2016年7月31日日曜日

末っ子どんぐり天使


「本気のコーヒー」380円。「どんぐりスマイル」…。


ネルドリップで、毎日、日に何度も求められるに応じ、コーヒーをハンドでドリップし続けている。自分の好きなもので稼げることが嬉しい。苦しみの倍どころではない喜びが茶色い液体にはある。

澄みきった支笏みたいな味に決めたい。
淹れるときは雑念を追い払うよう努める。透明度の高さが売りだから不純物は不要。
しかし、太陽を数日浴びないとぼくは駄目だ。不純だ。簡単に腐る。まだまだ未熟や。ブレすぎ。手に入れるべきは安定感安定感。

夏の店にいることはずっと外にいたぼくには相当苦しい。やることが多岐にわたりすぎている。
でも、負けない。でも、逃げ出さない。楽しんでやりたい。挑んでる。自分に。

何でもできるようになりたい年頃。
何をさせても最高のパフォーマンスを提供してみせたいし、できつつある年頃だろうから。

ガイドとしても、コーヒー好きとしても、カヌー好きとして、支笏好きとして、店番長として、事務員として、譲れないものがぼくにはある。
こだわりの塊は、周囲には面倒臭いだけだろうが、仕方がない。
ぼくは、好きなものには妥協をしたくないし、できない。好きなもののためなら、ぼくはいくらでも何だってやってやりたい。他のことはどうでもいい。


「本気」の抜け殻…使用済みネルを末っ子にかぶらせてみた。

天使がこの地球にいるならば、それは君のことだろう。

かつて、末っ子だったからだろうか。勝手にシンパシーを感じてしまう。かつて、まわりの人たちはぼくにどんな眼差しを向けていたのかを今自分の心に教えられる。


今年のトレンドやな。コーヒー染めはアースカラー。
きゃわいすぎやで。食べちゃいたい。

…っぱあ!

2016年7月30日土曜日

ベンチあっためてます

夏の風物詩が二人、今年も変わらず現れてくれた。



これはたかこ。特筆すべきはフランクすぎるバランス感覚か。


何かしたいって思ってくれて。一緒に楽しみたいって思っていて。
間にあるのは気持ちだけ。損得より大事なモノがぼくにはある。

気の置けない人が集まりゃ楽しい。嬉しい。笑顔増量。
店ができたおかげ。人を巻き込むためにあるんだろ?


コーヒー淹れてメール返して、遅刻や英語、イレギュラーツアーを引き受ける。


ニセコ・フォレストレック】代表・矢吹全氏はかつてこんな言葉をくれた。

「イレギュラーを楽しめ。」


うん、オレ、イレギュラーを愚痴らず、受け入れ、誰よりも楽しめるまでになりました、矢吹大先生。


2016年7月27日水曜日

「夏始まってました会」と雨

降りやまない雨。心を休めよう。

3月から始まった今年の夏。
カヌーだけではなくなって、早一年。
どうにかバランスを図りながら関わることすべてとまっすぐに向き合う。

夏の最中、「生きててよかった夜」を大好きな人たちと過ごした。



アホでいいや。そんな夜。仕事には本気。たまには羽目を外さないと。


‥ん?


2016年7月25日月曜日

七月の樽前山へ友だちを連れてった

七月最後のお休み。

6時半。夏の樽前。


天国への階段を陽気に駆け上がる。



必要な色彩はそう多くない。


青があって 白が流れる 風掴む 
笑う花に そっと寄り添う 緑

どれかだけではどうにもならず
全部になるなんて叶うはずもなく

その都度 これだと信じるものに生まれ変わる


奥ゆかしき、イワギキョウ。朝ほど美しい時間帯もない。



楽しいときに楽しいって、分かりやすく素直に表現できる人は世の中にどれだけいるだろう。

生きているうち、この人を超えることが一体ぼくにはできるのだろうか。

尊敬してやまない人から生まれた幸運。よっしゃ!


