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2024年4月6日土曜日

支笏湖【カヌーのうえでひとやすみ】カヌーツアー

 去年歌が生まれてしまった。ここで生まれた歌だから、ここ=支笏湖でのツアー名とする。

春。荒れる日も多いけど、風がやめば鏡面。気温も水温も上がる夏に凪いでもこうはならない。寒さが美しさと同じ意味を持つのは北国の特権。


いつだってよい日。しかし、どうみてもよい日を独り占めしてしまった。あの人もこの人も喜ぶだろうな、乗せてあげたいなと思い浮かぶ顔が少なくなくて、
それも一人で漕ぐよろこびのひとつ。

誰かと漕ぐと目の前で満たされるから、たまには満たされない、消化不良な時間も大事。
月の満ち欠けみたいだな。


いいよね、いいでしょ、最高。言葉にするとおつむが弱そうですが、一人ではこの風景、感情を受けとめきれず、勿体なさすぎて、
ガイドという仕事があって本当に良かったと思います。

振り返れば、水ノ上に初めて浮かんだのが二十年ほど前のことになりました。
‥月日は百代の過客にして~
まだまだ若い気でいますがおっさんです。

世の中にはこのようにぽつんとカヌーで浮かぶことなく一生を終える人が大半だと思います(信じがたいけれど)が、近くでカヌーがちらついたなら、えいやと乗りこんでみてほしい。

ワタシは多感な時期にえいやと乗りこんでしまったのが運のツキ。いつまでもあの日の衝撃的感動をなぞっているような、増幅させているような。年を重ねることで捉え方も変わるからやめられません。

カヌー沼へのご案内、おまかせください。





2023年9月24日日曜日

10/1~NHKみんなのうた「カヌーのうえでひとやすみ」大和田慧/文化的乗り物、カヌーソング


 

一人で見る夕日も、家族と見る夕日も、尊いわけで。家から五分のこの景色、この日のことをぼくはこの先何度でも反芻するだろう。

打ち寄せる波。乗るにはキツいが見るには飽きない。音も良いのだ。

カヌーにしか乗らないと、波は歓迎し難くなるが、そもそも良いも悪いもないわけで。ご都合主義を脱するには、水だけでなく陸からも眺めることを、歌い手から教わった。バランス。

数日、クリエイティブな方々とご飯を囲んだ。

水は癒す。洗い流す。たゆまなく、生み出し続ける人たちの心も浄化す。

彼らが目の前で生まれ変わっていくのを眺める。支笏湖はすごい。与えて与えるのみ。できないことはしない。媚びない。ただ、呼吸をしている。優しく厳しく、くるくると忙しい。美しい人に翻弄されるのも、嫌いじゃないし。

ぼくはカヌーに誘う。

文化人にこそ、カヌーで感じてほしいと常日頃思っている。アウトドアという言葉がカヌーをカテゴライズすることへの違和。この感覚は最も身近な文化人、マフィン屋店主と出会わなければ抱くことはなかった気がする。僕にとってのカヌーとは何なのか、よく分からないままに五里霧中それしかないから手離すことなんてできないままに漕ぎ続けてきたが、

遅まきながらここ数年、ようやくエッジが掴めてきている気がする。思考は日々更新される。

カヌーには大切な人と乗りたい。遠くの友に手紙を書くように、なるだけ丁寧に通わせたい。

文化とアウトドアとのあわいにカヌーはある。水と陸のあわいだし。コミュニケーションの手段でもあるから、人と人のあわい。

暮らしと旅のあわい。重力と無重力のあわい。


アウトドアのアの字もなかった人が、一ファンが暮らす支笏湖に、ペンネンノルデに出会い、通い、湖と心を通わせていき、いつしかそれが歌になる。

そんな素敵な物語があるなら味わってみたいよ。幸い、それは目の前で綴られた。

出会うこと。一緒に過ごすこと。心を寄せること。

カヌー。担げなくなるまで。