2014年5月10日土曜日

直伝【桜フレーム】

毎日見ているはずなのに。


体中で「生命」としての喜びを表現すべく乱舞する桜の中に囲まれる赤いカヌー。


ぼくら人間だって、このサクラのように、【生命】を声高に唄っていいはずなのだ。

何をこわがり、しがみつくのか。守るべきものなんて片手あれば足りるはずだのに。


さてさて、サクラを愛でるぼくはというと‥

この頃、何だか大人になってしまったと妙な勘違いをしていた。

本当の大人は自らを「大人だ」なんて言わない。
精神的成長痛のようなものにただただ戸惑っているだけ。


言葉も顔も相変わらず誤魔化せない(誤魔化す気がないといった方が語弊がないか)ヘタクソな自分が腹立たしくもあり、
一方ではカオスな病める世の中に、分かりやすいのが一匹いてもいいだろうと開き直ってみたり、
にしても冬からの言葉たちはリズムも音もからっきし唄えていないではないかと落ちこんだり、
いや、それは目の前の暮らしを優先し、必死に執着し始めたがための犠牲であり、致し方ない、
むしろ今までの「目の前の人を大切に」と言いながらよそ見ばかりしてきた説得力のない主張にようやっと実際的な説得力が生まれるというもので喜ばしいことであり、
が、しかし、言葉のチカラを信じる身としては言葉より自分の幸せを取ったみたいな風にもうんたらかんたら‥まあ脳みそは右に左に忙しい。


書くこと、もてなすこと。
ぼくにとって大切なライフワーク。

どちらも今まで無意識で自然にできていたあれこれが両手の隙間からあれよあれよとこの頃はこぼれていく。
その事実が理解できていてもそれを修正する技術が足りていないので、そのギャップに戸惑うばかり。

冬も千歳川のそばに暮らしたせいか、おかげか、
ぼくは2011年からずっと、夢の中に暮らしていたことを知りました。


何は何でも、
毎年、日にちは違えど、サクラは咲く。


夢の中で暮らしてきたぼくは、
これから暮らしの中で夢を紡いでいけばいいのだ。


慌ただしく散った東京のサクラの分まで支笏の名もなきサクラをたっぷり愛でましたとさ。

2 件のコメント:

  1. 仲良し兄弟2014年5月10日 23:35

    とてもいい文章書きますよね・・・
    キラキラしてるなぁ・・・

    止める事の出来ない時間は惜しむためでなく、美しい瞬間を次々に手に入れるために流れていく    BYよしもとばなな

    桜・・・刹那

    このブログ沢山の人に読んでほしいなぁ。

    宣伝しておくわ!!!!!

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  2. >仲良し兄弟様
    またまた再びの嬉しいコメントありがとうございます。
    この頃文章にキレがなくてスランプ気味なのですが、この日はまあ久しぶりにいいものが出たなあと密かにほくそ笑んでいたのです。

    よしもとばななさんわーど、いいっすなあ!
    ぼくは友人からもらったこともあり「あるぜんちんばばあ」が好きです。

    文章を気に入ってもらえて嬉しいのでついでに。
    もしよろしかったら、ぼくの去年から始めたあほなことを真面目にプロジェクト【おひねり制アナログ月刊紙まちゅ★ぴちゅ】の購読なんてのいかがですか?
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    あとんす!

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