2017年10月4日水曜日

「二十九、三十」秋と冬の狭間に揺れる銀杏ボーイズ

シュマリ、家外屋倶楽部、迫る湖炎祭、テンポを上げた秋足。
クレイジー極まりない刺激的な秋。
なんだか、泣きたくなるほど美しい景色だったり、手応えだったり、落ち込むくらい情けない自分に出会ったりして、容量オーバーなまま回り続けるハムスターみたいです。

おかげで、どうでもいいことは本当にどうでもよくなるから、そこは幸せ。どうでもいいことばかり考えるのがぼくの仕事のひとつではある。でも、足元より、やっぱり、空に手を伸ばす方が幸せ尚且つ健やか。


パンクしないために、ギリギリ待ってくれていた紅葉散歩。
photo by さ。

どうしたら良いのか、何にも咀嚼できないまま、しかし、誰に分かられなくても自分の内に刻み付けておきたい、「これから」のための新たな世界の扉がうっすらと見えたような。
太陽が昇ったと思いきや沈む短き一日。手の隙間からこぼれる。まるで器用ではないので、様々なタスクを同時に進めることができない。一つずつしかできない、何事にも意味が必要で、仕方がない。
自分の乗りこなし方を分かっておくことは自分のため、まわりのため。

感謝を伝えるには、何ができるだろう。
思い浮かぶのも、やりたいことも、できることも、いつも同じ。

どうでもよくないあの人に、なかなか会えなくなったあの人に。
会わない間に色々それぞれに起こるわけだけれど、それらをいちいち共有する時間も労力もなかなかかけられなくなっていくわけだけれど、
物理的距離を越えられるのは、ぼくには、いつも、たった一つの行為だけ。
すれ違っていく人と人。たまたま出会ったこと、たまたまよく顔を合わせたこと、それがいつまでも続くことは非常に稀、ほぼ皆無であることも分かるようになってきて、
それは決して悲しいことではなくて、人間だもの、とどまってはいられない。
そのとき、お互いに必要とし合った事実があるだけで満足しろって贅沢な話なんだろう。

久しぶりに手紙を書いています。
どうでもよくないあの人に。なかなか会えなくなったあの人に。
電話でもラインでもフェイスブックでもメールでもなく。とにかく、時間をかけたいのです。手間を惜しみたくないのです。手間こそ、無駄にこそ、人間らしさがこもると信じているのです。
何を書こうかななんてことは何にも考えずに、いつも、ただ、机に向かうだけ。
書き終わったらポストに投函して、投函してから少し後悔をして、相手に届くころには自分が何を書いたかなんてことはすっかり忘れていて、忘れた頃に向こうから手紙が届いて。
ぼくにはこのテンポがちょうど良い。知りたい人の本音だけがぼくは知りたい。情報は多くなくていい。欲しいのは、本音だけ。

書いていると、思います。思い出します。溢れます。困ります。声が聞きたくて仕方がなくなります。酔っぱらって気が大きくなったときくらいしか、電話もかけられなくなりました。

秋のせいだろうか。

話なんかしないでいいから、とにかく、アテもなくぶらりと街をふらつきながら、笑い合いたいと切に願わずにはおれません。
返事なんかなくてもいいのです。見返りが欲しくて手紙を書くわけではありません。ただ、好きだって言いたがりなだけです。言えないから書くしかないのです。会えないから書くしかないのです。
それでも酔狂な友人たちは、この時代にわざわざ目には目を、手紙には手紙を返してくれます。
銀杏ボーイズのCDが手紙と一緒に届きました。
なんだか、いつもより沁みるのはきっと、

秋のせいだろうか。

おしゃ!センチメンタル全開でいきまっしょい。

0 件のコメント:

コメントを投稿