楽しむために生まれた。とことんまでこの地球を味わい尽くすために生まれた。



頂上に近づくと、今度は虹が待ち構えていた。
そのままぼくらを追いかけてきたから一緒に頂上へ。

その後も三度、虹に遭遇。利尻でも見たけれど、これは歓迎の合図。


楽しいお出かけには、いつだっておにぎり。



7月はタルマエソウ(イワブクロ)の季節らしい。そこかしこでお花畑。


この地球(ほし)は美しい。


この前登った「フップシ」の熱視線をどうにかかわす。


羊蹄も遠くに。

堀田貴之氏みたいでないの。


360度回りながら見つけた、鬼FACE。



2016年7月24日日曜日

シャッターの音

夏の風物詩。

花火。たかこ。フーコ。


photo by ぶっちー。



シャッターの音 おはよう
いちにちをはじめようか

シャッターの音 お疲れさま
いちにちを終えようか

はじまりもおわりも サインはいつも シャッターの音




素晴らしき夜


去年、三人で見上げた雨の道新花火大会。今年はサッカーチーム。

小さいけれど、確かな笑顔たちが集う夜。ここで暮らしてきた。暮らしていく。

去年、ガイドと店番の境目で茫然と立ち尽くした夏をぼくは忘れずにいたい。

現場に出りゃ偉いのか?店を守る人間がいなければツアーはもう成りたたないじゃないか。ケーキは誰がつくるのさ。どっちが偉いとかじゃない。出れるもんならオレだって毎日現場に出たいよ。店を回せる人、いないじゃないか。

そう、泣きながらわめいた2015年、苦しみの夏をぼくは忘れずにいたい。


店ができるまでの四年間はいつも、こんな感じだった。
その年ごとに隣の相棒が変わった。

photo by だいごろー。

「京都じゃこんなこと…」だいころーが嬉しそうに隣で寝転んで高笑い。





2016年7月22日金曜日

ディカプリオわーど


僕は若い時に夢見ていた多くのことをやり遂げることができ、
とても幸運だった。
富や成功を手にしたとかいう意味じゃない。
そうしたものは、
結局のところ幸福をもたらすものではないから。

大切なのは、
自分がおもしろいと思った人生を歩めたかどうか、
何らかのかたちで周りの世界に貢献できたかどうか
ということだと思う。

ビッグイシュー285。レオナルド・ディカプリオ曰く。


2016年7月21日木曜日

さしすせしんど


朝、深い雲の中、カヌーを出しにいく。
何年もずっとぶつくさ言いながら一人でいた。

なんだか、今日、それがアホみたいに新鮮かつ、懐かしくて。
今年の朝はパソコンとコーヒーと向き合うことが多いし、ひとりで準備をすることも減った。

徐々に太陽が雲を掻き分けていく。数秒で移りゆく景色。
朝はいつだって完璧。ぼくは早起きしないではいられない。何がどうなるか予想のつかない一日が始まるっていうのに、ぼんやり寝ぼけ眼でうとうとしてなんかいられない。
秋なら夕方もいいが、夏は朝に限る。

ボート小屋の方を見やると、やはり、たんたんがカヌーを漕いでいた。

おー、久々いい感じだね、最高だな。やることやってくっちゃべる時間。これがいかに価値ある時間か、いつかのぼくに教えてやりたいもんだ。

湖沿いには、口数が馬鹿みたいに多いロマンチストが集うのか?

本日、ふうちゃんと二人。
久しぶりに一日中外出ずっぱり。
しんど。
アルシンド。







クリエイティブとルーティン


同じことを繰り返す。
何事なきように、滞りなくかのあが毎日を回していけるように細心の注意を払う。あるんだかないんだか分からないかのあイズムを守るために、いちいちの過程にこだわる、なんとも口うるさい姑のような役回りを勝手に引き受ける。友達はいらない。仲間がいればいい。言いたいことは言い合える関係でないと。馴れ合わずに高め合いたい。いいところは誉め合い、どうかなというところは話し合い、好きなことで稼ぐ喜びをとことんまで共有し、
いつでも質の高いパフォーマンスを提供したい。誰のツアーだろうと一定の水準は保たねばならない。

かのあにぼくは育てられた。親みたいなもんだ。
好きな人をたいしたことないと自ら思いたくないし誰かに思わせてはならない。

苦しいときほど笑うのだ。

夜にたまったメールを片付ける誰もいない早朝の店にいると冬を思い出す。寂しいけれど、喋れないのは辛いけれど、惑わされずに仕事がはかどる。快感。ひとりも嫌いじゃない。寂しいけれど。今日はどれくらいコーヒーが出るかなと考えながら毎日追われるようにコーヒーを淹れ続ける。全くもって悪くない。

nackyの荷物を軽くできれば、かのあは、どんどん新しい世界へ突入できる。一人では思いもしない、たどり着けないであろう世界に足を踏み入れられる。これから何がどうなるんだろうと、ワクワクさせられっぱなし。
日々のルーティンワークを背負うのは、自分が誰より楽しみたい、楽しませてよと欲しているから。ニンジンがあれば、どこまでも走るよ、オレ。
マラソンや山と似ている。ゴールするにはゆっくり、はやる気持ちを押さえられるかが大事。

