2018年2月19日月曜日
お見送り
支笏湖で別れの儀式を終え、久しぶりの朝の千歳は-20度。けあらし立ちのぼる美しい千歳川を眺めながら、空港へ。
去年と同じ場所・同じ仕事。だから、取り巻く状況や人との関係性に思い‥、ぼくらもそれぞれに変わり続けていることを実感する。
今冬もありがとう!!
良い冬でした。
‥まだ終わってないけれど!
2018年2月18日日曜日
さらば氷濤まつり2018
1/26から始まった戦がとりあえず一段落。ラストも三人体制で。
今年もスーパー助っ人、ぱくちゃん&親分のおかげで倒れることなく無事に店を回せました。いつも助っ人に恵まれます。いやはや。
助っ人がインフルエンザに倒れるという犠牲も払いましたが。ドラマにはハプニングが付き物。ナイス演出!
今冬はカヌーツアーも動かして、カフェとカヌーの二本立て。
自分が楽しく稼ぐための手段をフル稼働させてのソロ活動。どちらかだけならままあるけれど、両刀使いっぷりはかのあ一。わはは。
できるようにならなければとSっ気たっぷりの店にケツを叩かれて、やりたいことをやるためにやりたくないことから逃げるなと店はぼくを試したわけです。
なんだかこの冬はこの三年の集大成のようで。やったぞ、と。誰に言うでもなく思う。
店ももうぼくを潰すことも泣かせることもできないししない、ようやっと認められた気がします。使われるのでなく、使い倒されることを店は望んでいたわけです。
「守る」と「固執」は同義語。
形を整えるのがぼくの役目かもしれない。
色んな関わり方がある氷濤まつり。
氷濤マンとして二冬。かのあカフェとして三冬。エキサイティングな冬もぼくは大好きで、いつの間にか夏のオマケの域をとっくに越えて夏を飲み込む勢いすら時に感じる。
二日休んだら、青の祭が始まります。うおーしゃ、初めての試み、楽しんじゃおーっと。
2018年2月16日金曜日
息抜き味噌ラーメン
冬の闘いが今年は一段と長い。
インフルエンザの誘惑にも負けず、店に立っている。
気晴らしが必要だ。ということで、千歳一、いや、ぼくの中の味噌ラーメンぶっちぎりの一位といえば、
『支笏荘』の味噌ラーメン。
「こっさり」とはまさに。味噌ラーメンってくどいのが多いような気がするけれど、ここのはスッキリ。やっぱり、優しい人がつくると優しい味になるんかなあ。家族が毎日でも食べられるような味になるんかなあ。
回を重ね、食べるほどにおいしくなっていく味噌ラーメン。是非とも、お試しあれ。
「おいしい」が合致する人とは仲良くなれる気がする。舌は歴史だ、生き様だ。
味噌なら『支笏荘』、塩なら『えんや』。千歳ラーメンのツートップ。
インフルエンザの誘惑にも負けず、店に立っている。
気晴らしが必要だ。ということで、千歳一、いや、ぼくの中の味噌ラーメンぶっちぎりの一位といえば、
『支笏荘』の味噌ラーメン。
「こっさり」とはまさに。味噌ラーメンってくどいのが多いような気がするけれど、ここのはスッキリ。やっぱり、優しい人がつくると優しい味になるんかなあ。家族が毎日でも食べられるような味になるんかなあ。
回を重ね、食べるほどにおいしくなっていく味噌ラーメン。是非とも、お試しあれ。
「おいしい」が合致する人とは仲良くなれる気がする。舌は歴史だ、生き様だ。
味噌なら『支笏荘』、塩なら『えんや』。千歳ラーメンのツートップ。
2018年2月15日木曜日
むくむくと春へ
こっちで越冬するまで二月は厳冬期だと思っていたけれど、実際は厳冬期とは一月を指す。
二月は、三月ではないけれど、春の匂いが入り混じってくる。
氷濤の終わりが見えてくると、「これから」の話が始まる。
あれこれがあちこちでうごめき出そうとしている。
「これから」というのはどうなるか分からないし、どうにでもなる気がするから、とてもオモシロイ。
刺激がほしい、成長し続けたいぼくには「かのあ」はやっぱりどう見ても魅力的。
昨日と同じことを繰り返せば良し、という安易な仕事ではないのが良い。毎日試される。カヌーガイドというより店番として守りに徹した三夏。今年はようやっと、一カヌーガイドに戻れそうです。
使命感に燃えた真打ち・親分はインフルエンザに倒れた。
戦には犠牲が付き物だ。‥なんて、気分は戦国武将さながら、であるよ。はいやーっ!!パカラパカラパカラッひひーん!!
