昨日は出発前に、ちかちゃんときんちゃんと会った。
タイミングよくはまだくんから連絡がきたので、合流してみんなで餃子を食べた。
photo by きんちゃん。
おいしかった。とてつもなくおいしくて気が回らなかった。大目に見てもらいましょう。いつものことか。
たまたま愛媛に行くちかちゃんとはバスが一緒だった。
今日の6時、鳴門でバイバイ。
ここから急に関西弁的「ありがとお↑」になっていた。
僕は最寄り駅からとりあえず瀬戸内海に挨拶をした。
15℃はある。フリースを脱いだ。今日は特に暖かいとのこと。
歩いてもうどんにぶつからないので、おにぎりを食べながら、ずんずん歩く。
お世話になる農家さんと落ち合ったら、15時半〜即作業開始。
【やったこと】
自己紹介。
かわいい顔だと言われる。「パスポートは男?」と冗談でもなさそうな顔で農家さんから質問を受けた。‥そんなにかわいいかしらあたし。馴れてるからさらりと流すが、この顔、薄いのによく目立つようで。
その後は、
何か分からない根っこを掘ったり、寒さ対策のシートをかぶせたり、レタスを大きさごとに見極めたりしました。
若者7人(インドネシアから3人)が1ヶ月〜二年、ここで働いているとのこと。出身は関西近郊の方が多い。
仕事終了19時〜スーパーやらワークマンに連れて行ってもらいました。
眠いです。
半日で何も掴めるはずがないのですが、
普段の僕がいかに恵まれているかは分かりました。
お金ではないですよ、人に関してです。
寝なきゃ。おやすみなさい。
2013年1月31日木曜日
2013年1月29日火曜日
いざ、四国
はいさい、今夜、二ケ月ほど滞在した新宿を出ます。
一年越しの「四国農業修行project」、ついに実現です。
新拠点は香川県、瀬戸内海側になります。
香川は勿論、香川以外でも四国全域わくわく情報、募集します!
行く前に、なぜ四国なのか、農業なのか‥あれこれ頭を整理したかったのですが時間がないので、長いバスの道中でゆっくり思考整理をしておきます。(新宿~徳島間は約12時間)
いつもはさくっと終わる荷造りが、今回はどうもてこずりまして。
ミレーかグレゴリーかシールライン?パソコンは?寝袋は?マットは?テントは?
農業修行をいつまでやるか、終わったらどこへ流れるかetc‥あれこれ不確定要素が通常時以上に多いため可能性が拡がりすぎて、訳が分からず、ここ数日、ずっと悩み続けておりました。‥既に、へとへとです。
どこかに行く前って、僕はあまり楽しめないのです。あったかい布団で、ぬくぬくとしていたい。そこから離れるなんて、自ら離れるなんて、僕には理解不能です。でも、幸か不幸か、行かない理由が見当たらないんですよね。行けない理由をずっと僕は探しているのです。‥なんてね。どうかな。
さて、毎日土(earth)に触れると、人は、僕はどう変化するのか。
パソコンは置いていくことにしましたが、現場の「生」をお届けしたいので、いつも通りに毎日更新を目指します。
とりあえず、一か月。
閉じた一月。夜から昼へ。二月は、解放月間になる予報です。
2013年1月28日月曜日
月刊誌「まちゅ★ぴちゅ」創刊
★本日、アナログ新聞?会報?機関紙?目指すは月刊「まちゅ★ぴちゅ」(A4)を創刊しました。
内容は、
創刊に寄せて。今後の企画予定。など。
気になるやんけ!という方は僕のメールアドレス↓
lake.abelake@gmail.com
までメールを下さい。
・郵便番号
・住所
・名前
・今すぐ読みたい or いつでもOK?