今日もよりよく生きるのだ。
顔を付き合わせる人は一握り。だったら、互い、笑顔が理想。泣きたいときは泣くし泣けばいいけども。今夏はまだ通勤中に泣いてない。負荷をかけないと、だな。わはは。マゾか。






2016年7月20日水曜日

本の日


一日店番。なんだか暑くならない夏。
ツアーから戻るやいなや意気盛んにそれはそれは楽しそうにワンツアーに起きた物語を面白おかしく報告してくるガイド勢。

なんつーか、かわゆいでないの。
ぼくもこんなだった、いや、今もか、と。


足を運び、運んでもらうお店コミュニケーション。
相互通行は何においてもいいもんだ。頑張ろっと素直に思える。


最近、本を読みたいなあと何とはなしに思っていたら、今日はあっちからこっちから本がやってきたから、今日は本の日。ここは日本。
ちゃんちゃん。


南からの手紙


何年生きても、おっかなさはなくならない。
生きれば生きるほど、むしろ、おっかなさは増していく。
しかし、それでも、ぼくはぼくでしかいられない。
ぼくをやりきれる人は世界にひとり。
あるがままを、許しあえるまさかの奇跡をあり得ないと馬鹿にしながらも諦めきれずにどこかに探すでもなく微かに期待している。
なんて阿呆なんだろう。積み重ねた過去はたいした説得力を持たないのか。心の向きはいくつになろうと変わらない。



この時代に生まれ、違う場所に暮らし、その時々、愛しい人たちを一生懸命にヘタクソに愛する。

苦しいとき、苦しげに。
笑うとき、幸せな。

南のロックが響いてくる。ずんずかずんずん泣きながら笑ってる顔が見える。いつも苦しげなノイズ。
愛していると伝えるがためだけの音。

どんな手を使ってでも、生命に固執する。
そこまでして、生きるのか。そこまでして、何を掴もうとしているのか。
そこまでして、ただ、願うのはひとつっきり。

どこかで誰かが泣いていたなら、こぼれる涙を掬うことしかできないけれど。ただただ、そばにいることしかできないけれど。
もしもぼくが泣きたいときには、なんにも言わずにただただそばにいてほしい。

北と南はやはりよく似ている。

生きててよかったと強く、深く、感じさせてくれる島。
日本の端は世界のはじまり。

はじまりの地で暮らす、何てことないとっておきの一日がまた、はじまるよ。

生きててよかった。そう、感じまくれる幸福は誰かに感じさせるために与えられたんだろう。



2016年7月19日火曜日

駆け抜ける夏

疲れた顔、眠い顔。
働く野郎共、勢ぞろい。そろそろ強烈な助っ人があっちからこっちからやって来るはずだ。


厨房。情熱を着飾ろう。

何にも言わずに、何にも言われずに、予約受付業務隊長として闘うことにした2016。
チームインドアーズ、ふーちゃんとぼく。

ガイドにはツアー業務に思いっきり集中させてあげたい、あげないと。
そういつかなおさんが言っていた。お店ができるまでぼくはずっとツアーのことだけ考えてこられた。そのときはそれが当たり前だったけれど、舞台を整えてくれる人がいるおかげで気持ち良くツアーに出てお客さんも気持ち良くさせられるということにようやっと気付けるところまでたどり着いた。人は急に変わるから分からない。
振れ幅たるや、始まりが酷いだけにここまで顕著な人間も稀有な気がする。

地球は回る。役割もめぐる。さよなら、ウェルテル。

ケーキ作りから解放された分、負荷をかけたかった。必死な自分に会いたい。
まあ、メールの波に翻弄され、コーヒーに追い回され、ツアーに出ればトリプルパンチで結構必死。
お口が悪くもなる。

でも、カヌー・コーヒー、好きなものに追われて嬉しくないぼくじゃない。

本日、今季二度目の凡ミス。
前回は利尻で遊んでいるとき。申し訳ない。どれだけ注意を払っていても、ミスは起こるらしい。事務処理能力、結構高いんじゃね?と思っていた自分への信頼が揺らぐ。
今回は自身で尻拭いができるときで良かった。

