2017年3月24日金曜日

尾道が支笏湖になった日


いい意味で。世界は狭い。遠いところなんて本当はない。行きたいと思えば。
一月前、共同、共働生活をしていた少年は、名古屋から自転車で尾道へ行ったそうな。

自転車とかカヌーの速度に馴染みがあるから、車の速度はめまぐるしすぎて、まわりの景色に見とれたりなんだり、気付くとのんびり走っている。
余談だが、遠藤ヤットもノロノロ運転だという。
マイペースは、顔に起因するのだろうか。

そんな理解されがたい感覚について初めて共感者が現れた。

少年だった。ぱくちゃんである。


photo by 安達茉莉子さん。

少年は尾道で仕事中の作家・安達茉莉子さんと支笏湖・氷濤まつりぶりの再会をしたそうな。
これから今治へ走るところ。

人間、出会う人には出会う。何度も。

こちらでは、湖でのツアーも動き出し、カヌーの話が日に日に増えてきている。先の予定を詰めてみると、あっという間に11月になる。なるだけ詰めこんで濃密な時を過ごしてやりたいものだ。


旅について。
『星の巡礼』パウロ・コエーリョ
p.44 ペトラス 
旅に出る時は、われわれは実質的に、再生するという行為を体験している。今まで体験したことのない状況に直面し、一日一日が普段よりもゆっくりと過ぎてゆく。ほとんどの場合、土地の人々がしゃべっている言葉を理解することができない。つまり、子宮から生まれてきたばかりの赤子のようなものなのだ。だから、まわりにあるものに、普段よりもずっと大きな重要性を感じ始める。生きるためには、まわりのものに頼らねばならないからだ。困難な状況におちいった時、助けてくれるのではないかと思って、他人に近づこうとするようになる。そして、神が与えてくれるどんな小さな恵みにも、そのエピソードを一生忘れることがないほどに大感激したりするのだ。



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