を明記していただければ、僕が直接かメール便でお届けさせてもらいます。
もしかしたら、勝手に送りつけるかもしれません。
置いてくれるお店やイベント情報、宣伝云々に斬新アイディア、などなども、随時募集中。
‥え?カンパしたい?そちらも勿論、随時受付中です。創刊号は(も?今後の方向性次第で)勿論フリー!
★映画「INTO THE WILD」メモ。
役者と実際の人物が非常によく似ていた。
本よりも放浪シーンが生き生きと描かれていて、万人受けするのは映像だろうな、と。
ずきゅんわーど。ひとつご紹介。
クリス曰く、「HAPPINESS ONLY REAL WHEN SHARE.」
(幸福が現実となるのはそれを誰かと分かち合った時だ。)
内容は、
創刊に寄せて。今後の企画予定。など。
気になるやんけ!という方は僕のメールアドレス↓
lake.abelake@gmail.com
までメールを下さい。
・郵便番号
・住所
・名前
・今すぐ読みたい or いつでもOK?
を明記していただければ、僕が直接かメール便でお届けさせてもらいます。
もしかしたら、勝手に送りつけるかもしれません。
置いてくれるお店やイベント情報、宣伝云々に斬新アイディア、などなども、随時募集中。
‥え?カンパしたい?そちらも勿論、随時受付中です。創刊号は(も?今後の方向性次第で)勿論フリー!
★映画「INTO THE WILD」メモ。
役者と実際の人物が非常によく似ていた。
本よりも放浪シーンが生き生きと描かれていて、万人受けするのは映像だろうな、と。
ずきゅんわーど。ひとつご紹介。
クリス曰く、「HAPPINESS ONLY REAL WHEN SHARE.」
(幸福が現実となるのはそれを誰かと分かち合った時だ。)
『荒野へ』ジョン・クラカワーと『深夜特急』の精神性
年末に体調を崩して以降、日中に長時間動くと決まって微頭痛がやってくる。
体力ゲージ120が最強としたら、今の僕は40くらいか。身体が心のままに動く気持ち良さをそれなりに味わっているだけに、もどかしい。かといって、東京でランニングをする気には、無駄に放射線という異物を取り込む気には決してならないのだが。
遅く起きた日曜日。
星野道夫シリーズと共にぽちっとした一冊。ちらりと1ページ目をめくってしまったのが運のつき。3、4時間ほど僕はアラスカへ「ぶっ飛んだ」(沢木耕太郎、若いころの口癖)。
友人に指摘され気付いたが、一月の僕は、明らかに読み急いでいる。
ざっと内容は以下の通り。
「全てを捨て、たった一人でアラスカの荒野に分け入った若者。厳しい大自然の前に力尽き、無残な死を迎えるまでの心の軌跡を鮮やかに描き、アメリカ中の心を揺さぶった、感動のノンフィクション!」
原題は『into the Wild』で、こちらは映画版タイトルにもなっている。
夏場にnaokiさんから「鑑賞禁止令」を出されていた、いわくつきの作品である。
本を読んで、大いに納得。naokiさんは僕より僕のことを分かっている。
主人公、クリスには、多かれ少なかれ、誰もが備えている要素があるように思う。
もう一人の自分の悲劇を見るのは、あまり気持ちの良いものではない。実際にこの事件が起きたとき、アメリカ中でさまざまな反響があった。誹謗中傷、賞賛‥ありとあらゆる声が寄せられた。
例外に漏れず、僕の中にもクリスはいる。
ex1、主人公クリス
・常識があまりない
・森を見てなかなか木が見られない人間だった
・機械いじりは向いていなかった
ex2、エヴァレット・ルース(似たケース1)
・未熟なロマンチスト
・青臭い唯美主義者
・身の安全に不注意
ex3、カール(似たケース2)
・夢見がちでいささか現実離れをしていた
まるでそれぞれが皆、僕のことじゃないかと思いながら、目をそむけたくなりながら、とまることなく原野を歩いた。彼らは、たまたま、「死」に縁あった僕の、いや、僕らの分身だ。
たまたま、僕は、僕らは生きているにすぎない。
そうして、これらが『深夜特急』の流れを汲んでいることを、さて、僕はどう解釈すればいいのか。
まあ、『深夜特急』のソフトクッションがあったから、動転せずに読み終えることができたのだが。このタイミングからのメッセージを読み解くならば、僕はまだまだ生かされるようだ。
沢木耕太郎、クリス・マッカンドレス、二人はともに、西へ向かう修道者であった。それは、たまたま?その本を連続して読むことになったことは、たまたま?
