人は、なんでか、みんな、揃いも揃って、寂しがり屋ばかりだ。


久しぶりに会った友人は、なんだかとっても幸せそうで、初めて会った友人の大切な人は、なんだかとっても素敵な笑顔だった。

僕は、ふたりに笑ってほしくて、楽しんでもらいたくて、この冬に起こったあんなことやこんなこと、感じて考えたこと、大切な人、‥いろんな話をしたよ。




いつかのいたいけな高校生ズは、春のセントラルパークで笑い会う僕らに何思う?

ウィンクしてたって、ピースしてたって、幸せとは限らないのが人の世の常でしょう。