通常時であれば決して抜かない刀を珍しく抜く。早いうちに友だちになる。
どんな状況であろうと、イマイチなツアーを行うわけにはいかない。それは、お客さまのためなのか、かのあのためなのか、はたまた自分のためなのか。maybe 全部。

去年までならできなかったことがどんどできるようになる。
これを「快感」と呼ばずして何と呼ぼう。


できないことが多すぎたが故に、できるようになることも多い。
ようやっと成長期かしらん。うふふふふー。

2016年7月17日日曜日

七色days

恐れていた夏に入った。
まだまだ笑えている。去年苦しすぎたおかげで無駄に楽しめている。ありがとう。

ここ数日をほんの少し振り返る。



みんなのフーちゃん。口癖は、「とんでもない」。


七月も団体さんがあっちからこっちから。レスキュー練には最適かな。



とある日は、取材対応。同じ国でも真逆の価値観だよなあと異文化交流。

ぼくらには、今日の天気がいちばん大事。



恒例イベントは今までにないほどの絶好のコンディションの中、ラフに描くんだか描かれていくツアーもまた一興か。


水草の季節と、カヌー馬鹿。珍しくなおきさんとファミリーカヌる。


緑は色濃く、水は濁れど水草繁茂す。

一瞬の夏を噛みしめながら。


常連さんの存在は、ぼくらガイドの背筋をしゃんと伸ばしてくれるし、何より嬉しい。
足繁く通ってくれるのは、自分たちが毎日美しいと思いながら漕いでいる場所を気に入ってくれている論よりの証拠。


本日、午後は久々にほり大先生とSotoCafe。




2016年7月16日土曜日

イレギュラーに食らいつく日々


感じることを、ほんの一時間でも手離せたらどんなにか楽だろう。
まだまだやはり、少し、感じすぎる。少し。少しだけ。


北海道新聞の広告。

心を一瞬でもなくせれば、折れる心配もない。折れる心自体がないのだから。

しかし、難しい。
わからないことが相変わらず多すぎる。
生物多様性。
いつもと違うツアーはいつもと違う感情を与えてくれる。

数なんかどうでもいい。
カヌーを美しく漕ぐ人だったり、おいしいものをつくれる人だったり、楽しそうに笑いながら暮らすことだったり…
自らの意思でクリエイティブであろうとすること。どう考えてもそっちのが素敵。まがい物に興味はない。
空虚な価値観じゃ満たされない。

不特定多数の真逆をこそぼくは歩きたい。

宝石より情熱。

Wear your passion.

2016年7月15日金曜日

改定「深夜高速」フラワーカンパニーズ


団体さんいらっしゃい。why、矛先は自分。波立つ。

利尻を見るには礼文。夫婦島たる由縁。一人ずつでもそれはそれぞれに素敵だけれど、隣にお互いがいるおかげで、魅力がさらに際立つ。二人でひとつ。人が二人で生きるなら、そういうのでないと。
ジョン・レノンとオノヨーコ。たかことまさとし。新宿ベルクの店長と副店長。フェア。対等。

利尻富士、高山植物、海、みどり。これが整うのは楽園・礼文だけ。
ありえないものたちが協奏。「北」にはかなわない。知れば知るほど好きになる。



久しぶりに「深夜高速」を聞いてしまった。
音楽は大抵、家族か彼女か、はまだくんから教わる。

はまだくんの声がオリジナルな気がしてしまう。
目を潤ませながら立ちっぱなしのSuper live、今年は開催されるだろうか。参加希望者は秋までに検討しといてね。お座り厳禁だから。

早く起きたら早く働く。
メール返信をなるだけ静かな時間に片付けたい。
「深夜高速」を流しながら。…メール返信どころじゃない。口ずさむどころじゃない。

この唄知ってる?すごいんだわ。

ふっくんがニタリと笑った。

「生きててよかった」。
そんな夜をあと何度でも過ごしてやりたい。
説得力をもった「夢の中で暮らし」、「夢の中を生きて」やれ。

あるようで実は全くない夢と現実の水平線。実はぼくらにはできないことはあまりない。邪魔をするのは自身の常識だけ。
思考と現実はどちらともなく惹かれ合い、いつだってひとつに交わる。願うだけ。イメージするだけ。
そうして、こうなるより他にない今がある。