沢木耕太郎は生き、クリス・マッカンドレスは死んだ。どちらが、どちらにでも転じる可能性があった。
生も死もたいした違いではないのかもしれない。どちらもたまたまの賜物でしかなく、たまたまにしては、あまりにふたつはかけ離れているように、現世では見せられているに過ぎないのかもしれない。
以下、『深夜特急5 トルコ・ギリシャ・地中海』より、【sympathy sentence】 抜粋‥
★★★★
沢木耕太郎的に言うなれば「徹底的に自己に淫することができた」クリスはある意味で、幸せなのではないかと思う。
願っても、たいていの人は寸前でブレーキを踏むし、それより多くの人は、アクセルすら踏まない。アクセルやブレーキに気付かない人の方が多い、かなあ。
アクセルを踏めずに地団太を踏みつつ、妥協して己をどうにか受け入れる。滑稽な自分を受け入れようともがく。または、見ないふりをしたり誤魔化しているうちに、時間が解決する。
すべてを断つ聖人の道は確かに険しいが、この世界に適応し、面の皮を厚くすることもまた同様に険しい道ではないか。比べること自体間違ってはいるが。
また、ブレーキやアクセルとかいった個人の意思だけがそのまま結果に反映されるわけでもない。ある程度はコースを決める要因になりはしても、予期せぬ力がどこでどうきいてくるかは、誰にもわからないし、対策の打ちようがない。
神さまを僕は信じないけれど、まあ神さま的存在があることは感じていて、抗えない「大いなるチカラ」に委ねるほかないと思っている。
投げ出すでもなく諦めるでもなく、すべては、おさまるべきところに落ち着く。無力な僕は無力なりに嘆くのでなく、必死に悶えるのである。それを太陽が、お月さんが、友人たちが見てくれているから、やめるわけにはいかないのである。
死ぬものは死ぬ。生きる者は生きる。それだけだ。それだけでは済まないけれど。
僕は、まだまだ、もっと、とことん現世で悶え尽くすのだ。
体力ゲージ120が最強としたら、今の僕は40くらいか。身体が心のままに動く気持ち良さをそれなりに味わっているだけに、もどかしい。かといって、東京でランニングをする気には、無駄に放射線という異物を取り込む気には決してならないのだが。
遅く起きた日曜日。
星野道夫シリーズと共にぽちっとした一冊。ちらりと1ページ目をめくってしまったのが運のつき。3、4時間ほど僕はアラスカへ「ぶっ飛んだ」(沢木耕太郎、若いころの口癖)。
友人に指摘され気付いたが、一月の僕は、明らかに読み急いでいる。
ざっと内容は以下の通り。
「全てを捨て、たった一人でアラスカの荒野に分け入った若者。厳しい大自然の前に力尽き、無残な死を迎えるまでの心の軌跡を鮮やかに描き、アメリカ中の心を揺さぶった、感動のノンフィクション!」
原題は『into the Wild』で、こちらは映画版タイトルにもなっている。
夏場にnaokiさんから「鑑賞禁止令」を出されていた、いわくつきの作品である。
本を読んで、大いに納得。naokiさんは僕より僕のことを分かっている。
主人公、クリスには、多かれ少なかれ、誰もが備えている要素があるように思う。
もう一人の自分の悲劇を見るのは、あまり気持ちの良いものではない。実際にこの事件が起きたとき、アメリカ中でさまざまな反響があった。誹謗中傷、賞賛‥ありとあらゆる声が寄せられた。
例外に漏れず、僕の中にもクリスはいる。
ex1、主人公クリス
・常識があまりない
・森を見てなかなか木が見られない人間だった
・機械いじりは向いていなかった
ex2、エヴァレット・ルース(似たケース1)
・未熟なロマンチスト