ということで、元気になったら、とりあえずカヌーに誘いますかね。
2018年2月14日水曜日
おもてなしもやっぱりカヌー
早朝。ピンと張りつめた空気の中へ。
感謝を伝えるには、やっぱり、これしかないもんで。
二冬目の助っ人に、「おかえりなさい」と、なおきさんが迎えた。
氷の造形美を愛でる日々もそろそろ終わり、か。
長いようで短い冬。群れる夏、単独行動の冬。
今年はカフェを回すのは、もはやできて当たり前となり、カヌーツアーも回すようになった。
どちらも面白がる人はあまりいないよなと二つの間を行き来する度思う。
こうなるともう、どちらかだけでは物足りなくなる。
欲しいものはぜんぶ手を伸ばしていこう、うん。そのために手離すこともその時々でね。
ぼくは面白ければ、楽しければ、そのためのツール、ジャンルなんて何でもいいのかもしれない。
できることが増える。世界の新しい見方を獲得する。これはぼくにとって至上の喜びだ。
水以上氷未満の薄氷が奏でる音楽。
何もないようで、色んな音がある水の上。
8時を過ぎると、荘厳な空気感は一気にまろやかになる。
「早朝」と「朝」の境界は、「旅」と「暮らし」の境界に似ているような気がした。
2018年2月13日火曜日
放送事故レベルのたけちゃんの消灯アナウンスに笑う
引き続き、寒い。
まつり中の娯楽といえば、氷濤まつり22時消灯時のアナウンス。今夜は誰か、声質やトーン、喋り方、内容等に耳をすませる。小さな暮らしの日課である。まつりが終わっても放送が流れたら楽しいなあ。
昨夜は今までで一番笑った。さすが土地ころがし。氷濤に恋した男もラストシーズン。今年はしんどかっただけに、打ち上げでは男たちの暑苦しい涙が一リットルでは足りないほど流れるのだろう。
静かな時間。戦の前に、腹ごしらえの図。
先日、祝いにしょこ○んからいただいた精米機デビューを果した。ありがとうございます!
玄米は長沼のともちゃんから入手した。
米が光る。つややかな気がする。
挽きたてがコーヒーは美味しい。米だってそうだよね。
助っ人親分はインフルに倒れた。
氷濤、それは休むことを許されぬ(強要でなく自発的に勝手に頑張ってるだけなのでお気遣いなく)仁義なき戦。犠牲を伴っても、シャッターは毎日開けねばならぬ。えいやー。
‥ということで、お大事に!
2018年2月12日月曜日
「裾を折らないズボンはない」&正しい白湯のつくり方
サヨナラ三連休ー!!!!!!!グッドバイ yamaba!!!
強風極寒。-10度程度らしいが、体感は風のおかげでもっと低く感じる。
氷濤会場では体調不良者も出てきて元々人手不足のところに輪をかけて大変らしいが、そうなると、今度は新しいスターも誕生するようだ。破壊と誕生、輪廻転生やね。
なるほど。何かが欠けたり、足りないという危機的状況は、新たな展開、希望が発掘される機会ともとれる。隙間がないと新しい風は生まれず吹かず、踊れない。
カフェも長居されると空気は淀む、重たくなるし、一人での闘いを覚悟したときに助っ人が現れてくれたり、ね。そこにいたかー!とか。
何事もどうにか回るように、回さざるを得ない、なっていく、していく能力が人間には備わっているのだろう。配役は都度回り続ける。
よきも悪きも替えはいる。それを「寂しい」と思うか「自由だ!」と喜ぶかで「執着」or「手離す」かが決まってくるのだろう。
使命感や執着心、思い入れは大事。しかし、捉われすぎると動けなくもなる。人間の手は二つしかない。手離すことで新たな自分に出会える機会を得る。
花火終わりの時間帯のように足早に通り過ぎゆくお客さんたち。さびーよね、うんうん。
これはこれで支笏湖らしい気もする。
知っているようでちゃんとは知らない気がした白湯について学んでみた。
『白湯毒出し健康法 体温を上げる魔法の飲み物』PHP文庫/蓮村誠/2010.2
やかんにきれいなカパ(水)を入れ、ピッタ(火)にかける。
やかんのお湯が沸騰したら、ふたを開けてヴァータ(風)を取りこむべく、10分ほどボコボコさせて三つのエネルギーを結集させたものを「白湯」というそうな。
調和の基本は風と水と火。
β(ベータ)はゲイ人。タイトルはぱくちゃんの名言でした。
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