2017年12月31日日曜日

漕ぎ納め。歩き納め。

凪ぐ予想をして、早朝の湖へ。
好天なら支笏富士は赤く染まる。


冬の朝焼けの美しさは秋の夕方を凌ぐ。
どうして早朝の太陽は山をピンク色に染めるのだろう。




あたたかいはずだが、けあらしも出た。


漕ぎ納めをしたら歩き納め。
漕ぐだけでも歩くだけでもなく、良いとこ取りしていくのだ。


まあ、あたたかいからこんなもんか。七条大滝今季初視察。水の音が大きい。


ヒグマとおぼしき足跡発見。
冬は痕跡が多く、歩くのに時間がかかる。アニマルトラップ


年越す前に、かなぴょん餅を砂糖醤油でいただく。うんまい。
感謝。
小学生の頃はみんなでビルの屋上で餅ついたっけなあ。今思うと。場所がない都会人らしいナイスなチョイスだよなあ。土地柄土地柄。

‥ということで、2017、30歳。今年もお世話になりました。
あなたの暇つぶしとしての役割を全うできたでしょうか。
ぼくは、今年も迷ったり悩んだり悔んだり怒られたり、楽しんだり笑い転げたり、360度あらゆる感情をめいっぱい表現してきました。‥させられて、か。カヌーガイドという仕事は、はたまた「かのあ」?はあらゆる感情をプレゼントしてくれるので飽きません。

来たる2018年、さて、一体どうなるのか、どうしてやろうか。とりあえず、楽しみ切ることを絶対条件として、ひとまず、よろしくお願いいたします!
皆さま良いお年を!

明日は早速カヌーに乗れるかな。

2017年12月30日土曜日

良き仕事納め


人が休むときに働くのが好きだ。
人が働くときに思いっきり遊ぶのが大好きだ。


なおさんがつくってくれた。シャッターに飾った。一気に正月が来る気になる。

正月。気忙しく金稼ぎに精を出すのが正しいぼくの正月。
今年は31日をお休みにしたから、本日2017年仕事納め。

北からやって来たダンディーなおじさんとの出会い。かなぴょん。なおきさん。なおさん、たいち・わか・かほ。世界のおともだちとの異文化すれ違い。ホットウォーターはノーサービス。こんなやりとりをしていると、嫌でも氷濤まつりの激戦連戦が思い出される。
稼ぎたい、振り回されずに。‥という甘~い方程式は通用しない。分かってらい。

「良いお年を。」
と挨拶を幾度となく交わす一日。

言いやすい、良い言葉。
誰もが良い気持ちで一年を過ごしたいと願っているこの世界。
誰もが心健やかに過ごせる夢のような世界は実現不可能ではないはずだ。無理だと思うから不可能になる。信じる力が足りなかったのはぼくかもしれない。すべてを信じることを投げずにいこう。

二日続けて夕方が良かった。明日はどうだろう。
夕方が良い。それだけで嬉しい気持ちで家路につく。幸せはつまるところ、そんなもんだ。それ以上でもそれ以下でもなく。
ただ、目の前を過ぎ去っていく美しい景色を逃さず見つめながら生きていきたい所存でございます。

2017年12月29日金曜日

カヌーと手前味噌

朝、ツアー。その間閉まる店。
さすがに切り替えできるようにもなったぞ、手のかかる店と付き合って三冬目。
何事も三年続けて初めて語ることを許されると思っている。
そんなわけで、素人なりに、来春を無事に迎えるのが今から楽しみで。一段落つけるな、と。
稼ぐ意味とかお金の重みとかやりがいとか達成感とか、無意識で当たり前のものとして享受していた全てが当たり前ではなかったこと。

しかし、大人しく待ち受けるより、稼ぎに自ら攻める戦法自体は、性に合うような気がする。単純に外で働くのは気持ち良い。

冬も風が落ち着いていればやさしい気持ちでカヌーに乗れる日もある。
きれいな水があって、風が吹いて、うるさい音はなく、人がいて、寒いねって笑い合う。
それだけ。主張も誇張もしない。ただ、あるものをあるね、って一緒に。
共に感じる。
カヌーはぼくが本当に欲しいモノだけ全部くれる。ぼくがお金を払うべきではないかと思うくらいツアーでもらっている。それを仕事にして食えている幸運。