・青臭い唯美主義者
・身の安全に不注意
ex3、カール(似たケース2)
・夢見がちでいささか現実離れをしていた
まるでそれぞれが皆、僕のことじゃないかと思いながら、目をそむけたくなりながら、とまることなく原野を歩いた。彼らは、たまたま、「死」に縁あった僕の、いや、僕らの分身だ。
たまたま、僕は、僕らは生きているにすぎない。
そうして、これらが『深夜特急』の流れを汲んでいることを、さて、僕はどう解釈すればいいのか。
まあ、『深夜特急』のソフトクッションがあったから、動転せずに読み終えることができたのだが。このタイミングからのメッセージを読み解くならば、僕はまだまだ生かされるようだ。
沢木耕太郎、クリス・マッカンドレス、二人はともに、西へ向かう修道者であった。それは、たまたま?その本を連続して読むことになったことは、たまたま?
沢木耕太郎は生き、クリス・マッカンドレスは死んだ。どちらが、どちらにでも転じる可能性があった。
生も死もたいした違いではないのかもしれない。どちらもたまたまの賜物でしかなく、たまたまにしては、あまりにふたつはかけ離れているように、現世では見せられているに過ぎないのかもしれない。
以下、『深夜特急5 トルコ・ギリシャ・地中海』より、【sympathy sentence】 抜粋‥
1
…このまま安宿のベッドに横になったら、ふたたび立つことはできないのではないかという危うさを、どこかに抱え込んでいるようでした。多くは二十歳を超えていましたが、ポール・ニザンのいう「一歩踏みはずせば、いっさいが若者をだめにしてしまう」状態に陥っていたのです。
…このまま安宿のベッドに横になったら、ふたたび立つことはできないのではないかという危うさを、どこかに抱え込んでいるようでした。多くは二十歳を超えていましたが、ポール・ニザンのいう「一歩踏みはずせば、いっさいが若者をだめにしてしまう」状態に陥っていたのです。
2
…このような危うさをはらむことのない旅とはいったい何なのか、と。
…このような危うさをはらむことのない旅とはいったい何なのか、と。
3
道の往来の途中でついに崩れ落ちる者も出てきます。クスリの使いすぎで血を吐いて死んでいったカトマンズの若者と、そうした彼らとのあいだに差異などありはしないのです。死ななくて済んだとすれば、それはたまたま死と縁が薄かったというにすぎません。
道の往来の途中でついに崩れ落ちる者も出てきます。クスリの使いすぎで血を吐いて死んでいったカトマンズの若者と、そうした彼らとのあいだに差異などありはしないのです。死ななくて済んだとすれば、それはたまたま死と縁が薄かったというにすぎません。
4
しかし、とまた一方で思います。やはり差異はあるのだ、と。結局、徹底的に自己に淫することができなかったからだ、と。少なくとも、僕が西へ向かう旅のあいだ中、異様なくらい人を求めたのは、それに執着することで、破綻しそうな自分に歯止めをかけ、バランスをとろうとしていたからなのでしょう。そしていま、ついにその一歩を踏みはずすことのなかった僕は、地中海の上でこうして手紙を書いているのです。
しかし、とまた一方で思います。やはり差異はあるのだ、と。結局、徹底的に自己に淫することができなかったからだ、と。少なくとも、僕が西へ向かう旅のあいだ中、異様なくらい人を求めたのは、それに執着することで、破綻しそうな自分に歯止めをかけ、バランスをとろうとしていたからなのでしょう。そしていま、ついにその一歩を踏みはずすことのなかった僕は、地中海の上でこうして手紙を書いているのです。
★★★★
