2016年11月15日火曜日

首都高

暑さを一ミリだって感じない気温に帰る。夢のような数日が確かであることは今回は確実。
夢から夢へ帰る。


最近支笏でよく話題に出ていた「首都高」。

‥カーチェイスか!

人も場所も物事はすべて多面体であり、一点にのみ留まっていると、嫌でも、意識してはいても、その場に馴染むように人はできている。慣れ。これが人の最大の長所にして短所。

その場での「当たり前」はどの程度他の場所で通用するのか、本当に「当たり前」なのか?世間の多数決の結果はどうでも、どちらが自分には快適か?
自分の心を見失いたくない。誰にも惑わされたくない。「暮らし」でinsideをとことんまで掘り下げて、「旅」は手足も思考もoutside。
電車に乗った途端、声のトーンを気にし出す自分に気付く。普段いかに声量を気にせず唄えているかを知り、健やかに笑えている日々に感謝と共に、場所や雰囲気に思いっきり飲まれて感応してしまう自分に若干の失望。

どちらも大事。バランスバランス。しかし、どの世界も等しく狂っていることを目の当たりにした気がする。
ぼくら人間は狂っている。それも当然。というか、狂った世界において、むしろ、それが健全かもしらん。

「あえん」はやさしい


食と人の二本立て。ここ数日。
会えない距離を埋めるべく、とにかく毎日人に会った。むさぼるように。今のぼくの日々の暮らしの中には、「友人」というカテゴリーは皆無。やりたいことありきで湖にたどり着いたわけで、惑わされることなくカヌーに、仕事に最大集中できる素晴らしい環境に身を置いていられるのだが、欲張りなぼくとしては、機知に富んだ会話はどんな娯楽よりやはり面白く、ああ、ぼくはやはり人が好きでたまらず、勿論誰でもいいわけではなく、東京にはしがらみや建前立場なんて何にも気にせず何でも言い合える大切な人がたくさんいることもやはり確かな事実であって。世捨て人のようなやせ我慢はやめよう。
会いたい人には会いに行くし、食べたいものは食べに行こう。何にもとらわれずにフットワークは軽く。
愛は伝えるために在る。そう、素直に今は思えるとです。フラットな関係は良いことずくめだ。

静かな湖での日常。刺激的な街での逢瀬。
どちらでも動く好奇心。しかし、夜の街ではやはり雑魚。
咀嚼したいが、その前にカフェが始まる。のんびり考えていきたい。

新しい東京の味は、オタク気質のこだわりチャリダーに教わった。
モンマスティー(千駄ヶ谷)のミルクティー。アイスの味の決まり方たるや半端ない。これが支笏で飲めるならお金払う。飲みながらまた飲みたいと思った。
取り払っていたやるべきことを脳内でイメージし始めた。

また会うときにも自信を持って対峙していたいから、日常を変わらずに丁寧に生きよう。そろそろ刺すような空気が恋しい。
会えなかった人にはまた今度、もっと面白い土産話を携えて会いに行こう。


2016年11月13日日曜日

山女の結婚


昼から夜からきれいなご飯を食べまくった一日。

去年の秋、二年帰らずにいたことに気づき、愛想ふりまきに行くかと帰京した際、直接二人の口からそれぞれの恋人と入籍するということ、結婚式をいつ頃に挙げるという報を受けた。メールでも電話でもなく、直接、あなたたちの口から、ぼくらの耳。虫の知らせ。この報を受けるためにぼくは珍しく冠婚葬祭でもない時期に帰ったんだな、と。
嬉しかった。会えるから言わないでくれていたこと。いつも会えない距離がどうしたってある。そのおかげで、大切な人が誰か、見失わずに済むのも確か。
ぼくの友人たちは皆素晴らしく魅力的。ぼくの友だちだもの、当たり前。魅力的でなければ、友だちは続かない、どんな関係性も恋がなければ、深まるものも始まることもない。
本当の理解者がじょじょに現れつつある時代に突入だ。
八月のは無理だ。ごめん。でも十一月なら最適。行くよ。誘って。本当に?
photo by T.S

心配の種がひとつ、減った、寂しさと喜びの健やかな同居。
ヘタクソな時代を共有した友がちゃんと女の子であったことを初めて知った、とびきりの笑顔。きれいだよ。ばかやろ、これが泣かずにいれるか。
ぼくらはやっぱり、幸せになるべくして生まれたんだなあ。
最後に残るものはありがとうだけ。
実のところ、心配しつつも救われていたのはぼくのほうだったのかもしれない。
もうやめよう。手紙を書こう。

夏も冬も激闘の中にいるため泣く泣く誘いを断ることが多い「結婚式」。
すずきさんと話していたら、そういえばそうか。なおきなおさんの結婚式ぶりだなあ。あのときは東京から札幌に向かい、今回は千歳から東京。どっちも大事な場所であることは何ら変わらない。

