2016年10月11日火曜日

北海「道人」と念願の「東千歳」と

長いこと熱望していた「みんなで行こうよ、東千歳バーベキュー」企画。



埼玉からヒッチハイクでやってきた若人も一緒に。
左の北海「道人」は、なおさんの家族。

18歳。ぼくは28歳。
この10年間より濃厚な時間はこの先ないのではなかろうか。

18歳。東京。
水の上で味わえる気持ち良さは既に知ってしまった。カヌーガイドになろうとも決めていた。

ひとつ、覚悟を決めてビビりながらもえいやと歩き出した頃。
「常識」や「既成概念」は決して「心」を越えない。


久々、ビール片手にぽつりぽつりと語らうオヤジと息子。


過去の自分に恥じない生き方がしたい。
恥じないどころか「どんなもんじゃい」と自慢したくなるくらい、誇り高くありたい。

毎日笑いながら暮らせているのは、過去の自分がどうにか踏ん張ってくれたから。
ぼくは過去のぼくに「ありがとう」と伝えたい。
どんどん生きやすくなっていくから大丈夫だよ、ヘタクソでいい、誤魔化さないでいい、自分のペースで思ったままにいきなさい、それでいいんだよ、と背中を押してあげたい。


「いつか」に戻る気は毛頭ない。

結局いつも、最後に残るのは、「すべてに感謝」だけなんだよなあ。


‥出たな!気をつけて!

回顧主義に浸ってしまうのも若人の効用、か。

2016年10月9日日曜日

支笏湖紅葉まつり2016


快晴、たまに雨。店内の気温計は、13℃。
強風のため午後ツアーは一切の迷いなく中止の判断を下した。
いつだって中止の決断をするときは悩みに悩んだ末に決めているが、今日のようにこれだけ風が吹けば諦めもつくというものだ。
ぼくら人間の能力なんて、自然の中では何てことない。
外に出ることで、畏れが生まれる。風も水も流れも、森も、すべてはおっかないほどに美しい。おっかなければおっかないほど美しい。美しさはおっかなさ、だ。
陸地ではすぐに枯渇する謙虚さを胸に刻み続けるために、自分たちの微小さを知るために、ぼくらは外に出るのかもしれない。
「足らない」事実をあるがままに受け入れることで、「足るを知」っていく。


写真は礼文の漁港から望んだ利尻富士。
海と空の青がこの島ではひとつ。水と山。青と緑。花と海。利尻と礼文。バランス。相性の良さでこの二島に敵う場所は他にないのではないか。それぞれに趣の異なる魅力的な島は単体で在っても成立するけれど、すぐそばに二つの島があることで、より引き立て合う、馴れ合わずに足を引っ張り合うことも一切なく「寄り添い、高め合う」最高級の信頼で結ばれた理想形がこの二島にいるとひしひしと感じられ、それが夢の世界の間柄ではなく、実在する独立した関係性であることがぼくに希望を与えた。
理想論では終わらずに、奇跡のような現実が起こり得るかもしれない。

利尻にとっての礼文。
ぼくは利尻に憧れて利尻に近づいてみた。そばにいったらさらに利尻に憧れた。
利尻にとっての礼文の存在の意味も近づいて初めて分かった。
二つは、二人は、完璧だった。こんな二人をぼくは今までに見たことがない。アダムとイブとかジョンとヨーコとか、それくらいかもしれない。

ぼくは利尻になりたい。
ぼくにとっての礼文はどこにあるのか。いや、ないのかもしれない。もし、あるのならばそれは、何なのか、どこであり、誰なのだろう。

遠くに出かけなくても分かることはいくらでもある。移動距離はステータスなんかじゃない。何か国いったって人は愚かなままだ。すごくない。
生まれ育った場所で死ぬ人の方が世界中を旅した人より真理を掴んでいたり魅力的であるケースはいくらでもある。暮らしを超える旅なんてありえない。「旅人」なんてかっこよさそうな言葉より「通行人」の方が的確だとぼくは思っている。
でもやっぱり、ここではないどこかに行くことでぼくの思考はグッとシンプルになるのも確か。
守りたいことは何か、会いたいのは誰か。

眼下に拡がるこの世のモノとは思えぬ素晴らしき夢見心地の大展望。この景色を見せたい人がいる。


脱線しました。
テイクアウトモードがシステマチックに、円滑に動かせていることを改めて確認。
コーヒーの味さえ決まっていれば、誰でもが店員となれる。

「ピンチになったらきっと助けに来るよ~♪」by とんねるず 「がじゃいも」より。
‥ではないけれど、みんなで共働する、できるというのは、面白い、楽しい。

飲食は「力」ではない。
カヌーも「美しさ」だったり「滑らかさ」だったりであり決して「力」一辺倒ではないところが良い。
ぼくはそういった、凪の湖面のような「水平性」フェチなのだろう。
誰も偉くない。誰もすごくない。ぼくらは皆素晴らしい。ぼくも、あなたも素晴らしい。
それだけでいいはずだとぼくは信じてやっていく。

2016年10月8日土曜日

いっそのこと雨が降ってしまえばいい


午前。今にも降り出しそうなのに今すぐには降り出さない曖昧な空。
何もかもが重たくのしかかる。髪の毛が重たいせいもあるかもしれない。
いっそのこと雨が降ってくれたら楽だのに。
そう念じていると、思いが通じたのか午後ツアーしょっぱなから雨に当たる。
しかし、水の上はいたって平和。陸に上がるとまた雨が降って、ぼくらは笑った。

