2016年2月24日水曜日

『新宿駅最後の小さなお店 ベルク』井野朋也


父が詩人だとか、店をやりだしたのは28歳とか、新宿に生まれ、育ったとか、対等な関係を築きたいとか、思考とか考え方、あれこれにシンパシーを感じてしまった。

2016しょっぱなから、出会うべくしてな一冊だなあ。いやはや。ありがたい。


昔、とある習い事に熱中していた。

思えば、日本らしからぬ学ばせ方だった。
遊びの中に学びが散りばめられ、がきんちょらは飽きるはずもなく、季節ごとに様々なイベントを催してもくれた。
超文系なぼくはこの習い事がなければ、今よりさらにアンバランスな人間になっていただろう。
今や数字は何より信頼できる友だち、である。わはは。
大人になると友だちが減ると先輩方はよく言っていたが、確かにそうだな。どうでもいい友だちはいらないし、既にどうでもよくないとっておきの友だちはいるから足りているし。

話がそれる。習い事のお話。
クリスマスにはみんなでプレゼントを持ちより、メインイベントはプレゼント交換会。
誰のが来るかな。
毎年、何よりも誰よりも注目を浴びていたのは、パン。

ある年はガメラ。ある年はキングギドラ。
とーちゃんがクリエイティブなパン屋、な息子が学び仲間にいたのだ。

誰もが、その怪獣パンを羨望の眼差しで見つめていた。しかし、憧れは勿論、嫉妬もした。注目を集めたいとは誰しも願っている。しかし、自分でやってないじゃないか、反則だ、と心のうちで毒づいたのも確か。ただただ、羨ましかった。ただただ、一度でいいから持ち帰りたかった。

ベルクという新宿の個人店の店長が書いた一冊。読んでいくと、パン職人は高橋康宏氏。

…たかはし?
さらに文章は続けて
「同じ新宿区内ですが、いいところにあるのです。何とも風情のある商店街。近くに神社があって。」

間違いない!
ガメラパンの【峰屋】やないかーい!

学び仲間であった息子は、「自分でやってないじゃないか」の声を感じ取っていたのか、やはり、父の背中を追い、パン職人になったと、風の噂で聞いた。

結局、全部、新宿、か。たどり着く先は同じ、か。
新宿に生まれ、育った者はその街の手の内からなかなか出られない。結局、外に出るほどに、あの街の多様さ、深さ、奥行きに、自分のちっぽけさを突きつけられる。「生まれ」からは逃れられない。
手の内で弄ばれている。しかし、ぼくはあがき続ける。ネバーギブアップ。
高校生になると、庭が広がる。しかし、他の街で見つけた宝物は大概、新宿にもあって、よく落ち込んだ。逆輸入的に新宿の大きさを知っていった。

しかし、この広い空はどうだ。臭くない空気。歩く人はぼくくらいだからよける技術もいらない。美しい湖も水も氷もないだろう。えっへん。
それらに誰よりも長く深く感動できることと新宿とは、ぼくの中では表裏一体。
当たり前をどっちにしたいかは、自由だ。

幸か不幸か、ぼくは日本一、いや、世界的にも面白すぎる街に生まれた。そこは、あほみたいに人間臭く、人と人との距離感が必要なところには遠く、いらないところでは近すぎる。

ここは、あらゆる距離感がぼくにはちょうどいい。それが「住み心地」なのだろう。

新宿、我が永遠なるライバル。
千歳。浮気者にいつでも優しい。

書評失格、かな。いやはや、こんな書評こそぼくなら読みたいね。


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