2013年9月14日土曜日

超団体→ジンギスカンnight→雨の喜び

御無沙汰してます。二日分さくっと!‥いけるといいね!

昨日の様子はコチラ→【かのあ最多体験数DAY


photo by Pちゃん。「蜘蛛の子を散らす」。

色々な意味で、新たな展望が開けた気がします。

その後は、福島豪氏とSotocafe。


夜は、naokiさん・Pちゃん・矢吹全氏・福島豪氏、という札幌近郊豪華先輩ガイド陣営によるジンギスカンnight。
場数の違う先輩方の言葉にこもる説得力。生きた教科書から学ぶべきことが未熟者には多すぎる。


しっかし皆さま多忙ですからね。一人減り二人減り、最後はnaokiさんと鍛高譚梅酒で延長戦へ突入。

普段は全く話さないこととか、いろんな話をした気がします。

僕にとってnaokiさんは、ただの「雇い主」ではないのです。

昨日の記憶は定かではないけれど、その分、これからのことで僕らの脳みそはいっぱいなのです。


日をまたいで本日朝、雨。
『雨ですね~、どうしましょうか~。』なんてお客さまといつものように相談。

僕『‥あれ、この前も、来てくれていましたよね。一ヶ月ぶり?これで四回目でしたっけ?』

常連さん「覚えててくれたんですね~、今日で三回目です。予報が雨だね~って言ってたんですけれどせっかくだから。」

僕『実はね、‥雨も、物凄くいいんですよ~。いつもよりもっと静かになるし、緑は艶っぽいし、‥ま、風邪ひいても難なんで様子見ながら、とりあえず行きますか。』


 漕ぎ出すと、雨も上がり、たまに晴れ間。

カヌーや支笏湖の魅力にすっかりハマったその方は、カヌーにいつでも乗れるように、支笏にいつでも来れるようにと、長らく所有を躊躇していた車をえいやと購入したという。

「まさか車を買うことになるなんて。自分にとっては今年一番と言ってもいいくらいの大事件だったんです!」と、チャイを飲みつつ、何とも嬉しそうないい笑顔。

「ずっと住んでいたのにこんなに支笏湖がきれいだなんて知らなかった。もっと早くここに来ていればよかった。いい町ですよね、千歳って。」

カヌーは、激流や静水は勿論、町の魅力も発信していたんだね。

住んでいる町を好きになる。手元にあるものを愛する。
簡単だけれど難しい、日々を丁寧に生きるためのヒントををさらりと織り交ぜ進むカヌー。


「雨か~と思いながら来たけれど、本当、雨もいいですね。晴れもいいけど、本当、いつでもいいんですね。ああ、いいな~。支笏湖。カヌー。千歳川。風の音。パドルが立てる水の音。魚の群れ。水草の森。‥ああ、いいな~。いつまでやってるんでしたっけ?じゃあともう一回かな。」


千歳の支笏湖は、世界一の湖です。
世界中どこを探しても、ここ以上の湖に出会うことは、僕にはないでしょう。


「何回漕いでも、きれいですね。」

僕『そうなんですよ。僕なんかほぼ毎日漕いでいるわけなんですけれど、毎日漕いでも、毎日漕ぐ度きれいだなあといつも思うんですよね。』

「‥あべさん、いい仕事してるなあ。」


午後は太陽がお出まし。湿度は相変わらず高い。暑い。風波が立ったので、千歳川源流部にて催行。


2013年9月13日金曜日

2013年9月12日木曜日

おひねり制アナログ月刊紙『まちゅ★ぴちゅ』8

今日はまちゅ制作と共に、窓から無理くり布団を出して強引に干したり、耳鼻科に行ったり、世界一のコーヒー豆を買いに行って、お気に入りのザンタレ定食を食べて、初めて見るかわいい店員さんの笑顔におどおどしたりしていました。

左耳、相変わらず世界は遠のいたまま。
自然治癒力もパワーダウンしているんだろうね。九月は自粛してなるだけ大人しく過ごしたいと思う。



さて、今月の『まちゅ8』は、
・秋の雑感という名のラブレター
・日々雑報

じゃい!

