2016年3月8日火曜日

余計なものは一切使わないベーコン


陸(おか)でのことは赤裸々に書けないので、小さな暮らしについて触れる。


自家製ベーコンがそろそろ底をつきそうなので先日四キロの豚バラ肉にあれこれスパイスをもみこんだ。
ウィンナーも好きだが、長すぎる成分表示を見ては買うことを諦めてしまう。食品の域とは思えぬ。ウィンナー、ベーコン、ぼくの好きな加工食品は添加物まつりだ。怪しいのは嫌だ。自分で仕込むようになった。

進路をベーコンに決めたスパイス漬けの豚バラ肉を小さな冷蔵庫内で寝かせること一週間。時間がかかるほどに愛が生まれる。しかし、人類愛は時間ではなく、感性であり情熱であり、タイミングである。恋に落ちるには一瞬間あれば足りる。豚バラは一日一回は体位を反転させる。

仕込みのときは完成が待ち遠しかった初めての梅酒も、そういえば、そろそろ一年、か。時が経つのは早い。過去の自分から、時空を越えたプレゼント、みたいなもんだ。

保存食やら何やらづくりは、いつまでここにいるか、明日はどこをさまようか分からない旅人には手を出せない高尚な遊びなのである。

仕込みの度に「完成のときまでここにいるよな?いろよ?」と自らの首輪を締め直すような意味があるような気もする。
何かの拍子にふらっと飛んでいってしまうのではないかとぼくはそのへんに関してあまり自分を信用できていないし、誰より危惧している。
よきも悪きも人は急には変わらないのはいろんな人を見て学んできたし、ぼくには伸ばすべき根っこ自体あるのかも甚だ疑問であり、
今、こうして一点に居続けていることや何かを背負いたいと欲し、背負わせてもらっていることは奇跡以外の何物でもなく、何でもないようにほぼ、自分の決断によってのみ一日を一人で目撃者もなくヒリヒリと過ごしているこの状況に内心自分が一番驚きながらも、
ザックは背負わないと背負えるようにはならず、ザックの容量に見合った自分に自ずとなるものなんだろう。

何が言いたいかというと、つまり、今回のベーコンもおいしくできたらいいなって。









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