2016年11月11日金曜日

夢の味


文章で何度も咀嚼した夢の味をついに自分の舌にとらえた。
すぐに食べに行けないもどかしさがまた良かった。

昨日も今日もやっぱりできるならばできるだけ手を取りたいのは、どちらともなく。一緒にいるのがごくごく自然なんだろう、会わない間を埋めるかのように求め合う姉妹。背景が違うだけ、やり取りは変わらない。間に流れる一貫した空気感だけが、ここをどこにでも変える。家族。
素面で大事なことを話し合える間柄。健やかで良し。さらけ出す。誰にでもする必要はない。分かってほしい人、分かってくれるであろう人に最高の時期に出会う幸運とは。
素直がいちばん。言うは易し行うは難し。
深い悲しみや絶望、孤独。しかし、そこから、偉大なる愛が生まれる。
へろへろもへじ。

何にせよ、すべては過ぎ去る。何でも笑い飛ばすのが最良。

絵本の中から飛び出して


何にも変わらない人。何だか縮こまる人。場所に飲まれない人、酒に呑まれる人。頼もしさはなんだろう。
生かさず殺さず、最もいやらしい都市。
人並みなんか苦手だけれどへっちゃら。
今日までのダイジェストを久しぶりに報告し合う。積み重ねてどうにか逃げずにやってきて良かった。息つく間もなく感性で語らう夜。
酔っぱらいの帰り道。いつも吸い寄せられるまばゆく光る黄色い灯り。替え玉一杯無料。普段なら敬遠するようなラーメンがどうしてか何度も繰り返したこの懐かしきルーティンがたまらない。なんだろう、なんでだろう。泣きたくなるほど外さないいつもの味だった。
変わり果てた、変わり果て行く駅周辺。くだらなさすぎると背中を向けてすたこらさっさと三丁目を歩けば一気に、ようやっとアウェーがホーム化し、いつかの自分とひとつになれたらしい事実に、胸をなでおろす。
忘れることなんてできないんだ。意地を張るしかないだけで、忘れたくなんかないんだから。全部引きずって、すべてが同じ時空に在る不思議を、何をしている自分自身を、戸惑うでもなく、何が良し悪しでもなく、ただただあるがままに許容できるようにはなったのかもしれない。

2016年11月9日水曜日

to be continue

千歳川でツアーをしたいなあと、誰にいうでもなく心の内でぼんやりと夢を見始めた三年前。


それまでは、ひとりでひたすら、暇さえあれば家から歩いて三十秒のこの川で遊んでいた。
だんだんと、一人占めしているだけでは物足りなさや勿体なさを感じるようになっていった。
美しいものは大切な人に見せてあげたい。
実験するかのように、三年前の秋、はまだくんをこの川に誘った。


(セルフタイマーも釣り吉には一切関係なかった。)

秋の夕方に漕ぎ始めた浅はかなぼくは、迫る夜に飲み込まれないようにとやむなくゴールをここにした。
というわけで、今年は三年前のゴールをスタートとした。お散歩のように気軽な時間が流れた。

「漕ぐのうまくなったでしょ?」

きっと、三年前の心もとない操船技術と比べていたのだろう。
カヌーのことをさして知らない男でも、当時の未熟な腕前はバレていたのだなあ。さぞかし、不安定でおっかなかったであろうことは容易に想像がつく。
遠いようで実はとても近い。16フィートの距離感って、本当に絶妙。三年前は15フィートだったしなあ。

ガイドとしての核は、技術の前に、溢れる思い。伝えたいものがあるかどうか。伝えたいがために腕を磨いていく。うまくなりたいのは、伝えたいものがあるからで、伝えたい人が頭にスッと浮かぶからで。
カヌー一筋とは言えない、よこしまガイドとして思うガイド観。

ある日、意を決して、なおきさんに千歳川でツアーをやりたいと気持ちを告げた。
その思いはかなり高ぶっていて、返事がどうでもやってやれと考えていた。
すると、その男は、ニタリと笑い、既にそのツアーを実行するための道具の入手に着手していた。

やられた。いつも、ぼくがやりたいことの二歩先にいる。
【かのあ】のやりたいことや目指したいところは、面白いくらいにぼく個人の興味関心の向かう先と一致し続けている。

いつも、新しいツアーは自分を育ててくれる。

2016年11月8日火曜日

「BABY&PEACE」編集長の接待

10月某日。三度目の来道。お気に入りの場所にて。



「世界中で謳われる“LOVE&PEACE”
それもいいけど
世界中にある曖昧な“LOVE”“愛”より
目の前の可愛い“君”“BABY”を大切にしたい」

「BABY&PAEACE」というのは、はまだくんが好きなものを好きだと告白し続けるためのラブレターのようなフリーペーパー、である。
ぼくの【まちゅ★ぴちゅ】はフリーペーパーではない。


先日、小さな最新号が届いた。感想については勿体ぶることにする。

「あきらめなかったから 僕は君と再会できた」

説得力のある本当の表現は、本当の表現者は、暮らしの中からしか生まれず、暮らしの中にしかいない。
ぼくらはみな、表現者。芸術はお高くなんかない。息をするように、誰もが紡ぐもの。
書くことは生きること。