2022年8月8日月曜日

どんぐり水没

 


川沿いのドングリの木が倒れた。水が透明なので水没具合がよくわからない写真だが。

僕が支笏湖に来たときには既に大きかったミズナラの木。

『葉っぱのフレディ』(絵本)的に喋ってもらえるなら彼らは何を思い、語るのか。

道半ばの悔しさだろうか。やれるだけのことはやった充足感か。不自然に人間の手でいじられたわけではないから幸せなのか。新たな木に光が当たるから、それはそれで良いことなのか。

木が折れなくても、大半のドングリは毎年水の中に落ちる。時たまカヌーの中に落ちる。それでも毎年ドングリは実る。無駄だと思われるか?もしかしたら陸地に一粒くらいたどり着いて芽吹いているかもしれない。

命を繋ぐ、繋がないか、も大事だけど、もっと大事なことがある、と僕は感じる。

一所懸命、選ぶ選ばれる問わず、与えられたその場に在ることそれ自体が生命体の放つ美しさなのだ、きっと。

それでもやっぱり折れる刹那はおっかなかったのか。

僕ならどう思うだろう。

わからないことは多すぎるけど、木陰の居心地のよさについてなら、わかるつもりだ。ミズナラ。

生きるってなんだろう。

フレディ、読み返したくなりました。





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