2013年5月2日木曜日

みんなで決めよう「原発」国民投票、アースデイに現る

みんなで決めよう「原発」国民投票のブログにて、てやんdayを紹介して頂きました。
ありがとうございます!

記事はこちら↓
アースデイ東京2013に出展しました】(2013.4.30)



イラッとする顔ですいません。
2011年冬の新宿西口小田急ハルク前で生み出された懐かしのキメ台詞。もうね、僕、本当これだけだなって、今も変わらずに思っています。

友人のはまだくん曰く「BABY &PEACE」ですよ。

「世界中で謳われるLOVE&PEACE
それもいいけど。
世界中にある曖昧なLOVE、愛より、目の前の可愛い君、BABYを大切にしたい。」
byはまだくん。


2011年3月11日。確かなはずの地面が暴れた。
すぐに仙台に行きたかった。でも、行けなかった。行かなかった。4月、仙台を通り越して僕は北海道・支笏湖へ、乗り慣れない新潟港から向かいました。

くそ悩みました。

カヌーガイドという仕事を、今、やるべきなのか?あれば楽しいけれど、なくても誰も死ぬことはない。やりたいことをやっていていいのか?若くて体力があってお金はないけれど時間は提供できる僕は現地に行くべきではないのか?
現実を直視する痛みは計り知れないけれど、とにかく現場にいたかった。

でも、行きませんでした。

震災当時、僕は東京で働いていました。何でもない仕事でしたが、震災後は目の回る忙しさで、結局ギリギリまで職場を離れることができませんでした。今、必要とされている場所は間違いなく、どこでもなく、目の前にあったのです。
そばにいる、好きな人たちが困っているのを放って、遠くの誰かを助けに行くのは、何か違う気がしたのです。それで楽になるのは誰でもない僕だけです。仙台に行かないで、ずっと悶え続けるのも、僕だけです。自分のためだけなら仙台に行くのが正解でした。だから、行きませんでした。
どんな仕事も、社会とつながっていることを、恥ずかしながらそのとき初めて、身をもって知りました。

大変なときにどのような動きを見せるか。その人の「人間力」の浅さや深さを目の前で見せつけられながらの仕事。疲れて帰る僕に父は言いました。「普段は見られないものだから、よーく見ておきなさい。いろんな人がいるのだから。」と。

考えた末に思いました。
きっと、カヌーガイド業も、絶対に、つながっている、と。今は分からないけれど、みんなが楽しいことをしたくなるときは絶対に来る。そのときにカヌーが漕げなかったら、寂しがる人がいるはずだ。
今は直接何もできないけれど、寄り添っていれば、必ず出番が来る。今は、友だちに任せよう。何もできないから、彼らの言葉を聞かせてもらおう。耳をすまそう。心に刻もう。現地からの声を。

僕は、やりたいことをやろう。何より、待ってくれている人がいる。こんなときだから、やりたいことを夢中でやらせてもらおう。
苫小牧港に着いたら、「おかえり。」とnaokiさんに迎えられました。
フェリーがどこにも着かなければいいのにと思っていた僕は、たった一言の不意打ちに、ふっと安心したのです。

その年の秋。仙台の友人たちがカヌーに乗りに来てくれました。
何でもない話しかしなかった気がするけれど、それで良かった。それが良かった。
ただ、会いに来てくれて、ただ、一緒に漕いだだけで、ただ、一緒に丸駒温泉に行っただけ、家で試着会をしただけ。
ひそかに、赦してもらえた気がしました。


ガイド業が終わり、東京に行った僕は、お金を稼ぐこともせずに「原発」都民投票を求める素人市民集団の中にいました。
一冬、あの活動に異常なまでの集中力を見せたのは、3.11直後、何もできなかった、何もしなかったという負い目があったからだと、今振り返ると思います。
3.11からの行き場のない思いを吐き出していたのです。パンク寸前だったのでしょう。まわりの仲間たちもギラギラしていました。‥しています、か。

都民投票は残念ながら実現しませんでした。でも、あのとき一緒に走った仲間たちは、今も変わらずに走り続けています。衆議院選に出馬したり、区議になったり、国民投票に尽力していたり、勉強会やイベントを企画したり‥。

国民投票は世界を見れば分かるのですが、特別なものでもなんでもありません。

選挙と国民投票の違いをHPより。
『原発」をどうするのかを自分たちに代わって決める「人」を選ぶのが選挙。国民投票では、自分達が直接、「原発」をどうするのか、意見を示します。』

選挙ではどうにもならないのはこの前の衆議院選で明らか。参議院選も自民党ですか?ありえなーい。
シングルイシューの国民投票しかありません。国民投票が、あります。


どうして、意見を伝えることすらさせてもらえないのだろう?

きっと、脅威だから。負け戦をしたい人はいませんからね。


この国に住んでいるのは、僕らですよね?窮屈すぎるぞ、狂った世界。


ひとりひとりが、『世界』をつくること。同時にこの「世界」も注視すること。
不器用なりに欲張りに、どちらも僕はやっていこうと思います。
声も上げるし、足も動かす。全部動かす。


どんど、分け合っていけば、笑いあえるはずだから。

僕はもったいぶらず、こわがらず、ありのままで、人といたい。

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