沢木耕太郎的に言うなれば「徹底的に自己に淫することができた」クリスはある意味で、幸せなのではないかと思う。
願っても、たいていの人は寸前でブレーキを踏むし、それより多くの人は、アクセルすら踏まない。アクセルやブレーキに気付かない人の方が多い、かなあ。
アクセルを踏めずに地団太を踏みつつ、妥協して己をどうにか受け入れる。滑稽な自分を受け入れようともがく。または、見ないふりをしたり誤魔化しているうちに、時間が解決する。
すべてを断つ聖人の道は確かに険しいが、この世界に適応し、面の皮を厚くすることもまた同様に険しい道ではないか。比べること自体間違ってはいるが。
また、ブレーキやアクセルとかいった個人の意思だけがそのまま結果に反映されるわけでもない。ある程度はコースを決める要因になりはしても、予期せぬ力がどこでどうきいてくるかは、誰にもわからないし、対策の打ちようがない。
神さまを僕は信じないけれど、まあ神さま的存在があることは感じていて、抗えない「大いなるチカラ」に委ねるほかないと思っている。
投げ出すでもなく諦めるでもなく、すべては、おさまるべきところに落ち着く。無力な僕は無力なりに嘆くのでなく、必死に悶えるのである。それを太陽が、お月さんが、友人たちが見てくれているから、やめるわけにはいかないのである。
死ぬものは死ぬ。生きる者は生きる。それだけだ。それだけでは済まないけれど。
僕は、まだまだ、もっと、とことん現世で悶え尽くすのだ。
2013年1月27日日曜日
江の島の歓待
はまだくんと、江の島へ行った。
小田急線でがたんごとん、目指すは竜宮城さながら「片瀬江ノ島」駅。あたたかな陽光と、程よい揺れ。夢の国へ旅立ったはまだくんの横で、僕は坂口恭平さんの『独立国家のつくりかた』を手に取った。
「歩き方を変える。視点を変える。思考を変える。
それだけで世界は一変するのである。自分に無数の「生」の可能性があることを知る。」
学生時代から、何かあると僕らは、それぞれに、海へ逃げた。逃げ足だけは速いのである。逃げることができるくらいの器用さは兼ね備えていたのである。本当に不純物ゼロの不器用人間であったなら、現代社会において25歳まで生きることは不可能だ。生きること、それは恥。恥を受け入れること、それは‥。
おいしそうに写ってくれなかったシラス丼とつけ稲庭うどん。1100円。
ま、シラスはシラスだよね。旬な時期でないと。
さすがに土曜日。天気も良いので人が多い。休日感が出ていいね。
芸事の神様にも、いつも通りに世界平和をお願いした。世界平和の内に、友だちや家族、僕の幸せも含まれているから。
最近音沙汰がなかったので、うまいこと生きているのかと思ったら、そうでもなかった、はまだくん。
どうして、ただ生きることが難しいのか。でも、そのままここまでやってきた。やってこれた。本当は変わる気なんてなかったことに気がついてしまった。
天気はいいけれど、凄まじい風。
↑石川直樹さんの「アーキペラゴ」を思い出す。
江の島、西側。お勤めを終えようとしている太陽と富士山が仲良く、僕らを出迎えてくれた。
うねる波と荒れる風、轟音。太陽と富士山。2013年も波乱に満ちた一年になりそうだ。
今まで見たことのない景色に出会える確かな予感と共に、ね。
自然の凄まじいエネルギー量には、やっぱりかなわない。かなうはずがない。ただただ、圧倒されるばかり。恐ろしいから、美しい。心地よい敗北感を味わい続けていたい。
元の道を引き返す。江の島東側から望む相模湾。鎌倉やら葉山方面。あら、今度はお月さんではありませんか。
太陽が沈む。暗闇を恐れる前に今度はお月さんが出る。
