2015年11月14日土曜日

活字の海で溺れたい 「原発労働者」寺尾沙穂



2015年6月第一版発行。講談社現代新書。

車の難点は本が読めないことだ。
飛行機、電車は活字好きには最適な乗り物である。フェリーなんかもう最高。

千歳発便には、以前、父にこれぞ!な本を見繕ってもらった内の一冊。

2011、2012の二冬、ぼくは働かずに東京で原発いらないと叫んだり、都知事選挙活動に奔走していた。お金を稼ぐよりまず命だと思った。
思えば気持ち悪いくらいにのめりこんでいたよなと、実家で片付けをしているときに改めて気付いた。いつもそうだ。よくいえば集中力の凄まじさ。悪くいえば視野狭窄。いつも何かや誰かに夢中だ。そのときは気付かない。あとになって恥ずかしくなる。
そのときの正義をふりかざす。宗教家みたいだ。
やりすぎていて、気持ち悪かったよね、すまんと、当時を知る友人に謝ると、そう思っても行動に移せない人が多いよと肯定された。


結局、叫んでいる人たちの足元には原発があって、自身に酔いしれている人が多いように感じるようになった。
暮らしぶりと活動との説得力のなさにぼくは可能性を見出だせなくなり、方法を変えることにした。
暮らしで示すのが最も手っ取り早いし面白い。何かを否定するのは非生産的で精神衛生にもよろしくない。

話が脱線してしまうなあ。

この本を読んで思ったことは、原発で働く人たちのことを気にしたことがなかったな、と。
事件はいつも現場で起きることは百も承知のすけなのに。
あれ。この感じは…。冬の祭り制作に通ずるものがあるな、と。どの世界にも身体を張っている人たちがいる。

賑わう冬のイベント。訪れる人は沢山いる。しかし、その氷像たちは誰の手によって、いかにつくられているかを気にする人は、そういない。
氷像より何より脚光を浴びるべきは、製作陣それぞれの気持ちだったり暮らしであることをこの二冬でありありと学んだ。
現実はきれいなだけではない。
過酷なためペンを握る力が余らず、日々起こる様々な事件を書き残せない。不甲斐ない。

第五駐車場には、プレハブが整った。

街中で叫ぶも、暮らしに語らせるも、おのおの。

どの現場にも涙や汗が流れていることをぼくらはついぞ忘れがちだ。真実は現場の声にのみ宿る。



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