久しぶりにツアーに出た気がした。


※【sea to summit】
海抜0mから1,721mへ重力に歯向かい歩いた利尻にて。
新相棒:ダナーライト。山での勝負パンツは新井場隆雄氏に感化されて速買いしたホグロフス(2008年物)。
パンツのポッケのチャックは壊れたままだし、社会の窓もオープンマインドすぎるけれど、お気に入りを身につけるというのは、精神衛生に一番の効果を発揮してくれる。機能性も大事。でも、それだけでは足りない。

好きなものを着よう。


明日は支笏湖紅葉まつり。

三大欲求のバランスが見直される時期でもあるのか、何だかどうにも抗いがたい秋なのである。
身体は季節に追いつこうといつでも健気でいじらしくて仕方がないから、かわいがってやらないといけないのだが有り難いことに毎日忙しい。

2016年10月7日金曜日

ルーカレーが嫌いなだけだった

毎日、寒い。風がおっかない。髪が伸びて野暮ったい。
しかし、カッコ悪いというのもこの季節なら悪くない。


飲むと吐くぼくの頼もしき相棒。酒は飲んでも飲まれるな。尻は揉んでも揉まれるな。飲まれてばかり。いつになれば大人になれるのだろう。

モンベルのジオラインアンダーウェア薄手大活躍期に突入。
寒いので残念だが靴下を履きだした。
安物は足が蒸れて不快だ。
ウールとかコットンとか、安くなく気持ちの良い靴下を買い揃えたい。冬が来る。

朝は一ケタ


暑いのか寒いのか身体が困惑している。
胃腸炎は肩や腕回りを少し薄くして、身体を冬仕様に軽くして、代わりにカヌーを少し重たくした。


秋のウトナイ湖。【photo by Nao.F】

考えたいことは山ほどある。考えるべきことだって。
ツアーは準備から始まっている。
冬だってそう。夏だって。始まる前に固めておくべきことがいくらかある。
どこに向かうのか、向かいたいのか。
何が大事なのか、守るべきか。
すべてはよりよく生きるため。
時間も身体も心も有限。
ならば、何をし、何を手離すか。
誰を愛し、誰に愛されたいのか。
行きたいところはいくつになっても減らない。
できるようになりたいことも星の数。
一息つきたいときには、やはり、唄いたく、書かないとその章が終わらない。
ひとつ、ひとつずつ、焦らずに、しかし、ひた走る。
健康の指針は、「ここぞというときに踏ん張れるかどうかかもしれない」とベルク本には、書いてあった。

さて、ようやっとベルクにも足を運べそうだ。






2016年10月5日水曜日

何度目かのキノコップ制作北上遠征

「春」と「晩秋」といえば‥キノコップ制作!
(※キノコップ=木のコップ。ククサというと分かりやすいか。北海道と言えば‥シラカバ!でつくっている。ショップにて絶賛販売中。)

しかし、今回は寒ーくなる前に行けました。



なるだけ、何でも、自分たちの手で生み出したい。
ツアーにしても暮らしにしても一貫して流れるDIY精神こそ【かのあ】の肝かもしれない。
回数を重ねていく度に技術も向上していき、今やアーティストの域に達している気がするベルトサンダー担当なおき氏。


何となく分業化がされていて、ぼくの相棒は丸ノコ。
高い集中力と安定した精神力を求められる。


美深の夜を味わいに。
涙あり笑いあり冷酒あり学びあり‥いやはや素敵な夜でした。



あーだこーだして、帰りの道中にようやっとご褒美そば。

幌加内といえば、そば!

片道6時間の強行翌日は、野郎揃って川の上‥ではなく、とある森の中。


日中の寒さも本格化してきた支笏湖。
皆さま暖かい格好でお越しくださいませ。

2016年10月1日土曜日

生まれ変わって初めての夕方

胃・腸が生まれ変わって、内臓の感応性が非常に高まっている。
「必死になりたい」と書いたら即座に必死にさせられて言霊のおっかなさに慄いた。
体内にとっては食物というのは全般異物であるわけで。

今までも気にして育てられ、気にして生きてきたけれど、
より怪しいものを食べるのは身体のためにやめよう。化学調味料の味の尖り方は異様すぎる。


そんなこんなでリセットされた新しい身体で味わう仕事終わりの秋の夕方。


日中とは異なり、人が少なくて落ち着く。


スワンもこんなところで働けて嬉しいだろうよ。手伝う。


ただ、何でもない毎日を、何でもない冗談を交わしながら何事もなく終える。

そんな、「奇跡」というと、何ともきな臭くてたまらないが、当たり前ではない積み重ねが、ぼくの中で当たり前になりすぎていたかもしれない。

朝起きて、ご飯を食べ、店へ向かい、コーヒーを淹れて、今日のツアーのカヌーを出しに行く。ツアーが始まる前にコーヒーを飲んで、ツアーに出るか見送るかは必要に応じて。ツアーの質、カヌーのこと、コーヒーの味、かのあの雰囲気、守るべきものを守るためにだけ誠実に。

日常は反復横跳び。身体は大事だよ。

なんつーか、まわりがどうとか何がどーだとか一切関係なくして、もう、ぼくにはこういうこと全部がホームとして身体にすっかり馴染んでいるのだなあ。