いつでも、誰かが、僕らを見てくれている。どんな線をも透過するとんでもない光。僕らは守られている。こんなに頼もしい味方が他にいるだろうか。
大丈夫。とらわれずに、思い出して。僕の耳には、確かに聞こえた。
お月さん お月さん あの子の足元を照らしておくれ
太陽さん どうかお願い あの子の笑顔を守っておくれ
照らすことも守ることもできない今のぼく
頼むこと、願うこと、祈ることしかできないぼくの分まで
小田急線でがたんごとん、目指すは竜宮城さながら「片瀬江ノ島」駅。あたたかな陽光と、程よい揺れ。夢の国へ旅立ったはまだくんの横で、僕は坂口恭平さんの『独立国家のつくりかた』を手に取った。
「歩き方を変える。視点を変える。思考を変える。
それだけで世界は一変するのである。自分に無数の「生」の可能性があることを知る。」
学生時代から、何かあると僕らは、それぞれに、海へ逃げた。逃げ足だけは速いのである。逃げることができるくらいの器用さは兼ね備えていたのである。本当に不純物ゼロの不器用人間であったなら、現代社会において25歳まで生きることは不可能だ。生きること、それは恥。恥を受け入れること、それは‥。
おいしそうに写ってくれなかったシラス丼とつけ稲庭うどん。1100円。
ま、シラスはシラスだよね。旬な時期でないと。
さすがに土曜日。天気も良いので人が多い。休日感が出ていいね。
芸事の神様にも、いつも通りに世界平和をお願いした。世界平和の内に、友だちや家族、僕の幸せも含まれているから。
最近音沙汰がなかったので、うまいこと生きているのかと思ったら、そうでもなかった、はまだくん。
どうして、ただ生きることが難しいのか。でも、そのままここまでやってきた。やってこれた。本当は変わる気なんてなかったことに気がついてしまった。
天気はいいけれど、凄まじい風。
↑石川直樹さんの「アーキペラゴ」を思い出す。
江の島、西側。お勤めを終えようとしている太陽と富士山が仲良く、僕らを出迎えてくれた。
うねる波と荒れる風、轟音。太陽と富士山。2013年も波乱に満ちた一年になりそうだ。
今まで見たことのない景色に出会える確かな予感と共に、ね。
自然の凄まじいエネルギー量には、やっぱりかなわない。かなうはずがない。ただただ、圧倒されるばかり。恐ろしいから、美しい。心地よい敗北感を味わい続けていたい。
元の道を引き返す。江の島東側から望む相模湾。鎌倉やら葉山方面。あら、今度はお月さんではありませんか。
太陽が沈む。暗闇を恐れる前に今度はお月さんが出る。
いつでも、誰かが、僕らを見てくれている。どんな線をも透過するとんでもない光。僕らは守られている。こんなに頼もしい味方が他にいるだろうか。
大丈夫。とらわれずに、思い出して。僕の耳には、確かに聞こえた。
お月さん お月さん あの子の足元を照らしておくれ
太陽さん どうかお願い あの子の笑顔を守っておくれ
照らすことも守ることもできない今のぼく
頼むこと、願うこと、祈ることしかできないぼくの分まで
2013年1月26日土曜日
<本物のエコとは「人を愛する気持ち」>
汚い河、立ち並ぶ高層ビル群。ここはバンコクのあそこからの景色そのまま。そうか、ここはバンコクだったのかと思ったら、‥浅草橋でした。
1月は一度、浅草へ行く。何となく、毎年の決まりとして定着してきている。夏ではなく、ここは、冬の聖地だ。1月は、年始の余韻が適度に残っているのがいい。
苦しいときに導かれたところだから、感謝の念が定期的に足を運ばせているんだと思う。
浅草に住みたいとは思わないけれど、僕は浅草が好きだ。