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あれから三年。

なんだか、ずいぶん昔な気がするけれど。
たった三年。されど三年。
心が落ち着かないと味噌は仕込めないようだ。
「発酵」と「暮らし」の密接な間柄。

いずれは麹もつくりたいもんだなあ。


この頃は、寝かせるとおいしくなるものにめっぽう弱い。

2017年12月26日火曜日

仕込む&仕込む


引き続き大荒れの支笏。朝方、店から第五駐車場へ向かうだけで遭難気分。バラクラバなくして歩けへんでしかし。
比べると夏って天国だよなあ。
何事も起きないことを願いつつ、窓ガラスはシャッターで守る。つまり、やはり営業不可日が続いている。

どうしたものか。それでも何でか腹は減る。
食べる。‥ために仕込む&仕込む。
長沼の不思議ほっこり系農家娘がつくった米から作られた「生麹」に着手。
我が家の食卓はその娘っことおおがみさんに支えられているといっても過言ではない。

まずは、「しょうゆ麹」。



「春夏秋冬」という醤油(世間一般的には「めんつゆ」というジャンルらしい)がぼくは大好きなので、それで仕込む。乾燥麹と割合が変わるようだ。仕込むという程のことでもないが。
材料:麹、好きな醤油。
保存容器はガラスかホーローが気持ち良い。

まだまだあるので、それでは「塩麹」もたまには仕込むか。
瀬戸内の花藻塩」にしてみる。材料は、麹、水、好きな塩。仕込むという程のことでもないが。

明日からぼくの暮らしに麹たちが色を加えてくれる。
どちらも一日一回声を掛けながらやさしくかき混ぜ育てていく。
気温が低い冬は時間もかかる。しかし、気を長く持てるのは、おいしくなることを知っているから。麹というのはしかし、精神的余裕がないと制作できない。

お次はさて。
ではオリジナルカレー粉を調合すべくホールスパイスをコーヒーミルで挽きますか。
鉄の卵焼き器で香りが立つまで炒ったら終了。あとは寝かせて皆が勝手に足並みそろえてくれるでしょう。寝かせるほどに味が変わる、これもまた育てる面白さ、配合パターンは無限大。ぼくはカルダモンの上品な香りが大好きだ。「スパイスの女王」と評す方もいるそうな高貴な存在。

では、大豆は水につけましょう。
今年は生産者との密接な関係性が構築されたこともあり、数年ぶりに味噌を仕込む算段。
カヌーは急には止まれない、味噌も急には仕込めない。ダンドリダンドリ。

腹が減っては戦はできぬ。
本日のパスタは、オイル系。トマトソースもクリームソースも良いけれど、シンプルなのが好きだ。
ガーリックとタカノツメ、オリーブオイル、自家製ベーコン(これがあればもうおいしい)とタマネギ、ホウレンソウに塩コショウ。奥行きを出せずスープの素少々。
先日のJAFMateを参考にしたかぼちゃ(ルスツの道の駅にて購入)としょうがのスープはこれにて完売。腐りかけのかぼちゃの甘いこと。

昨年の冬からしつこくつくり続けているカリーを仕込む。
今回はパキスタンカリー。

夜はガーリックライス(オリーブオイル×ニンニクが流行り)on the 目玉焼き。ダイコン(娘っこ作)とがんもの煮物。デザートは納豆。和洋コラボ。

隣では奇跡のパウンドケーキを焼き上げるべく、今冬何本目?試作にひたすら挑み続ける人あり。
あくなき探究心。気ちがいじみた情熱。向き合い方にみるストイックっぷり。ぼくがオモシロイと思う人たちは「狂気」に溢れている。
「狂気」を換金化している、していく気概に溢れていて、尊敬せずにはいられない。

つくること。食べること。
どちらも最高の娯楽。

2017年12月25日月曜日

クリスマスは荒れる


大荒れの支笏湖。
強風により、氷濤のタワーとステージが壊れたらしい。いやはや‥。


氷濤まつり制作陣営撮影。倒れたタワー。

冬のカヌーツアーは安全第一で動きます。

以下、今月のJAFMate1月号より。
山下洋輔さんの「幸せって何だろう」エッセイ。

・「幸せって何だろう」と言われて考えたら、結局、好きなことをやって気持ちよくなることだ、というやや乱暴な結論に達した。
・何もしない人間の前にそういうもの(=好きなこと)が急に現れることはない。自分は何をしたいのか、もがき苦しむ中で色々なことに出会うのが普通だろう。そして、ある時に「意地でもこれに決める」という選択が生じるのではないだろうか。
・維持を張って選択し、目的を達成して喜びを味わう。次の瞬間にまた別の好きなことを見つけて同じことをしても構わない。


