2016年7月8日金曜日

小暑唄【 水のゆらぎ、心のあらわれ。】


低い山にはないものが、高い山には咲くように。



なくても問題ないものが、なくては足りないものにいつ切り替わるのか
昨日と今日の境にあるのか、はたまたそれは、カヌーとコーヒーの間に潜むのか、湖と川の間にたたずむのかもしれない

Fluctuation of water,revealed heart's desire.
(2015はからめ月のカレンダー3月より引用)

何度転び、それでもやはり、いつか、また転ぶとしても、
せずにはいられない衝動に抗う術はなく
人は懲りずに飽くことなく何度でも繰り返す

見知らぬモノ同士が溶け合うこの世は慈愛に満ち満ちている

何ができるあなただから、とか、そんなことは問題ではない
あなたがあなたでいてくれたことが何より素晴らしい
存在が眩く、存在が尊い、誰かにたいしての文句なんて誰にも言えないはずなんだ
思考や行動はついでの佇まい

ほくらは神さまじゃない
誰にも、誰もの素晴らしさを唄うことは許されど、自信を奪う権利など、どんな関係性だろうと持ち合わせてはいないはずだ
犯されざる領域の線はやはり曖昧なおかつ繊細
踏みにじらぬようにそっと歩く
自ら、誰にも踏みにじられたくない世界を守るためにも


くだらない天秤  去勢も同然 上っ面を取り繕う愛想笑いに幸せを感じるぼくじゃない
したいのはこれからの話
勝手にご都合よろしくつけられた通知表なんざ、評価なんざ、どうでもいい

…と思いたいと常々思うが、どうでもいいということほどどうでもよくないことであることは否めず、
情けないことにすぐにメッキは剥がれて汚くなるから、除光液が必需品
言葉で武装しパドルではぐらかし、コーヒーを見つめるより他に武器はなし
美しすぎる風景の一部になら溶け込み、馴染め、最も人目を浴びずに太陽を浴びれる気でいる

木を隠すなら森の中 変人を隠すなら水の上

それでも隠しきれないものに関しては諦めも肝心であることを受け入れだしている今日この頃。年を重ねるというのはいいことだ。

陸でのカフェのおっかなさはそこにあったか。

足りなくなんかない、あなたは素晴らしい、
あの人は最後までぼくの言葉を使って言い続けてくれた
ぼくが死ぬまで会えなくなったその人は手紙のやり取りだけでも素晴らしい人であることがよく分かる、誠実であり、また自分を笑えるユーモアを備えた人だった

ぼくがその言葉を信じないわけにはいかないのだ

足りなくなんかない、ぼくは素晴らしい。
このぼくでさえ素晴らしいのだから、あなたはまたさらにさらに素晴らしいと、声を大にして言いたい。
それがぼくの一生の仕事だ。

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