一晩堪え忍んだ命に感謝。痛い思いはもうさせたくない。
ぼくら、もっと頑張るから。ありがとう。








2016年7月13日水曜日

心の値段


本当に書きたいことなんて何一つ書けない文章を毎日書くことに何の意味があるのだろう。


(一人でヒリヒリしにいったはずが、気が付けば人に囲まれ救われた天国にて。旅は道連れ世は情け~な利尻パーティは関東勢。澄み渡る空。思うことはただひとつ。神さんに近づくほど、大切なことが何なのか、研ぎ澄まされた答えを教わる。必要なのは紙でもペンでもなかった。この素晴らしき世界を持ち帰れたなら、こぼれないように両手でやさしく包んだなら、さて、どこまで運ぼうか。)

別に嘘は書いていないけれど、真実は行間にしか、ぼくの心にしかない。心はお高い。安売りは御法度。無力な言葉。
書いていいことと、書くべきではないことと、書きたいけれど書けないこと。書きたくないこと。いろんなことを毎日選り分ける。 育てるべき芽。摘み取るべき芽。

伝えたいことが多すぎて、どこから手を付ければいいのか365日惑う。分かってほしくてたまらない。しかし、分かられたってたまんねーもん、と唄った卍lineにも頷く。傷は癒えても消えず、たまに酷く疼く。とにかく笑えれば、どうにかなる。何のためにとか禅問答はもういい。在るもの。存在より確かで信頼できるものはない。しかし、痛みは何のために与えられるのだろう。優しくなるため?寄り添うため?いや、禅問答はもう…。

フィクションとノンフィクションの狭間を意味があるのかないのか分からないなりに漂う。悲しみと喜びはよく似ている。高まると涙になる。最後に泣いたのはいつだろう。

ただの言葉遊びが誰かの息抜きになればいいのか。

どうしたら良いのか分からないことだらけの毎日に食らいつく。
とにかく、ただただ、とことん、誠実でありたい。

書けないことだらけの日々は死ぬまで続く。

好きな人に会いに行く


【ただ、暮らす】ことの面白さを教えてくれた。
どんな場所で、その人は暮らしを形にしているのだろう。いつか、必ず、会いに行こう。

会いに行く。
それより他に伝える術はないはずだ。指先ひとつの薄っぺらい世の中には背を向けて。どんな声を、笑い方を、指先を、思考を、佇まいをしているのだろう。

存在を越える言葉をぼくは持たない。あなたに会いたかった。
そう、ぼくは言われるより先に行動で示したい、示されたい。

物語のはじまりは、いつだって曖昧。

so,マイルドに愛したい。わはは。




2016年7月10日日曜日

雨雨雨


変な天気。

こちらは旅の空。気に入った場所で眠る。

雲行きを気にしながらカヌー上休憩しようとしたら、大スコールに見舞われた。
なおき部隊はカヌーを傘にした。

ぼくとだいごろーは…

構わず出発。いつもよりお馬鹿スイッチ全開。笑い声をかき消すほどの雨。テンション上がるのは何だろう。店に帰りつくと、雨、アガル。

午後に備えるかと準備中に大スコール2。わはは。やってくれるでないの。

午後ツアーは短縮。店に戻るやいなや、大スコール3。今度はかわしたぜ!

店内では森高千里の「雨」が降った。

いい選曲だなあと自画自賛す。

雨をひとつひとつ、と数えるか。日本語は美しい。使い手次第。人も言葉もきれいなのが好きだ。
雨は眠気を誘い、テンションを上げた分、消耗も大きく、しかし、自分がつくったものをおいしいと言われる快感は、その味を決めるまでにあらゆるものを費やした者の特権だよなあと心のうちでにたついているのだが、多分、全部顔に出てる。
美味しい、楽しい、気持ち良い。
この三つを誰かと共有できたときに初めて、幸せは現実のものとなる。独りよがりではいけない。せっかく、人がいる世界に生きるのだから。

【INTO THE WILD】より。
「happiness only real when shared」
(幸福が現実となるのは、それを誰かと分かち合ったときだ。)

2016年7月8日金曜日

久しぶりの湖は夏全開

自民公明に投票したい事案がひとつもないよ!投票、まだしてない方はしくよろ。


午前。千歳川の回送&買い出し。町はどんより。
午後。支笏はピーカン。新たなツアー企画のための下見ということで、ソトカフェご案内。
久しぶりにだいごろーのカヌーの乗り方説明を聞く。一番焼けている。一番現場に出ている証。説明時の喋りの型が定まってきた。メリハリメリハリーっ♪

