2013年11月25日月曜日

カヌーとコーヒーと千歳川に‥

強風のため本日休み。


昨日のちょうど一ヶ月前。
ぼくは大樹町・歴舟川にて、パドルをいつもより強めに握りしめ、母なる海へと向かっていた。


カヌーは楽しい。死ぬほど楽しい。悲しくなるほど美しい。
けれど、簡単に死ぬこともできる恐ろしい乗物であるから、乗るも乗らないも自由。乗らなくても誰も死なない。でも、乗らないと気が狂ってしまう人たちが少ないながらに確かにいる。
一人でも二人でも犬連れでも、川でも湖でも水たまりでもどこでも、気持ち良いところで、乗りたい人だけ乗ればいい。乗れば分かる。どうせ乗るなら、乗り続ければいい。
続けていくうちに、どんど変化するのはカヌーなのか心なのか人なのか土地なのか水なのか、カヌーと自分との間なのか、何なのか‥。

言葉のチカラを信じつつも、やっぱり肝は心にしかすくえない。
すべての感情を言葉にできたらそれは嘘だ。ぼくらヒトと同じく、言葉は不完全で未完のまま、いつもどこでも何かが足りない。言葉にした途端それは完全なるノンフィクションではありえない。言葉にした途端、それはぼくのものではなくなる。

足りないくらいが、ちょうどいい。


心の内、形にならない間が、いちばん大事。
それは顔つきとか表情や態度、話し方や声、歩き方や漕ぎ方や唄い方、生き方に現れる。

熱量の測り方は、ネットには託さない方がいい。
事実は、真実は、一瞬間にしかありえない。大事なことほど鮮度が重要。媒介は少ないに限る。顔を付き合わせない関係性はほぼゼロと捉えていい。


「何で生きるのか」とか、「何で漕ぐのか」とか「何でここにいるのか」とか‥すべての答えは今現在のぼくの場合、これですべてまかなえる気がする。

『ただただ、美しい世界を見ていたい』。

難しいことはもういいよ。ぼくは「美しい」ものが好きなだけ。好きなものに囲まれて暮らしていきたいだけ。

「美しい」は、恐ろしく、「美しい」は儚く、「美しい」はぼくらにさまざまな感情を与えてくれる。
「美しい」は、ありとあらゆる[生命]をありったけのエネルギーでもって訴えてくる。

‥時間ができるとすぐ脱線するんだ。‥待てよ?‥元々本線や狙いなんてあってないようなものだから、脱線するはずもないのだよなあ。

そんなわけで(「どんなわけだよ」ツッコミは一切受け付けませんので悪しからず)毎年恒例、一年で一番楽しいお祭り、この日のために全速力で夏を乗り越えている気もするSPGM(シングルパドルガイドミーティング)をぼくは勝手にnaokiさんからの大っきな誕生日プレゼントだと思っている。



それから、ちょうど一ヶ月後。たった一ヶ月、か。随分と日が経った気がするけれど、
昨日、26歳と一ヶ月のぼくは千歳川で夢と現を縫い合わせた。
日常で「旅」ができれば、物理的距離を稼がなくてもtrip感を存分に味わえる。

ぼくのどこでもドアは、水の上にあったんだ。なかなか見つからないはずだ。


カヌーと、コーヒーと、千歳川に、君とぼく。




これまでのfind outは、これからのrememberへ。

今のぼくには「見つける」よりも断然、「思い出す」が興味深い。


さらり、清流、千歳川。君のそばで暮らしたい。



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