昨日のP氏の一言を着想のヒントとし、昼飯も忘れて書き上げました。

昨日、よーこさんに「あべくんの文章は普通じゃないから面白い。いつも楽しく読んでるよ~。」
とお褒めの言葉&おひねりを頂いて、さらには『風立ちぬ』話もようやく初めてすることができたおかげで、やる気スイッチオン。単純なもんです。

ぼくのつくるものは全部、
顔の見える大事な人が手に取り、何かを感じたそのときに、ようやく完成するのかもしれません。

ぼくの代わりにその人の生活に寄り添ってほしいのです。so,頑張れい、『まちゅ★ぴちゅ』。

活字。生命を吹きこんだ「活きた字」、生き生きと生きる世界中の仲間たちの元へ、いざ向かえ。
ぼくは活字ほど自由にはなれなくても、自由な活字を自ら生み出すことはできるのです。

北海道千歳支所での『まちゅ』制作も残すところあと一回かもしれないのだなあ。

家のこと、居場所のこと、興味、会いたい人‥現実的に考えるあれこれが大増量する秋なのです。



2013年9月11日水曜日

雨の足音に耳をすませば

誰もいない夏の終わりの湖畔。初めてのカヌー、仲間、案内人、君とぼく。


愛おしい人の隣。ふっ、目を閉じる。微かに聞こえていた遠くの雨音が次第に大きくなっていく。
二足か三足か四足かは知らないけれど、「雨」がぼくらのところまで早足で近づいてきているようだ。
喋り声が聞こえなくなるほどの賑やかな雨が並々と降り注いだと思ったら、あっという間に「雨」はぼくらをまたいで今度は山の方へと走っていった。


呆気にとられた僕らは目を見合わせたなら大きな声で笑ってみた。

どうやらここでは人気者みたいだね、雨。あっちにこっちに大忙しだ、雨。

ところで、君、寒くない? 

「だいじょーぶ。」

「ふふ。雨男、だーれだ。」


なんてね。
今日も支笏は弱まったり強まったりと、忙しい雨。

「雨が向かってくるところなんてめったに見れないよね~。」

ということで記憶に残る、雨の足音に耳をすませばツアーとなりました。


帰宅後、近所のスーパーで「支笏は雨すごかったですよ~。千歳も降りましたか?」と聞くと、『いんや。晴れではないけれど雨は降らなかったよ~。支笏湖は降ったのかい?』

‥‥ということで、今日もピンポイント支笏湖雨模様。





一枚目の写真もだけれど、 これ、ぼくの大好きな支笏色。雨がより濃く演出してくれていました。

「支笏湖」と一口でいっても、場所によって色は微妙に異なります。その日の天気や風、気分にもよりますしね。
広い湖の中でたったひとつ、お気に入りの自分色を見つけてみてはいかがでしょうか。

所有することはできないし、する必要もない美しすぎる色を心の内に持っているかいないか。
「豊かさ」の指標なんてのがあるならば、それは富とは切り離されたところにこそあるのではないだろうか。

Do you know 自分の好きな色?

たった一言、「青」で片付く色の中に、いくつもの「青」がある。

君の好きな「青」と、僕の好きな「青」を見せ合いっこしないか。


‥漕いでいるとついつい、あっちの世界に行ってしまうのだよ。漕いでなくても、恋でなくても。
‥否、いつでも恋は必須陽光。要項。

ありがとよ、雨。疲れたけれど、笑顔が増えた。


ぼくらが住むこの狂った世界は、ぞっとするほどの美しさに満ち満ちた水の惑星。


2013年9月10日火曜日

西と東と支笏湖祭り

どどん!
アンコールの嵐!!naokiさんを探せ!



