Catch me if you can.
捕まったのはpublic phone。
今日もどこかで★適当に読んでください。言われずとも、か。
初めてひとりで映画館に行ってみたら、恍惚感を味わえて、一気に映画中毒となった。付き合いで隣に座る人を気にしながら見る映画ほどくだらないものはないことに気付いたのは中一か中二。
『パイレーツ・オブ・カリビアン』大ヒット?この国は、民の目は腐っていると未来を憂いた。
ぼくの現実逃避癖は映画によってひとまず、めでたく、幸か不幸か、開眼した。
映画の字幕翻訳家に憧れた。cultureを、人をつなぐ架け橋になるのだ。
今もある意味、つなぎポジションではある。
第二の戸田奈津子さんになるのだ、と目論んでいた。
約束。決まり事。役割。当たり前。普通。お金。‥
嫌い‥というか、馴染めない、長すぎるものたちから逃げるときの馬力だけはあった。
父は携帯電話を持たず、テレホンカードを持つ。
母も「いつでも人に捕まってしまうなんて‥」とケータイを携帯することを随分渋っていた。
家の電話の着信が「コウシュウデンワ」と鳴ったら、父の声。
父から連絡が来ない限り、父がどこにいるのかぼくらは分からない。
しかし、分からない方がいいこと、分かられない方がいいことは、どちらも人生には多い。
遊び、ゆとり、ゆらぎ、が必要だ。
すぐに答えが掴めた気になるのは容易い時代。
イマジネーションは意識しなければ簡単に奪われてしまう。
今や一人一台電話持ち時代。電話というか、ミニPC。
本当にそれはスマートなのか?ぼくらは賢くなったのか?豊かといえるのか?
ぼくは画面とにらめっこするよりも、会話がしたい。的確な答えよりも、あらゆる可能性について思考をめぐらしつつ一杯飲みたい。「正解」で満腹とはならない。
できることならばケータイ電話を手離してやりたいといつも思っているぼくの憧れを地で行く先人のお話。
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