2012年7月15日日曜日

カヌーと僕との半ばありきたりかもしれないお話1~コトバのチカラ~

今日もSoto Cafe day!
写真が手元にないので、【かのあブログ「連休中日」】にお任せ~。

そうそう、今日は、午前も午後も、珍しくカヌーレースが開催されました。ガイドも本気の真剣勝負。大人げない?力を抜くほうが失礼でしょう、ということで。

さてさて、趣向を変えて、以下、カヌー文学の巻。はじまりはじまり。


運命の人はどこにいるのか(いるのか?‥そこは考えないでいこう。笑)、
まだ定まらないけれど、
運命の本には、幸運なことに、何冊か出会ってきた。


僕の父は昔から、「本を読め」と口うるさかった。
読みたい“本”は、父に頼めば、何でもすぐに買ってきてくれた。


高校一年生、15歳。人生で最も多くの本を読んだ夏。

くだらない(‥と決めつけていただけ)マンネリズム化した日常。
暑苦しい街中で、答えを探し、さまよった。

‥僕は尾崎豊も好きなのである。

何に悩んでいるのかすらも分からず、自身わからないことをまわりに伝えることなんてできないわけで‥。
行き場のない怒りを、一体どこにぶつければいいのか、とにかく、ひたすら、アホみたいに苦しかった。

‥‥僕は尾崎豊が好きなのである。




活字の海で、あっぷあっぷしていると、ある日、‥救世主が現れた。









そう、それこそが、野田知佑「新・放浪記」

悩んでいるのは、怒っているのは、僕だけじゃないことを初めて知った。
初めて、同志・仲間に出会えた感覚。
僕が表現できずにいたコトバにならない感情を野田さんが完璧に代弁してくれていた。

異常じゃないんだ、ひとりじゃないんだ、と存在を肯定してもらって、何か赦されたような気がした。
呼吸が楽になった。

野田さんは怒りながら、ギターで弾き語り小金を稼ぎながら、海外の川をファルトボート(折りたたみ式カヤック)で下っていた。

好きになると一直線な僕である。

僕を救ってくれた人が、たまたまカヌー乗りだった。ただ、それだけ。


初めて「カヌー」という存在を、コトバとして、知った。
僕は、自然と興味を持った。

一年後、今度はコトバだけでない本物の「カヌー」に出会うことになろうとは。


たまたまは、多摩川へつながっていく。


コトバに救われた僕は、時に無力なコトバのチカラを、信じてる。信じたい。助けてもらったコトバに、恩返しをしたいのです。


ガガガSP曰く‥、
言葉はいつでも僕を苦しめてばかり だけど救ってくれるのもいつも言葉だったよ
『はじめて君としゃべった』


続く‥(かもね)

気に入った本は、いつも何度でも(僕はジブリも好きなのである)読み返すけれど、この本はたった一回しか読んでいない。
読み返してみたいような、読み返したくないような。

2 件のコメント:

  1. Kevipa@尾崎も大好き2012年7月15日 22:50

    この本、僕も読みました。野田さん自身の半生を描いた「新 放浪記」は甘酸っぱくて切ないけれど、未来は明るくて爽快な感じがしてとても良かった。
    野田さんの初期の著作はだいたい読んだけど、どれも、、、自然を、、、、世の中を、、、こうやって見ればいいのか! と思わせてくれて、とにかく痛快な読後感だったなぁ。
    尾崎は「あんな大人になんかなりたくない!」と歌ったけど、「こんな大人になりたいな、、、」と思わせてくれる数少ない先輩が野田さんでした。

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  2. >kevipa@尾崎も大好きさん
    おはようございます。コメントありがとうございます!

    そうでしたか、keviさんも尾崎好きでしたか!

    確かに。

    最近の作品は、初期に比べると物足りないですが、
    僕にとっても、野田さんはかっこ良い大人初代代表です。
    「大人なんか‥」と思っていたけれど、野田さんは逆に「大人はいいぞ、何でも自由だ。子どもになんか戻りたくない」と常々言っていたのが印象的でした。

    keviさんのカヌーとのあれこれ話もゆっくり聞きたいところです。

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