「カヌーに乗ると童心にかえれますね。」
賑やかな三人娘が少し落ち着いた大人の顔になり帰りがけに笑った。

乗らないと分からない魅力。カヌー。話さないと分からない魅力。人。登らないと見えない展望。山。
どれもとりあえず、この手で掴まなかったら。
掴み方の一例を見せる。カヌーツアー。どこで幕が上がるのかもわからぬ内にはじまる物語。

好きなものの話。
ここがいかに毎日素晴らしいかを唄わせたら、二時間半では全く足りない。ゆっくりしゃべるから余計だ。
支笏湖六年目。ガイディングの軸は一向にぶれない。
気持ちひとつで最高に感じさせたい。やりたいことも突き詰めたいこともこれだけ。

なんつーか、勢いづいていくこの駆け足感。これはもう完全に、…夏やday!

小暑唄【 水のゆらぎ、心のあらわれ。】


低い山にはないものが、高い山には咲くように。



なくても問題ないものが、なくては足りないものにいつ切り替わるのか
昨日と今日の境にあるのか、はたまたそれは、カヌーとコーヒーの間に潜むのか、湖と川の間にたたずむのかもしれない

Fluctuation of water,revealed heart's desire.
(2015はからめ月のカレンダー3月より引用)

何度転び、それでもやはり、いつか、また転ぶとしても、
せずにはいられない衝動に抗う術はなく
人は懲りずに飽くことなく何度でも繰り返す

見知らぬモノ同士が溶け合うこの世は慈愛に満ち満ちている

何ができるあなただから、とか、そんなことは問題ではない
あなたがあなたでいてくれたことが何より素晴らしい
存在が眩く、存在が尊い、誰かにたいしての文句なんて誰にも言えないはずなんだ
思考や行動はついでの佇まい

ほくらは神さまじゃない
誰にも、誰もの素晴らしさを唄うことは許されど、自信を奪う権利など、どんな関係性だろうと持ち合わせてはいないはずだ
犯されざる領域の線はやはり曖昧なおかつ繊細
踏みにじらぬようにそっと歩く
自ら、誰にも踏みにじられたくない世界を守るためにも


くだらない天秤  去勢も同然 上っ面を取り繕う愛想笑いに幸せを感じるぼくじゃない
したいのはこれからの話
勝手にご都合よろしくつけられた通知表なんざ、評価なんざ、どうでもいい

…と思いたいと常々思うが、どうでもいいということほどどうでもよくないことであることは否めず、
情けないことにすぐにメッキは剥がれて汚くなるから、除光液が必需品
言葉で武装しパドルではぐらかし、コーヒーを見つめるより他に武器はなし
美しすぎる風景の一部になら溶け込み、馴染め、最も人目を浴びずに太陽を浴びれる気でいる

木を隠すなら森の中 変人を隠すなら水の上

それでも隠しきれないものに関しては諦めも肝心であることを受け入れだしている今日この頃。年を重ねるというのはいいことだ。

陸でのカフェのおっかなさはそこにあったか。

足りなくなんかない、あなたは素晴らしい、
あの人は最後までぼくの言葉を使って言い続けてくれた
ぼくが死ぬまで会えなくなったその人は手紙のやり取りだけでも素晴らしい人であることがよく分かる、誠実であり、また自分を笑えるユーモアを備えた人だった

ぼくがその言葉を信じないわけにはいかないのだ

足りなくなんかない、ぼくは素晴らしい。
このぼくでさえ素晴らしいのだから、あなたはまたさらにさらに素晴らしいと、声を大にして言いたい。
それがぼくの一生の仕事だ。

2016年7月7日木曜日

参議院選挙、期日前投票

迷う必要のない選挙さ行ってきただ。


ぼくは野党に投票した。自民公明にはさいならしたい。


どっちにVOTE!サイト↓
【http://demodeza.com/which-u-vote】



とりあえず選挙、面倒でも何でもいっとこーよ。

2016年7月6日水曜日

クリエイティブぽいぽい


貧乏性なのだろう。
せっかくつくりあげたものをぶち壊すことがぼくにはできない。
自分の思いが重たすぎるため、いつもそれに縛られてしまう。よきも悪きも。
そういった意味では超保守派、である。
【イッショウケンメイヤッタノニ~】と、こんなネタがかつてあった。まさに、である。


