2017年3月20日月曜日

ほーりー誕生日!

数年前、新宿、花園神社。野外演劇。富士山に登った日の確か夜。『天保十二年のシェイクスピア』椿組。
どうしても観に来てほしいとある人に懇願されて。


SP Thx 高田さーん!

中学生の時、誰それが手を繋いだどーのと夏祭りの舞台地だった場所で、
好きなことをしている人たちが目をギラギラと、生命を燃やし尽くして舞っていた。
スポットライトのあたる場所に酸素があるかのよう。
その中にβがいた。輝いていた。見直してしまった。尊敬してしまった。
役者たちは皆、俺らは好きなことやってるよ、あんたらはどーなんだ?と客席に強烈な投げかけをしている気がした。くらくらした。はやる心を抑えるのが大変だった。

その頃、ぼくは一度手にしたパドルを手離していた。パドルを手にするために手離した恋は、パドルを手離したら、ぼくが手離すより前に離れた。早口言葉みたいだろう。
また握れる日を夢見ながらーしかし、あまり、夢見すぎて苦しくならない程度に控えめにー、夢に戻る前に解決すべき問題に取り組んでいた。

どこで水を得るか。はなから得る水がない人もいる。
気づかない人も、気づかないふりをする人もいる。気づいているのに踏み出さない、踏み出せない人もいる。
βは舞台で輝く。
大和田慧さんは唄うとき。代々木のアンコールワットではない。

思い出したのはカフェ一年目の冬の夜。
ファンキーな東京からのおばさんがバスを待つため時間を潰していた。その人の熱中対象は音楽だという。音楽に熱を持つ人は多い。しかし、あなたはなぜカヌーだったのか、支笏湖なのか?
ぼくの直感がこの人は通ずると判断したので、誤魔化さずに話した。

『…本当に好きなのね。目の色が変わった。…』

そう言われるまでぼくは本当に夢中で恋の歌を唄っていたので、文字通りふと、我に返りハッとして、少しの気恥ずかしさを感じたが、ファンキーなおばさんとの精神についての会話は続いた。

好き、という狂気。この過剰なエネルギーをぼくはコントロールするのが難しい。いつも呑まれるだけ。委ねるだけしかできない。情熱は波だ。引いては満ちる。
支笏湖、千歳川、カヌー、これがもう、強烈な狂気を与え続けてくる。ここだと、一点にいながら世界中どこにでもいける。
最初の頃は、この狂気だけがツアーでの武器だった。無敵。怖いものなんか何もなかった。一点しか、自分のことしか興味も関心もなかった。若さのせいではないと息巻いていたが間違いなくあれは若さだったのだと三十を前にして思うが、狂気が衰えたかというと、発現方法が変わっただけである。

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