2016年9月29日木曜日

はりつめた糸


はりつめた糸は、いつかプツンと切れる。
先を見越してたるませておれば、切れることはない。



しかし、しかし、生命たるもの緊張感を失い、たらたらと惰性で生きる程度なら死んだ方がマシではないか、とも思う。
どうせならば後先考えず、四の五の言わずに燃え尽きたい。

秋、燃ゆ。

緊張感。責任感。これは積み重ねていれば年々増していくものであろう。
それらを全うすることは自己への確かな信頼につながることを知ってから、仕事への向き合い方は180度変わった。好きなことで暮らす本当の意味を目の当たりにし、それまでの自分を恥じた。
やらされるのでなく、やる。受動から能動へ。愚痴からこれからに。
形式上雇われていても心持ち次第でそこからも自由になれること、なっていいよと背中を押してもらわなかったら、今、ぼくはここにいないかもしれない。
ぼくが惚れたコーヒーが今のかのあのコーヒーであり、茶色い液体は越えられずにいた一歩を越えさせてくれた覚悟の象徴、恩人である。ここに執着する理由がぼくには必要だった。

荷物が増えても、ザックの容量は変わらない。身体はひとつだ。
まだまだ身体のことなんて分かっていないらしい。
新しい風は毎年入る。
タイミングはともかくとして、それでもツアーもコーヒーも手を抜かずに人に頭を悩ませながらここまで走った自分をまずは誉める。

一切の妥協なく、倒れる前に身体をしっかり休め、仕事も何もかもに本気で暮らす。
今後の課題。

かのあのカヌーツアーが日々ノンストップで回せるのは、一人ではないからできること。




2016年9月27日火曜日

必死になりたい


だんだんと、できることは増えていくわけで。
だんだんと、全力を費やしてきたことが5割減でも同じクオリティに持っていけるようになって。
持て余したエネルギーや時間をどこにぶつけたら良いのか分からなくなり、時に畑に、時に山に、時に、恋へと異なるフィールドへその時々、足を運んだ。


まわりまわって、また仕事に全力を注ぎ込めるようになった。仕事は人生の大半。つまらない仕事は、つまり、つまらない人生、となる。ぼくは面白がりたい。人生を。仕事観は人生の捉え方とイコールだと思う。何となくならやる必要もない。
手に汗握って苦しみすらも笑い飛ばしてやりたい。

気分にムラはあるけれど、仕事の質はこれまでにないくらい安定してきた。自己分析などアテにはならないけれど。
省エネ化により余ったエネルギーは「これから」に注げば良いのだから。
しかし、どうにもならないほど必死な自分に出会いたいと、たまに強く欲す自分もいる。
ガイドになりたての頃、必死だった自分に憧れることも時たまある。がむしゃら、夢中、一生懸命、視野狭窄、自己陶酔。

振り回されて、一体自分がどう対処するのかを見てやりたい。
苦しめたい自分と、苦しみたい自分とがぼくの中では仲良く同居している。

必死にならないとこの国では生きていけない。
生きたいという確かな意志がここでは必要。

秋は必死には程遠く、のらりくらりと夏の疲れを引きずりながら身体を整えつつかわしていくのが毎年の九月の常。
しかし、何にも整わず、回復の間もなく、面白いことがいくらでも起こるからかなわない。
いつだってシナリオ通りや予定調和などあり得ず、一筋縄ではいかないから、物語は盛り上がるのだ。