そんなぼくのそばにはいつも、年がら年中クリエイティブな人がいる。20歳。カナディアンカヌーとの付き合いはその人と積み重ねた年月でもある。その人はとにもかくにもカヌー馬鹿だった。
おかげさまで、今もこうしてぼくはカヌーに暮らしを載せて笑えている。
人が増えたことで、少し客観視できるようになった2016。こんなことを書ける日が来るとは世も末だね。
やはり、最強に面白い人だなあ、と改めて思える。
クレイジーがられることには飽き飽きだが、クレイジー感を誰かに感じさせられることは非常に稀だ。あちこち知った気の薄っぺらい旅人より断然、興味をそそられてしまう。

未知なる風。ワクワク。刺激的。何がどうなるか、何をどうするか、未来はぼくらの手の中。

人には向き不向き、得意不得意が確実にある。補いあえばいい。
きれいな○には惹かれない。つまらない。どこか足りない、その分を取り返してもお釣りが出る、それくらいの才能。
アンバランスな中に、何かこう、輝く才能がひとつ、ふたつ。そんな人がぼくにはいっとう魅力的なのだ。

足りないくらいが、ちょうどよい。

足りないということはつまり、何かに馬鹿みたいに秀でるということ。足りてしまうと、面白味が、人間味がなくなる。体温がなかったら、人が人である意味がない。

自身、足りないところだらけで、社会の強制の目をかいくぐってきた。ここでなら、ちゃんと、呼吸ができる。
生きにくさという違和感を押し殺す必要はない。器用であればそれすら打ち消せたのかもしれないが、ぼくは違和の正体をつきつめるべくただひたすらに足掻くしかなかった。
【生命】への執着心は人並み以上にあったのだろう。生き延びるべく随分と消耗した。
世界は狭いがときに広い。どこかに、地上に、楽園はある。

何度死にかけても、生きててよかったと思える瞬間に出会えるのならば、生きるというのも悪くない。悪くないどころか最高、じゃないか。

だから、最後にはやはり、感謝。これに尽きる。

いつも感謝のありがとう、だけ。








2016年7月4日月曜日

【おひねり制アナログ紙まちゅ★ぴちゅ】水深20m発送開始


北国暮らしは気に入っている。好きだとはやはり言わない。
しかし、心の奥底では染まりたくて馴染みたくて。
ホームの喪失というのは、都会人の闇であり、コンプレックスであるから、自分から出身地を明かすことはしない。一年目は聞かれなくても主張していたのに。
しかし、やはり、生まれは定められ、変わらない。ぼくはどう足掻いても今さら道産子にはなれない。
北海道の人だと思われることも増えた。しかし、まだまだ出身地を問われるのは、ぼくの中の何かがこの国からはみ出ているのをお客さんにかぎ取られてしまっているからだろう。

まあ、東京にいてもAsiaをさまよっても「何者?」とか「そんなテンションで日本人なはずあるか!」と返答に困る質問はどこにいようと、幼き頃より浴び続けてきた。誰と関わっても「あなたみたいな人、初めて。」「今までにいない」「変わってる」?またそれか。ありがとう。飽きた。飽き飽きだ。何がどう飛び出ているのか、逆にぼくが教えてほしいくらいだ。
しかし、不思議にも、飽きているくせに一向に馴れない。身体が強張る。いちいち、複雑な気持ちにさせられる。触れないでくれ。静かにさせてくれ。土足で踏み込むな、せめて靴を脱いで「おじゃまします」の一声をくれ。アイムアジャパニーズ。

面白おかしく返答しつつ、心の内では好奇の目を必死にふりほどいている。ぼくにとって、故郷、土地問題は宗教問題に匹敵…それ以上に最もデリケート極まりない、アイデンティティの根幹に関わる大事大事な話題。
何にも馴染めない、馴染まない、馴染みきれない、馴染み切らない、染まらない、そんな人間も世の中にはいる。

浮いてしまうのはもう、どこにいようと何をしようと仕方がないから受け入れよう。ぼくはきちがいだ。これでどうだ。

余所者魂をなくしてしまうと、その土地の風を受ければ受けるほどに、当たり前が凝り固まり、可能性は狭まり行動力が鈍る。
結果、ぼくはつまらない人間になるのがよく分かったし、どこかに無理があった。
一方向からの風だけではぼくは飛べない。あらゆる方位からの風が必要だ。