中耳炎耳のその後。昨日より今日。今日より明日。ということで、だいぶ世界が近づいてきました。

湖のご機嫌を伺う朝は、相変わらずそわそわとして落ち着かない。今日はどうかな?目を細くして湖を見る。

やった!‥嬉しくなってしまうほどのベストコンディションではありませんか。
その後も一日中、安定して日が出てくれました。

夏の終わりからひそかに思っているのですが、今年の紅葉はとても美しくなる気がします。


午前は、揃いも揃って気さくな関西組が集いました。
Soto Cafe中なんかは地元話でガイドも置き去りにしながらどんどん盛り上がっていく。
寂しかったって?いやいや、逆です。お客さま同士でやりとりが弾むと、僕は嬉しいのです。

あとーんす!

ほんの一瞬と言ってしまえばそれまでですが、思い出して笑顔になれる、やさしい時間を一緒につくる「仲間」ですからね。

僕の東京弁は江戸っ子らしくてきれいだとか、笑顔に癒されたとか、皆さま調子に乗せるのがまっことうまい。
別れ際には握手。お気に召さなければ握手を求めてはくれないはずなので、これもまた嬉しい。
調子に乗って、ハマダ編集長の『BABY&PEACE』創刊号を渡してみたりして。



ツアー終了後、温泉街へ小走り。ナイスタイミングで「支笏湖祭り」の見せ場の濡れ場を見ることができた。
さ、naokiさんはどーこだ。
去年は雨で寒々しかったことを思うと、今年はいい日和ですな。

午後は東のお客さまが揃いました。
釧路、美々川、尻別川‥さまざまなカヌーツアーに参加して目の肥えているお客さまも今日の秋晴れ微風(帰りは波立ち)に満足げ。ツアー後、ストレートにお褒めの言葉を頂き、なんだか今日は乗せられっぱなしの、久々一日ひとりSoto Cafe店長日和なのでした。

県民ショーではありませんが、一概に「○○の人は~だ」とかとも言えないのですが、それでもやはり、土地と人とは互いに影響し合うものであることを改めて感じました。



2013年9月9日月曜日

旅の唄~「Do you remember the tear of that day?」&「願う以上のこと 祈る以上のこと」

「Do you remember the tear of that day?」2012.9.26


優しい唄を聞いていたら、ふと、思い出してしまった





あの日のこと
君は覚えているだろうか


今となっては、恥ずかしくて、口にすることもできないような、
現実に起こった、イリュージョン


きっかけは何だったのだろう、覚えてない夜


僕は、混乱していた

どうして、今、そばに君がいないのか
どうして、今まで、どうやって、そばに君がいないで、生きていたのか
右手を伸ばす、君を探す
宙を空振る、僕の右手
 

君をつかめない、君がつかめない、君、君、君はどこだ!!!?

なんでいない、ここにいない、君がいない、僕は僕は僕は‥

届かない 目の前にいない、君がいない!!


