2016年9月27日火曜日

必死になりたい


だんだんと、できることは増えていくわけで。
だんだんと、全力を費やしてきたことが5割減でも同じクオリティに持っていけるようになって。
持て余したエネルギーや時間をどこにぶつけたら良いのか分からなくなり、時に畑に、時に山に、時に、恋へと異なるフィールドへその時々、足を運んだ。


まわりまわって、また仕事に全力を注ぎ込めるようになった。仕事は人生の大半。つまらない仕事は、つまり、つまらない人生、となる。ぼくは面白がりたい。人生を。仕事観は人生の捉え方とイコールだと思う。何となくならやる必要もない。
手に汗握って苦しみすらも笑い飛ばしてやりたい。

気分にムラはあるけれど、仕事の質はこれまでにないくらい安定してきた。自己分析などアテにはならないけれど。
省エネ化により余ったエネルギーは「これから」に注げば良いのだから。
しかし、どうにもならないほど必死な自分に出会いたいと、たまに強く欲す自分もいる。
ガイドになりたての頃、必死だった自分に憧れることも時たまある。がむしゃら、夢中、一生懸命、視野狭窄、自己陶酔。

振り回されて、一体自分がどう対処するのかを見てやりたい。
苦しめたい自分と、苦しみたい自分とがぼくの中では仲良く同居している。

必死にならないとこの国では生きていけない。
生きたいという確かな意志がここでは必要。

秋は必死には程遠く、のらりくらりと夏の疲れを引きずりながら身体を整えつつかわしていくのが毎年の九月の常。
しかし、何にも整わず、回復の間もなく、面白いことがいくらでも起こるからかなわない。
いつだってシナリオ通りや予定調和などあり得ず、一筋縄ではいかないから、物語は盛り上がるのだ。



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