自分を好きでいたい。偽ることなく、ごまかすことなく、自身を面白がりたい。

だいぶ、話がそれました。


花のおかげで、言葉を取り戻せた、復活の今号は傑作「千歳川」編を越えた気がする。ヘタクソな文章だが熱がさめないうちに書けたのが嬉しい。
花と恋はよく似ている。
酔いどれに必要なのは酒じゃない。

きちがい野郎を気にしてくれるあなたに。
気にしていたいあなたに。
いつもありがとうの感謝。

今号からは天国にも送らないと。
めぐみさんに届けます。

気になる方、すぐ読ませろ、バックナンバー出せ、という方はご一報。
送りたいときに送りたい人にちんたら贈ります。勝手に送られてもおひねりはいつか徴収されるらしいから気を付けてね。

お問い合わせはこちらまで。
lake.abelake※gmail.com
※を@に変えてね。

2016年7月3日日曜日

to do or not to do


風に頭を抱える。
夏の風はストレスだ。

最後に頼るべきは予報ではなく、自分の肌感覚。今までの様々なシチュエーションと照らし合わせる。

無事にツアーを終えるのは当たり前。
カヌーを漕げばいいだけのカヌーツアーなんてしてはいけない。楽しくないカヌーツアーならば、やらない方がマシ。



どんなコンディションにも飲まれず、受け入れ、楽しませられるという気概を試される。

どこで線を引くか、引くべきか。
人数やガイドの腕、カードはその時々で異なる。決めることにはあらゆる責任が伴う。それを背負うのであれば、腹を据えて、ただ、最善を尽くす。
趣味ではなく、生業として向き合うカヌーだからこその関門、である。

風が鳴く度、ひとりで悶々と悩み、なおきさんがいればどうしたもんかと、一緒に頭を捻らせた。
おかげで、自分なりの線の引き方は心得ているつもりだ。

結果、ひたすらに眠い。





2016年7月2日土曜日

現場


久しぶりに水の上。

やはり、短期決戦、時短モノは不向きである。
じっくりことこと煮込まないと自分好みの美味しいシチューがぼくにはつくれない。

昇龍拳も波動拳も奪われたリュウはいかにして敵と向き合うのか。
戦う術がなくなり、割り切ることもかなわず、結果、大概荒む。
ま、しかし、苦手なりにこなせるようになってはいる。

生放送は嗅覚が命。撮り直しはきかない。

匂いをいち早く察知し、瞬間的に移り変わるニーズに応じた最適なネタを一瞬で数ある引き出しの中から選び最適なタイミングで提供する。

現場に出なければ鈍る。
あらゆるストレスの芽を摘み取らねば、お客さんがエクスタシーに至らない。至らせたい。
現場でしか使えない肌感覚は現場でしか磨けない。





フルマラソンと利尻

見下ろせばぐるりと海。



空と海、青の境界はなんて曖昧だろう。どちらでもないようでどちらでもある、「間」に在るものに惹かれる。夢と現の中でも暮らせる。水の上が飽きないのは、陸(おか)と空の「間」だからか。コントラストの対岸を行く。
白黒はっきりしてしまうことで摘まれる小さな芽がどうにかこうにか花になるとき、きっとそれは地球上で最も高貴な花にちがいない。

美しさは、それを感じた人間の手で守らないといけない。感じた人間の責任ってやつだ。




身体のダメージが、あれ以来。
東京マラソン。
ギシギシ、ミシミシ。油切れにはクレ556か、はたまた、
…やめとこ。

何でもない日々。これがあるから、何でもなくない日々が輝く。
最初はおっかなくてたまらなかった自分の分身のようなコーヒーで稼ぐことにも馴れた。しかし、柔らかな「いらっしゃいませ」は冬を越してもできないし、したくもないからしない。「いってらっしゃい」は少し自然になった気でいるが、「おかえりなさい」となるとやはり相変わらずにハードルが高い。それでも、ぎこちないながらに見送り、出迎える。これが店の絶対的存在意義。


時差ボケのため、やらかしたり、いない間に粗相もあったらしい。まだまだ思っているより爪が甘いようだ。悔しくて申し訳なくて眠れなかった。‥冗談。ありがとう。

ガイド業と店での事務作業・コーヒー、二足どころでないわらじを何でもないぜと履きこなすこと。すべての業務において毎日標準以上の高品質を保つこと、までが今夏の個人的挑戦かつ課題。
今年も成長させてもらえそうでワクワクするなあ。