どうしようもなくて、ただ、ワケも分からず、
ただの、聞き分けのない駄々っ子、繰り返す

寄せては返し、同じコトバを繰り返す


溢れ出る涙、とめどないコトバ、混乱する頭と心

自分でも驚いていたのだから、君はさぞかし驚いたろう

困りきっている君の声、グサリと僕を貫く

ごめんね、君のせいじゃない
ごめんね、僕も分からないんだけど、そういうことだったみたい


ごめんね、ごめんね、ごめんね


どうしようもないのは、君も同じだったみたいで、
どうしようもない夜に、どうやら、君も泣いていたらしい
君も泣いてくれていたなんて、知らなかった夜

嬉し涙じゃないけれど、どうしようもない夜、途方に暮れて、君も一緒に泣いてくれていたらしい


それだけでいい、なんてことはないけれど、

付き合ってくれてありがとう
一緒に泣いてくれてありがとう


僕は幸せだ、今思い出せた


僕は馬鹿だから、大切なことを忘れてしまう

こんなに大切な夜を、忘れたくないから残しとく
思いっきり生きたあの夜は喜び、忘れちゃいけない


初心忘れべからず、やっぱり、君が好き。



★2011、12月★

「願う以上のこと 祈る以上のこと」(ドリカム)タイトルからイメージした唄。







ひりひりと、狂おしいほど、悔しいくらいに大好きなモノのために流れる涙。

つたう涙は無職‥いやいや無色透明だ。


こぼれる雫。

その涙は美しい。不純物ゼロ。拭わずに走らせて。美しいのだから。

ヒトの美しさ、不器用でヘタクソな人間らしさ。


仁王立ち、ピシッと伸びた背筋。

握り拳、足だって震えているのにね。


生きる。凛として見据える。清々しく潔く。清涼飲料水を地で行く。


涙は拭わずに。誰にも拭わせずに。

僕も拭わなかったのだから。必要ないのだから。


大切に、そのままに、大切に。

2013年9月8日日曜日

遠のいた世界と東京オリンピックという愚行

耳の聞こえが悪くなると、世界がまどろみ、遠のく。

それでも2020オリンピックが東京で行われるという愚行としか思われないニュースは僕の耳にも届き、ああ、本当に最低時代を生きねばならんのだなあと朝からため息。

原発を再稼働したい人と、オリンピックを東京でやりたい人。どちらもたったひとつずつの「生命」を何だと思っているのだろう。
ぼくが注視しないブラウン管の向こう側では「オリンピック反対」という人が一人もいないらしい。戦争を前に「戦争反対」と唱える人が出てこなかったように。表現の自由は既に、随分と前から奪われている。

腐っているのは日本の支配者だけではないということ。開催地を日本と決めた世界の支配層も腐りきっている。
今朝、うーむと唸ったオリンピック解釈をTwitterよりご紹介。



 
放射能汚染を隠蔽するためには、使える道具は何でも使うという、世界の権力者達の意思表示

東京オリンピック決定。これからは7年間に亙って世界の眼が東京、そして福島に注がれる。汚染水の問題のように、福島の問題は世界共通の問題として関心を集めることになる。その意味では朗報。
日本の本当の意地を見せていただきたい。 

そう、招致失敗した方が恐かった。数の力で憲法改悪しちゃうだろうし、汚染水問題もいい加減に、世界から孤立の道を歩んでいた。歯止めが掛かったとおもった方がいい。 
 
なるほど、そう考えるといいですね。日本にとって本当の意味での好機かも。




日々の暮らしに戻りましたら‥
内心ではびくびくしながらの社会復帰の舞台は団体さまでした。



いつも以上に絶好調のnaokiさん。



しつこいくらいに好きな構図。通い慣れた通勤路。というか。どこまでも行けそうでしょう。
四字熟語で表すなら「前途洋洋」。


「今度、あの山、行きたいね~。」
振り返りっぷりに、おふたりの仲の良さが伝わるようで。


 たった一本しかパドルを持つなと言われたなら、ぼくは【エインズワース】の「C100」を迷わず手に取るよ。
この一本さえあれば、激流も静水も、どこへでも行けるんだもの。一夫多妻制パドル。‥ちとちがうか。
これを手にする前は何を使っていたのか思い出せない。


びしっと恵庭岳紹介中!


ゆったりとくつろぎながら、ガイドの話に頷くおふたりの後姿もいい感じなのでした。



イベントっぽい写真。
「っぽい」は余計ね。



「何か」が足りないと、人は臆病になることを再確認。何が恐いって、人と関わることが恐かった。
いつもは聞こえる音が聞こえにくいというのは不安で。
日々のツアー中、自分が目だけでなく耳でも多くの情報を得ていることが分かった。
自分がどういう状況にあるかを知っている人がまわりにいてくれるだけで安心感はケタ違いに増すということも。
naokiさん、Pちゃん、昨日も今日も‥毎日か。あとんす!

