2017年6月25日日曜日

湖水まつり二日目 カヌーという思考品

やはり、雨。
これでこそ、媚を売らない支笏湖。湖水まつりには、雨が似合う気がしてしまう。

昨日は様々な人と出会い、話し、刺激的な一日。
そう強く感じられるのは、日々の情報量の少ない(狙い通り)小さな暮らしがあるおかげであることも忘れない。
外だけでもなく、内だけでもなく。凝り固まらず、しかし、流されすぎず。

思考をどこまで掘り下げていけるか。シングルパドルは惰性では回らない道具。
考えること。考え続けること。何のために漕ぐのか。誰のために。どこを目指しているのか。気持ち良いのか。美しいか。
毎日が新しいことを教えてくれる乗物。

女の人が、支笏の美しい水をパドルで切る。その所作。美しい。グッとくる。
よしこさんがミエさんに重なってみえた。
Kevi・ミエさんと漕いだいつかの夕方を思い出した。

カヌーは力じゃない。「力」はじゃまになることの方が多い。

多分、しなやかな女の人に似合う乗り物。

豪快に漕ぐのでなく、見せびらかすのでもなく。主張することもせず。あくまでさりげなく。なんでもないように。しかし誰でもが習得できることのない、ありそうでない唯一無二の佇まい。語らずに語ること。言葉からの脱却。ただ、在るだけ。足すことも引くこともなく。あるがまま。時を止める。
ぼくがカヌーに望むこと。

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