初めてあつあつの人形焼を食べたときの感動。ブリキのカラフルなおもちゃを売る露店に目を奪われて、みんなとはぐれそうになったことを思い出した。根本は何も変わらないなあ。
表通りは修学旅行生やらで大賑わい。僕は今日も裏道を行く。ねずみのようにちょろちょろと。この道がどこにつながるのか、僕は知らない。ただ、知りたいだけ。何度も来ているのに分からない道はなくならない。行きどまったら、引き返せばいいだけのこと。
ヨクサル(スナフキン父)ではないけれど、どこにも行き着かないなら、それはそれでいいじゃないかと、僕は思う。心の動きは一瞬で、すべてを捉えて形に残すのは不可能だけれど、断片は変換できる。自分が感応できなかったら、“生”が死んでしまう。“ぼく”は自分に殺されたくないだろうから。
知ろうとすればするほど、どんどんわからなくなっていくということがわかってしまっても、尚、やっぱり、僕は、僕らは、知り会いたいと欲する生き物だ。
今日は「ふじや」ではなく、「くるり」手ぬぐいにした。父への遅い誕生日プレゼント。
その後、浅草寺近くで【布文化と浮世絵の美術館 アミューズミュージアム】なる建物を発見。
「BORO 美しいぼろ布展~日本人は何を失い、何を守ってきたのか?~」2013年3月24日まで。
‥うーむ、絶対ドストライク。1000円で入場。
青森の民俗学者・田中忠三郎さんの「物には心がある。」という本からの抜粋文章がとてもあたたかい。
↑右のコタツがけは、痛んだ生地の布をほどいて糸に戻して、再び布にしたもので、何度も繰り返し使用されていた。
布を裂いて何度も織るので「サキオリ」と言う。
とりあえず、さわってみた。
衣食住の一番手「衣」からのメッセージ。今の時代が疎かにしてきたモノの手触りを僕は確かめた。
学生服。
寒さの厳しい青森だから育まれ、引き継がれた技術。生きるチカラ。冬を無事に越すために、「衣」は工夫され続けてきた。何も知らない我が子はその「衣」をつくった母親に「みっともない、貧乏くさい、捨てちゃいなよ」とさらりと言う。ひとりの民俗学者は、その「衣」の意味を知っていた。
田中忠三郎曰く、「全ての物は誰かが作り、誰かが使ったものだ。例外はないんだな。」
厳しい環境だから、人は強くなる。あたたかくなる。
作業着。美しい。欲しい。
浮世絵のことも学ぶことができ、大満足。
屋上に出たら、見晴らしも良かった。
帰りがけに、上野と御徒町の高架下にある、お店屋さん集合地帯を冷やかした。ここも面白い。
2013年1月24日木曜日
ちょっくら「あさがやイネル」
阿佐ヶ谷駅北口を線路沿いに吉祥寺方面へ、てくてくと。
現れました、【あさがやイネル】。↑↓photo by フーコ(絵描きさん)
イベントや展示が行われたり、ゲストカフェ(誰でも店長になれる)やら、スペースとして利用できたり‥、まあ可能性無限大のフリースタイルなCafeっぽいぞ。
姉妹店やらなんやらとして、中野「ウナカメラリーベラ」やら中野「カルマ」(ここで料理研究家・枝元なほみさんは八年修行をしたとか。超癒し系の枝元さんとは去年知り合った。)に「エカイエ」(中野)‥何が何だか、僕の軽量化脳内は無国籍の多国籍状態だ。
イネルではただ今、「中村みずき」さん展開催中。
中村みずきさんとは‥以下ツイッターより。
@mizKinGJ 翻訳・通訳 絵描き 地域経済応援の脱原発アクション「#デモ割」プロモーター ナイトマーケット『ほろ夜市』主催 高円寺で朝市やりたい Translator/Interpreter & Artist... Think Globally, DRINK Locally!!