「何か」が足りなくても、「何か」を許容してくれる理解者がまわりにいれば、ビビりながらでも社会とつながることはできる。

‥ビシッと決まったなあ。

‥‥と、自分で言ってしまうあたりが余計なのだよなあ。

※以下、面倒臭いです。

ぐだぐだと続けるならば、足りないことが悪いのでは決してないと思う。
例えば、足りないと思ったのは、何に思わせられたのか、じっくりと考えてみたらいいよね。

世の中から押し付けられてきた多数決風二元論的価値観こそ諸悪の根源ではないか、と馬鹿りんぴっくへの不満も相まって、不用意に鼻をかんだ自身の行動に原因を見出すことなんてせず、「世間」とかいう都合の良いお言葉―「人間の集団」にのみ狙いを定め集中砲火を浴びせてみたりする。そんな僕自身も人間の一員である矛盾も棚に上げてさ。

悪と善は共存していて、ふたつはそれぞれであったり単体で存在することもあるわけで、ふたつを分離して敵対させてやっつけて「やったー!」なんてどこかのお国の映画のような、あほみたいに単純な図式ではないのだよ。

「基準」と比べるから自信を喪失する可能性が生まれる。比べる「基準」なんてのがなければいい。もしあっても今ほどガチガチに固めなければいい。身動きが取れなくて苦しんだ人たちを僕は知っているし、苦しんでいる人も知っている。
長い物目線では、偏差値とか収入とか分かりやすい定規があった方が効率的。
無秩序では、白黒ではないグラデーション国家では、統率がとりづらい。
自由にされると困る人たちがいるから、僕らはあらゆるところで囲われているわけだ。僕らが力を合わせることは支配層にとっての脅威なのだ。世界はあらゆる線だらけで真っ黒だ。
「立ち入り禁止」の札があったら、その札が何故そこに立っているのかを考えてから従うか従わざるかを決めたらいい。必要がなければ、実際には無理な看板も心の内でひっこ抜いてしまえばいい。

白黒とかグラデーション話の続き‥
生物多様性は強い。
寒さには弱くても暑さには強いヤツがいて、その逆もいれば、どちらの時代が来てもどちらかは生き延びて生命をつなぐことができる。生物多様性は守るに値する価値があるのだ。

身体的には足りていても、どこかで人にはそれぞれ足りないところが必ずある。身体的に足りないと、分かりやすいから「障害者」とかいうレッテルを貼りやすいんだろう。
まともな人、普通な人なんてこの世界には元々いないのに、まるでいるかのように信じ込まされてきたんだよ。
普通じゃなくていいよ。まともじゃなくていい。まっすぐに、ありのままでいい。矛盾を抱えながら、人間臭く、分かりやすくありたいね。人間らしく。人間はいいものだ。
安倍さんも猪瀬さんもよくない。人間じゃあ、ないんだろう。


ぼくは悔しい。東京がかわいそうでたまらない。ここまで悪用されてこき使われて。東京は泣いているよ。こんなはずじゃなかったのにって。未来ある人たちは今すぐここを離れてくれって東京はずっと言ってるよ。
「カントリー・ロード」の歌詞でさ、「この道 故郷へつづいても 僕は行かないさ 行けない」とか「帰りたい 帰れない」の解釈が3.11以降変わったんだよね。それまでは一旗揚げるまでは!っていう意地だと思っていたんだけれど、抗えない物質のせいかもね。

ぼくは、とうきょうがすきだ。とうきょうもすきだ。だから悲しい。汚したのは誰か。ぼくら人間だからぼくも謝る。ごめん、とうきょう。好きな人と、ただ歩くだけで楽しいとうきょうの街。
神宮、御苑、皇居、青山、神保町、蒲田、渋谷、表参道、高田馬場、六本木、新宿、四谷、市ヶ谷、吉祥寺、国立、下北、高円寺‥いろんな街をふたりで。ひとりで。歩いた。漕いだ。

2011年3月からずっと死ぬまで、死んでも‥。
こんなに悲しい現実があるだろうか。



考えることも、足や手や口を動かすことも、全部てんこ盛り時代だよ。

日々、勉強。
足りないくらいで、ちょうどいい。


乱文失礼。垂れ流しすぎるあちこち浮気文章。さてどうしたものかと思いながらもせっかく排泄したのでね。毎日快便当たり前、生理現象だものね~。

明日も、しっかり休養宣言。