2016年11月27日日曜日

素晴らしい世界を見たい

成長痛。
ついつい、ないものや、手離したものに心が向きかける。
前を向けばいいのだ。分かっている。新しい乗り物はまずは乗りこなせるまでが一勝負。しかし、さらなる勝負はその次。
乗りこなせるようになったらその先が見えてくるはずで。見えないことはできない。イメージのない人間の軌跡は華麗ではない。

photo by YOSHIHIRO.H
10月の紋別岳にて。

精神的な余裕が生まれたとき、さらなる高みへの足掻きが始まる。
二冬目の店。

例えば、恋人ができると、この人と一生…と思う。思うのに、何度か別れは唐突だったり、自然と訪れる。回復には付き合った年月がかかる。
年を重ねる度、恋をすればするほど、自分の気持ちが信用し難いものになっていく気がする。

「大人の方が 恋はせつない」
ドリカム『もしも雪なら』より。

新しい恋に落ちたとき、それまでに恋した人たちから「嘘つき」「あんなに好きだと言ってたじゃない」と責められているような気がしてしまい、「ま、まだ、恋に落ちてはいないかも…しれな、い…」と本当は既に恋をしているのに、事実を湾曲させて言い訳がましくなったりする。裏切ったわけではないはずだのに、なんでか要らない後ろめたさが発生することがある。

そのときは本当の気持ちで向きあったのは間違いない。しかし、それはそれ、今は今なのだ。そう、潔くいきたいのは理想。

実際には難しく、どこかに罪悪感や申し訳ない気持ちがなくなることはなく、羽ばたきたがるぼくの足首は常に過去に掴まれているような感覚に陥りがちだ。
等身大の自分はなんて情けなく、未熟だろうか。ため息が出る。
鼓舞するためにこうして書くしか処方箋はなし。

誰の跡も追わずに生きてきたぼくの場所にはぼくしかいない。
分かってやれるのは、目撃者はぼくだけだ。

ぼくはぼくに倣う。

毎日ヒリヒリしながら、たまに冷や汗をかきつつ、好きなことで稼ぐ。淡々と。何でもないように。暑苦しさは必要なときだけ提供する。
人が押し寄せたとき、頼るのは自分。

思い煩っても無益な過去にはおさらばして、さらにその先へ。
脱ないものねだり、脱ひきずり太郎。
毎日は静かながら申し分なくスリリングで、それをぼくはいたく気に入っているのだから。もうここからは解放へ向かうのだ。

最後は瀬戸内寂聴さんの言葉で締めます。

もし、人より素晴らしい世界を見よう、
そこにある宝にめぐり逢おうとするなら、
どうしたって危険な道、
恐い道を歩かねばなりません。
そういう道を求めて歩くのが、
才能に賭ける人の心構えなのです。







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