友人であるきれいなおねーさんによると、
お店には「えみこさん」という素敵な方がいて、どうやら生き方やら考え方やらあれこれが僕と共通するところがあるそうで、つなげようと考えてくれていたようで。
そういうの、単純に嬉しいではないですか。‥え?つまり、それ、僕が素敵だってこと?
そうかそうか、ですよね~分かってるなあ。なんてことで、浮足立って早速訪問という運びになったわけです。
さ、さ、小さくなって入りますか。
腹が減ってはなんとやら、「タイ風ピリ辛そぼろ丼」900円。
あれこれ様子を窺っていると、
というか、最近の悶えた末の収穫を相棒に偉そうに話しているうちに、あれ?えみこさんが荷物をまとめ始めたぞ。出発か?まずい、これはまずい。
あたふたしつつ、後ろから声を掛けた。
『えみこさん、今日はもうお帰りですか?』
いきなり「えみこさん」なんて呼んだら、不審者かなあと声を掛けてから気付いた。やっちまったなあと後悔する間もなく、きれいなおねーさんの根回しにより、どうやら「えみこさん」も僕らのことは分かってくれていたようで、
そこからあれよあれよと共通の友人やら、まさかの四国・四万十にも話はつながり、また今度ゆっくりみんなで会いましょうとお約束。
つながり完了、ありがとうございます!
その後も素面なのによく喋る知った風メガネの相手をしたフーコさん、長時間お疲れ様でした。
現れました、【あさがやイネル】。↑↓photo by フーコ(絵描きさん)
イベントや展示が行われたり、ゲストカフェ(誰でも店長になれる)やら、スペースとして利用できたり‥、まあ可能性無限大のフリースタイルなCafeっぽいぞ。
姉妹店やらなんやらとして、中野「ウナカメラリーベラ」やら中野「カルマ」(ここで料理研究家・枝元なほみさんは八年修行をしたとか。超癒し系の枝元さんとは去年知り合った。)に「エカイエ」(中野)‥何が何だか、僕の軽量化脳内は無国籍の多国籍状態だ。
イネルではただ今、「中村みずき」さん展開催中。
中村みずきさんとは‥以下ツイッターより。
@mizKinGJ 翻訳・通訳 絵描き 地域経済応援の脱原発アクション「#デモ割」プロモーター ナイトマーケット『ほろ夜市』主催 高円寺で朝市やりたい Translator/Interpreter & Artist... Think Globally, DRINK Locally!!
友人であるきれいなおねーさんによると、
お店には「えみこさん」という素敵な方がいて、どうやら生き方やら考え方やらあれこれが僕と共通するところがあるそうで、つなげようと考えてくれていたようで。
そういうの、単純に嬉しいではないですか。‥え?つまり、それ、僕が素敵だってこと?
そうかそうか、ですよね~分かってるなあ。なんてことで、浮足立って早速訪問という運びになったわけです。
さ、さ、小さくなって入りますか。
腹が減ってはなんとやら、「タイ風ピリ辛そぼろ丼」900円。
あれこれ様子を窺っていると、
というか、最近の悶えた末の収穫を相棒に偉そうに話しているうちに、あれ?えみこさんが荷物をまとめ始めたぞ。出発か?まずい、これはまずい。
あたふたしつつ、後ろから声を掛けた。
『えみこさん、今日はもうお帰りですか?』
いきなり「えみこさん」なんて呼んだら、不審者かなあと声を掛けてから気付いた。やっちまったなあと後悔する間もなく、きれいなおねーさんの根回しにより、どうやら「えみこさん」も僕らのことは分かってくれていたようで、
そこからあれよあれよと共通の友人やら、まさかの四国・四万十にも話はつながり、また今度ゆっくりみんなで会いましょうとお約束。
つながり完了、ありがとうございます!
その後も素面なのによく喋る知った風メガネの相手をしたフーコさん、長時間お疲れ様でした。
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