2016年3月1日火曜日

ferment Vol.01『味の形』迫川尚子インタビュー、(よ)著


山田写真製版所。2015年12月15日、第1版発行。
ferment=発酵。

インタビュー形式でベルク副店長の味に迫る、ベルク関連本第三弾。
いちばん、「ゆらぎ」(副店長といえばわーど)ある作品。
そうだろうと思っていたら、やはり、表紙は坂口恭平さん。常連さんなんだってね。


「信じてもらえないかもしれませんが、自分のこととなると私はひどく保守的なんです。」(あとがき「構造記憶」の人たちより拝借)

保守のままではこの本は出版されなかったわけだから、
いちばん、覚悟ある作品。

自分のことには保守。ぼくもまるっきりそうだ。どうでもいいと言いながら、実際こわくてたまらない。
そういった意味で保守派を脱した一冊という価値がいちばん大きい、とかとか。


先日の、ある人との会話を思い出した。

「ちょっと不思議な話なんですけど…」

内容に入る前に、ワンクッションが添えられた。

『オレには、そういう前置きいらないよ、わかるから、大丈夫。』
とすかさず反応すると、やはり。
「いや~長年の接客の癖で、人によってはなんだこいつ、となるので、予防線が染み付いているんですね、ははは」

と。
そうか、それで、か。笑ってるけど、色々あったんだろうな、と。

見えないのに感じる、とか、少しでも話そうものなら、奇人扱いされるもんな。見えないところに大事なことはいくらでも転がっているのに。
お金とか老後とかおこづかい制度で首輪、とか、義務に責任。ただ、好きなものを好きだと、それだけで本来良いはずじゃないのか。
何を持っているから好き?それ、「好き」じゃないよ。愛してる、でもないよ。

あまり言わないけれど、オレは好きな水とセックスができる。湖でも川でも好きな水なら。淡水限定だとは思うが。いつでもできる、わけではないけれど。
あまり人から言われないから、他にカヌーでそういうことをしている人がこの地球にいるかは分からない。
今は手の内の茶色い水、コーヒーばかり、見つめている。澄んだコーヒー、雑念なきピュアなコーヒーが理想の味。

話を戻そう。
生きづらいよなあ、と。一緒だから分かる。
ぼくの場合、接客業は接客業だが、カヌーツアーを行うガイドとしては、浮いた感性は殺さずに済むし、活かせる。
【かのあ】は、ぼくの救世主なのかもしれない。雇われ自由人コンテストがあったら、ぼくは優勝すると踏んでいる。
非日常の水の上(ぼくらには日常。水の上。)でなら、どんな人も大体が寛容だ。各々の日常に迷惑がかからなければ、非日常感は大歓迎であり、ありったけ演出されたいのだろう。
同じフィールドもガイドによって別の世界となる。

心を殺さずに、心を売らずに働けなければ、その仕事にしがみつく意味があるだろうか。ぼくらは、楽しむために生まれた。仕事は人生の大半だ。土日で遊ぶだけではぼくには足りない。毎日遊びたいから、今日もぼくは仕事に行く。

感じる人には、誤魔化せない人には、非常に窮屈な世界だけれど、
感じる人間にしか、誤魔化せない人間にしかできない仕事があると、ぼくは信じている。

マイノリティという言葉は、「人に人より寄り添える人」、と変換したい。

迫川副店長の心意気に感謝。
ぼくらが生きるこの世界は素晴らしい、そう思える一冊。





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