2013年8月15日木曜日

終戦と誕生日

今年は、今まで生きてきていちばん、八月十五日―今日を誰に言うでもなく静かに思っている。
初めて聴いた終戦放送。



100歳まで生きると豪語する未だバイタリティ溢れる我が祖父は、大東亜戦争時、大空を駆けていたことをつい最近思い出した。「風立ちぬ」関連の活字の海を潜っているうちにふとつながったんだ。

スカイラインを恐ろしいほど飛ばしまくっていたのは飛行機の凄まじいスピードを知っていたからなんだね。
知っていながら聞き流していることが沢山ある。秋になったら話を聞きに行きたいんだ。少なくともそれまでは、死んでもらっては困るのだ。

3.11から二年。確実に僕らは変わり続けていて、同時に今日は小学校の友人・東の宿屋の奥さまの誕生日でもある。

誕生日も記念日もそうでない日もいつでも、怒りも悲しみも喜びもすべてをひっくるめて、生かされていることに感謝。どうして生きているのかとか、そんなことより、僕たちひとりひとりには生かされるだけの価値があるわけで、うじうじしている暇はないのだよ。


今日も支笏湖はどんよりしていたけれど、どんよりした日は、どんよりした日ならではの趣がある。

「‥こんな天気でもカヌーって楽しめるんですね!支笏湖に向かいながら落ちこんでいたんですけど、関係なかった、すごい、良かったです。」

新たな発見が、みんなの遊びや生き方の幅を拡げられたなら嬉しい。



晴れの日に、風のない日に、文句なしのコンディションで「楽しい」のは言ってしまえば当たり前。誰にでもできる事は誰かに任せて、僕らは次のステップを踏もう。



 雨の日も風の日も雪の日も濁っている日も、どんな一日も楽しんでしまおう。楽しもうと試みよう。
どんな状況でも「美しい」と感じられる心の美しさを高めよう。
「豊かさ」とは、そういうことだと僕は思う。


素直に「たら」「れば」を言い合い、太陽に恋焦がれる。

そういう少し物足りない思いすら、みんなで共有してみれば、
「目の前の景色だけがすべてではない」と想像しながら言葉を交わす時間のやさしさったら‥、全く持って悪くない。
目の前は真っ白で、波の音をBGMに目を閉じて恵庭岳を感じつつ、隣を見やれば大切な人、でしょう?これのどこがナンセンスなのだろう?ハイセンス極まりないではないの。


大切なのは空模様ではなく心模様。
天気をどうにかすることはできないけれど、心を持ち上げるきっかけくらいにはなれるかな。





盆にしては静かすぎる湖畔に花添える 唄うような笑い声
Tシャツと長袖の間 揺れる水草 戯れるウグイの群れ みどりとあおのあいのこ色
ああ 今日が終わる ああ 夏が行く
ここ数日、何度見上げても見つからなかった太陽は
カヌーの上で笑ってた

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