2022年7月15日金曜日

【千歳川下り】つつ歩く


良い川は良い森と一対。大きなカツラの木の葉越しの光の尊さ。美しい川。

今年は特に美しいモノに幸運にも沢山出会えている。
出会う度、「美しいってなんだろう?」(矢作多聞さん著)という本を読みたくなる。
ポチッと買えば手っ取り早いのだが、なぜだか、ポチッとしたくない僕がいる。
装丁の美しさだろうか。手に取って買いたい自分がいる。

話がそれました。
ここは本当に良いところ。
お気に入りの場所はいくつあっても良く、あればあるほど、生きやすくなる。


2022年7月12日火曜日

ペンペン畑部 実る

先日の畑にて。


安平町の「百姓のいえ」(お人柄が味ににじみ出ています)さんからいただいたナスが実をつけました!
やった!!どこまで大きくなるかなあ?見守りましょ。



真駒内「あしたや」さんでいただいたトマト。こちらも実がつき、少し大きくなってきました。

ペンペン畑は、各方面からのやさしさに支えられております。ご縁に感謝。



大好きな豆は、各種植えました。これらで味噌をつくるのが、僕のちいさな夢です。
豆は去年発芽前に神隠しにあった(鳥さんかな?)種類もあったので最初が肝心であることを学んでいます。
去年は乾燥豆のままぽいぽい植えた(それでもそれなりに収穫できた。豆のちから。)のですが、
今年は、植える前に水にうるかし、発芽をさせてから植えました。
さらに最初が肝心ということで、「百姓のいえ」さんで見た不織布カバー作戦を真似したら、うまいこと育ってくれました。
とりあえずやってみているだけでも、多くの気付き、学びがありますね。 


何故か【青じそ】は見事に葉が食われてしまっていました。
青じそなんざ(失礼)勝手にどんどん増えていくイメージだったのでびっくり。苗が弱かったのだろうか。

微生物の力で野菜づくりをする自然農法の「農と蔵たなどぅい」(お店で自然栽培野菜各種お取り扱い中。)のじょかり氏によると、土の栄養過多?かもしれないねと言われました。
素人的には栄養があって困らないのではと思いますが、
たまきくん曰く、「あまりに栄養豊富だと微生物と土の関係性がうまく築けない」
そうです。人間関係も、微生物関係もセンシティブであるのは共通なんでしょうね。

大好きな写真・文筆家の言葉を思い出しました。
「自然はあらゆる示唆に満ちている。導かれるままに進むだけだ。」(写真家・石川直樹)

2022年7月4日月曜日

用の美~【月とカヌー】のウッド&キャンバスカヌー

それはそれは美しい乗り物がやってきた。


シンプルを極めた美しいカヌーの形は、実は百年以上前に完成している。


かつてH氏とコーヒー談義をしていたとき、
『何かの本で「シンプルを極めるとピュアになる」との言葉があるよ』と教わった。

良い言葉だな~、まさに僕が表現したい理想のコーヒーじゃないか!と、記憶した言葉は、目の前に佇むカヌーにピタリと当てはまるようだった。
…一歩間違えるとそのコーヒーはアメリカーノとなる。


シンプルを極めた美しいカヌーの形は、実は百年以上前に完成している。
素材は変われど、工業製品になれど、形は変わらないのだ。

作り手:匠さんは言う。「飾ってもらいたいんじゃない。使ってもらいたいんだ。」
…民藝オタクの店主から教わってきた「用の美」的概念が自然、頭に浮かんだ。
インドアとアウトドアの違いはあれど、核としてあるものは一緒だ。境界なんてのも本当はないのだ。コーヒーもカヌーも、僕らだって、水がないと生きてはいけない。

暮らしの道具として、既に完成されているカヌー。
すべての水が、「暮らし」という大河につながっているように感じた。
何をしても、どこにいても、行き着く先はきっと一緒なんだろう、と。



用の美(ようのび)とは - 俺の国語辞典

意味:道具は使われてこそ美しいという考え

道具は本来、飾って眺めるだけのものではない。また使うことができない浮世離れしたデザインであっては人に使われない。この世に形ある道具の本当の美しさとは使われている姿ではないかという問題提起である。拡大解釈すれば、美術品等もコレクターズアイテムとして死蔵するのではなく一般公開して人々の日常にあらしむるべきだとも考えられる。



かのあ代表、試乗。
この美しい乗り物、君の名は、ウッド&キャンバスカヌー。
名前の通り「木」と「キャンバス」でつくられている。

どうやってつくられているのか、とか、なんとか抜きに、水に浮かんだこのカヌーはただただ、美しかった。僕は美しいものにめっぽう弱い。

作り手は福島の月とカヌー
毎年顔見知りに手渡したり販売している「月のカレンダー」・「ムーンサークルカレンダー」の制作者でもあります。

カヌーをつくるために、物語は工房づくりから始まった。「すごい」以外、なんて言えばいいのか分からない。
年数や数字で簡易表現するのはどうかと思うけど、制作日数は「およそ12年」

情熱を燃やすのは誰でもできるけれど、消えない炎を燃やし続けること。思うこと。続けること。


なおきさんが昔つくったウッド&キャンバス↑も、匠さんのもそうだが、既製品では味わえない乗り心地、感覚を得られる。酔いしれるというか委ねるというか、とにかく、居心地が良く、ここにいれば、これがあれば他には何もいらない、心も体も満ち足りる、そんな気持ちを抱かせてくれる。

乗っても、眺めても、美しい道具。
自身ははて、どうか?美しく在るか?

自分が味わったとっておきの感覚を、思い浮かぶ大切な人たちにも味わって欲しい、と思った。

【月とカヌー】作の美しいカヌーは今後販売予定。
好きな色にできる(既製品ではそうはいかない)そうですよ。
不器用な僕は自分で作るより匠さんのつくったカヌーを使いたいなと、色のイメージを膨らませて内なる宇宙に浮かんでいる。


知床でシーカヤックツアー、冬はニセコで雪崩情報を流している新谷暁生さんの言葉にも

「道具は使うためにある。そして使えば壊れる。」(73回目の知床』より)
とある。この場合は道具=身体のことだったけれど。 

よし子さん(月とカヌー)は言っていた。
「道具は使うもの。使えば壊れる。壊れたら直せばいい。(…その土地の材料を使えれば手っ取り早いよね。)」 

ウッド&キャンバスカヌーはリブ一本(パーツのひとつ)さえ残っていれば、その魂を継いで直せる、とのこと。世代を超え、子から孫へと物語を継いでいけるのだ。

 
ずきゅんわーずを色々ご紹介しましたが、最後は当ブログでも何度か書いている大好きな匠さんの言葉で締めます。

「カヌーとは、ルーレット。いつどこで誰と乗る事になるか分からないルーレット。」

次は誰と乗れるかな。