2017年12月23日土曜日

『「思い出」のレシピ』大滝末馬

『「思い出」のレシピ 料理長漂流記』
大滝末馬(おおたきすえま)/読売新聞社/1997年10月13日


大滝裕子さんの個性的文体とは打って変わって、癖のない、入りやすい文章。
本人の目線、寄り添う夫/妻の目線。見方が変わると、人が変わって見えるからオモシロイ。

主観と客観はイコールではありえない。誰にどう見られているか、誰をどう見ているか。どちらが真実かは分からない。自分の感覚によって人を見るしか人間にはできない。
春凪のようになるだけ水平に見つめるよう努めはするけれど、最低限のモラルが守られない場合、季節の変わり目には風が走る。うさぎが跳ねる。
一方通行では成立しないのが「間柄」。寄り添いたい人がいるか、寄り添いたい人が寄り添いたいと同じように思っているか。素直に表現し合えているか。
いつしかそれは「惰性」、「馴れ合い」に成り下がってはいないか。「愛」という美しい言葉を言い訳にしてはいないだろうか。それは本当に「愛」か?「あなたのため」は「自分のため」にすり替わってはいないか?
良い意味での緊張感を常に互いに持ち続けることを忘れずにいきたい。
どれもその人。人によって人は変わる。人間の多面性というのは複雑怪奇だ。

どうでもいい人にどう思われてもそんなことはどうでも良いけれど、どうでもよくない人にどう思われているかは大問題。自分が今の自分を好きといえるかどうかも同じように大切にしてきた、していく。

人に期待せずに人と関わることは、ぼくには酷く難しい。好きかどうでもいいかの二択。間はない。ほどほどの距離感という分かりにくいのを保つことが困難だし、上っ面の関係性の維持の仕方なんてそもそも学ぶ気もない。時間は有限だし、愛想笑いに使うのは控えたい。不器用なだけだが。
浅いのが好きなら最大深度363mにたどり着くこともなかった。無益なことは習得せずにやってきた。
先に好きになってしまうことが(無意識であったにせよ)今までやってきた人間関係の構築方法で、
ーだからぼくの世界にはこれまで「好きな人」しか存在してこなかったー
それが通用しない時はさて、どうしたらよいのだろうか。
武器はそれだけだ。「好き」というエネルギー、好奇心だけ。
惚れさせてもらえない、惚れる要素がないとなると、一歩二歩退く、諦める、しかない。諦める、それは何か良いものを生み出せたか?
「悲しい」-「センチメンタル」=「虚しい」。
虚しいってのには、解決の策があるものだろうか。いやはや、虚しいってのはただただ虚しい。こんな思いを何故せねばならんのか。
何でもない風で、酷く引っ張られてしまうのだ。地球は丸い。良い空気は循環するし、悪い空気も循環する。

大滝末馬(この本を手にしてようやく「すえま」と読むことが判明。かずま?みま?気になって仕方がなかったのでスッキリ!)氏、19歳で日本を飛び出しカナダへ。そこからの18年間の海外での料理人生活の記録。

以下、ちょいと引用。

・不思議なもので、生活は言葉はできなくても思いやりを持った人たちに囲まれると、自然に始まるものだった。
・極端に言えば、料理以外のことを考えるのは時間がもったいないのです。
・モントリオールで妻と出会い結婚したことは、それまであまり味のしなかった一人暮らしの日常に妻という新しい味付けが加わったことになり、人生がいろんな味に変化して、疲れることもあるけれど、がぜん面白くなったのは事実です。

2017年12月22日金曜日

『スーパーシェフと毎日暮らす』大滝裕子

『スーパーシェフと毎日暮らす』大滝裕子/正文舎/2011年12月1日


中標津(なかしべつ)という、とってもあれこれちょうど良い健やかな東の町がある。空港もある。ここのソフトクリームがうまかった。牛牛牛。開陽台。標津港も近い。魚もうまい。
range lifeという、最強の服屋が中標津になければ、支笏湖にマフィン屋はなかったかもしれず。
コンビニではないコーヒーも飲める。
千歳が中標津みたいな雰囲気だったら良いのに、肌で感じて思った。
良い町だと思うところには、良い店が集う。良い人が集まるとそれは良い町となる。

ラウキカという焼菓子屋さんがある。
店主が「面白いですよ、その本」と。春に手にした本を寝かせて冬となった。

スーパーシェフ&主婦は今はどこで何をしているのだろう。
「good-eating&good-cooking」大滝。かつて札幌にあったらしいスーパーシェフたちの店は今は無い。
食べてみたかったなあ。
マダム節、炸裂。言われた通り、オモシロイ本でした。

これもまた気になる方は貸し出しますのでご一報下さい。