2016年1月19日火曜日

髪型が決まらなくては戦はできぬ


もうね、諦めました。
認めます、自分の中の、街心。見た目、超重要だし~ていうか、つーか使ってほしい。つーか!

思えばセンスある人にばかり惹かれる、囲まれる。

すいません、超とかお下品な言葉を江戸っ児は、間違っても使ってはならんとです。


最近流行りの上から写真。マイブームというやつですね。
全く髪型が分からないね。はげてませんし、はげません。

例年以上に怒濤の夏を越えられたのも、恵庭のル・クールさん…みとべ大先生がお洒落スイッチを入れてくれたおかげさまさま。
ああ、有能なカウンセラーさんでもあります。整えてくれるのは髪形だけではございません。
…うまいこといった。


外仕事しないとこんなに白かった顔。

全く未知なる冬の闘いまであと一週間ほど。
一言といわれたら、あまり迷うことなく「こわい」と返す。
様々なイメージを働かせてリスクマネージメント脳をフル稼働させて準備を整えているけれど、
非常に、こわい。恐ろしい。知らない、わからない。
早く始まってしまえ、と思っている。

それはつまり、非常に楽しみ。わくわくしている。ということ。

必死な自分に出会いたい。踏ん張る自分に出会いたい。何でもいい、口だけではなく、本当の意味で何かを守れる自分になりたいと、2011年からずっと願ってきた。
ぼくは世界中のかわいい女の子の笑顔を守りたかった。人が馬鹿にするような、くだらないことを本気でやることが大事。
熱は伝わる。当時の思いは一番伝わって欲しい人に言葉より行動で伝わったと思う。
原発はいらない。ぼくらの夢のため。今もそれは変わらない。腐ったシステムの象徴にさいならしようよ。

背負いたくて仕方がなかったぼくに、守っていいよと委ねてくれたのは、かのあだった。店だった。コーヒーだった。
すぐそばにずっとあった。盲点だった。諦めるより少しだけ先に気づけてよかった。

ぼくは頼る側でいることに飽きたからやめる。

いつも一緒にいるとよく分からなくなる。ぼくは特に距離感を見誤るのが得意だから近づきすぎるか離れるかしかできない。飽きるまで一緒にいる。先に呆れられる。

いつも一緒でなくなると、これまでいかに頼もしく素敵な人たちに囲まれてきていたのだろうと改めて見直す機会が多い。店番をしながら、お客さんの対応をしながら、今までのぼくらの間にあったあれこれを振り返る。ゆっくり、でも、確かに歩いてきたのだな、と。

店で人と話すとき、ぼくは、「ぼく」ではなく「ぼくら」と言う。
店に立つのはぼくだけれど、ぼくは一人ではないし、一人ではできない。
人の間に立ち疲れ、一人になってみて初めて、人との間につくってきたものの意義に気づく。






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