2017年1月21日土曜日

冬もお外がぼくらを呼んでいる

夏。外にい続けると、いつかそれも当たり前となるのがよきも悪きも人間。

店ができ、夏も冬もoutside率が極端に減り、苦しみや迷い・悶える機会も大いに増したが、涙の数だけ強くなれた気ではいて、
イメージするようなサラリーマン風な仕事をしたことがぼくにはないからフツーな感覚というのが一番よく分からないのだけれど、
おかげで夏のお客さんがカヌーに何を求めてくるのか、本質が初めて掴めてきたような気がする。

室内から見る外はなんて眩いことか。
勿論、店には店の、外とは異なるスリルや刺激、出会いや発見があり、ぼくにはどちらも甲乙つけがたい非常にexcitingな日常である。

とある道東の先人カヌーガイドはこのようなことを言っていた。今はパドルを置き、本州の西で活動している。

「お客さんはみんな、夢を見たがっている。街中の狭っ苦しいビルの一室で、まだ随分先の、原野でカヌーに乗る日を楽しみにしている人がこの世界のどこかにはいて、彼らにとっては我々の存在自体が希望なんだよ。好きなことをして暮らしているという事実が。それをどんなときも忘れずにいたいと思うんだ。」



みんな、自分を解放したがっている。日常から。ほんの一瞬、いつもの荷物を置き去りにしたくて、多分、外へ出る。

どの季節も素晴らしい。どの季節も愛したい。四っつもダイナミックな季節のある国に暮らしているのだから。



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