2016年11月24日木曜日

「また食べたい」と言われる意味は「また食べたい」と思わされる度に増していく

今日も好天。寒い。

去年の今頃は、カフェ準備の真っ最中であった。たった去年。
周囲には「大丈夫なのか?」と言われまくっていた。新しいことを始めようとすると周囲はいつも無責任に不安を煽る。
どこか外に修行にでも出た方がいいような気持ちにもなり、お気に入りの店の求人情報を漁ったりもした。
しかし、不安と同居するようにして、もうひとつ、どこから湧いてくるのか分からない根拠のない自信もあった。今の自分にならできる気がしていた。できないことは何もないと、ようやっと荷物を背負ってみたくもあったぼくの気概は柄にもなく満ち満ちていた。タイミングというのは妙なモノで、それが一昨年でも、今年でも噛み合うことはなかっただろう。
背負えるようになるには、まず委ねてもらわないことには始まりもしない、という事実も数年前に学んでいたのでその意味も重々分かっていた。人はどうでも仕事は裏切らない。

根拠のない自信を深めてくれたのはにんじんケーキ考案者のなお大先生であった。


(新宿三丁目の博多天神。酔っ払いの帰り道はここ。替え玉一杯無料で500円。)

五年、毎日ツアーでやってきたことを、湖畔でのカフェを陸に持っていくだけ。
誰の真似もする必要はないこと。ぼくらにはぼくらのスタイルが既に確立されているのだから、と。

去年があるかないかでこうも違うものか。そんなことを思い知らされながら淡々と、コツコツとやるべきことから手をつけては明日につなげていく日々。遠くには単管の音が響いた。

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