2016年9月26日月曜日

沈の数だけ思い出が増える


今日は気温高めの快晴、風あり。
朝から夕方まで一日くっちゃべった。

楽しく働くために頑張るのはいいことだ。
周りのためにも、誰かのためにも、自分のためにも。


イベント詳細は【コチラ】。10月22.23日ですからね。

2016年9月25日日曜日

久々、千歳川


朝。快晴。風あり。湖をなめるようにじっくり観察。


午後からは再開した千歳川。
やっぱり、本当、素晴らしい川。
この川がなければ、ぼくは冬の美しさを知ることはなかった。


話し上手、聞き上手なお客さまに踊らされ、いつも以上にくっちゃべった秋の千歳川。


諦観。
なんつーか、思っていることを全部口にする前にこらえることができるようになって。
責任感。
他人事じゃなくて、自分事にするかしないか。したいかしたくないか。能動か、受動か。
どっちが楽しいって完全に前者、能動。やらされていると感じながら働いて何の喜びがあるのだろう。のめりこめる仕事があるってどうしようもなく幸せだ。
好きなことで稼ぐ意味。しばらく気づかずにいたぼくが今さら何を、と思われるだろうが。

立ち位置の関係とか積み重ねてきた技術とか関係性。
現場、第一線にいるときには死角だったところが突如として開けてきて。
人と人との間にあるものをないがしろにすることをぼくは良しと思わない。
目の前の人を大事にするところからしかすべては始まらない。開けば明るい。閉まれば暗い。単純なこと。簡単そうなことが難しいけれど。誠実でありたいと常々思うところである。

よきも悪きも人に過度な期待をかけなくなっていく。有限である時間や心を無駄遣いしたくないと考えるようになった。若さ=無駄=贅沢。
それよりも、もっと良い空間のつくり方を編み出すとか、おいしいチーズケーキとかコーヒーの淹れ方をさらに追求していく方がよっぽど生産的であり、断然面白い。

2016年9月24日土曜日

これが本当の110の王

秋晴れ、午前、凪。


ひゃっほーい!


たまのご褒美みたいなコンディション。


引き目に見てもカヌーは絵になる。ちゃんと「人」のシルエットが残る。フォルム、大事。見栄え、大事。カッコ良いかどうか、大事。カヌーは世界で一番カッコいい乗り物。


透明度は落ちたけれど、水温は高めなのでまだ水草も意気盛ん。


ヤマブドウの房、キノコ、どんぐりが実る。
木々の色、水の色‥すべてのカラーが夏に‥サヨナラcolor‥はハナレグミ。


手が空けば、もっぱら冬のことを考えている。


誰にでも実はできないのかもしれないガイドという生業。
伝わるように伝える技術だって使わなかったら錆びついてしまう。
脳みそフル回転、冴えわたる秋、冬を待ち構える。

2016年9月23日金曜日

飛び飛びの祝日にペースを乱される

本日、やまない雨はない‥わけでもない一日。


photo by まーくん

久しぶりに一人ぼっちで店にいると、凪の湖面にいるような心持ちとなる。

ぼくらは行きたいところにはどこだって行けるし、なりたいものにはなんにでもなれる。

2016年9月22日木曜日

立秋と旭山動物園


秋、立つ。



雨の影響で予定通りにイベント満載の秋…とはならなかったけれど、
なにができるか、やるべきか、今考えるべきことは何か。
松澤先生と軽口叩きつつ、あれこれ思考整理を進めがてらイメージを具現化していく。雑談からいつも妙案が浮かぶ。

これからの話がしたい。
今までとかそんなことはどうでもいい。

お金を稼ぐクリエイティブの真価を学ばせてもらった冬がまたやって来る。嫌なわけでは決してないが、甘えられない、今以上に背筋を伸ばさないと越えられない冬が来るのだから。
少しずつ、少しずつ、心づもり。季節に応じてぼくらも移ろう。


誕生日の所在のなさがどうにも苦手でぼくは学校をサボっていたことを思い出したのは今日がだいごろう29ちゃいの記念日だからか。

野郎五人、それぞれに癖だらけだから、あーだこーだ、勿論ぼくも含めて足りないところはいくらでもあるわけだけれど、できることをできる人が示しあい、歩み寄り、味わい深い作品になれたらいいのかな、と。
人が増えれば、疲れはたまる。悩みは尽きない。しかし、人が増えれば、可能性も拡がる。これからの話がもっともっとできるようになるはずだから。