2015年6月8日月曜日

一年越しの三岳

七月のような六月。あたたかいと人の動きが大きくなる。
いつものように人は入るが、いつもよりもガイドが少ない。ほーりーおじさんの髭は伸びる。夏を前に、もう夏ではないか。
未熟者は忙しさのなかで、文字通りに「忙殺」されて悪態ばかりついている。

そんな、遅くとも20時就寝というお爺ちゃんな暮らしの中、救世主が現れた。

ぼくは、その場限りの当たり障りない関係を量産したいわけでは断じてない。が、数をこなすには、そういう手法にならざるを得ない。そうでないと持たない。大事にしたいのにできない。お金を稼ぐというのは、つまりは、そういうことなのだろう。お金より何より尊ぶべきは、心であるはずだのに。

「お客さん」と「ガイド」?
というか、「人」と「人」。



屋久島で死にかけたその人は、一年越しの三岳を携えてやってきた。
乗れば思い出すからと、いつもの漕ぎ方説明も省略。とりあえず、いきますか。

話の種は、会わない間に起きたいろいろ。
人生の先輩に日々の疑問や思いをぶつける。
ツアー時間では収まりきらない話の続きはまた、モラップでお願いしよう。
ぼくに会いに来てくれる人がたまにいる。その人たちがぼくにとっての救世主。


モラップでキャンプな夜、壊れたラジオのように話続けるあほが必要な方はご一報。
夏は梅酒をロックで、寒い時期はウイスキーお湯割りがいいです。量はいりません。ぼくからは楽しい夜を提供します。なんてほざいてみる。


2015年6月5日金曜日

予定は予定な『カムイリキッド』

今朝は、寒くて火を焚いてしまった。日本は長いなあと南の友人の声を聞いて感心することしきり。
まあ、お湯も沸かせるからいいか、と。

まあ、不意に担当ツアーが中止となることもある。

予定はあくまで予定でしかない。気まぐれな自分は誰よりもその事実を分かっているつもり。
さらには、ぼくのお仕事は、お天気次第の水商売ですし。

だけれど、その予定をアテにして人々の暮らしは成り立っていく。

そうなると、ツアーに向かっていた自分の気持ちがまるごとぽっかりと宙に浮く。
準備にかけた労力や時間なんてのは別にどうでもよいけれど、ぼくの場合なんかあれこれを良きも悪きも過剰に想像してしまうから、ツアー前に何度も行われる脳内ツアーだけでもかなりのエネルギーを消耗する。

天気、風、空気、人‥予測不可能、不確定要素が実に多い。春は特に振り回されてばかりだ。

「ツアーは始まる前(準備段階)から始まっている。」
昔、フォレストレックの矢吹全氏が言っていた。

ぎりぎりでどたばたしたくないからぼくは早め早めにやることを終えるように努める。準備万端、時間を持て余して眠たくなるくらいがちょうど良い。
どたばた準備で余裕がないと、ツアー自体も落ち着きのないものとなる。

人々は水の上に生活臭を嗅ぎたくて集うわけではない。むしろ、その逆である。
水の上では誰もが優雅でないと。水の上でなら誰もが自由でないと。


そういう意味でいえば、あれこれ先読みしなくてよい冬はストレスフリーとなる。


まあ、そんなわけで湖ツアーをほーりーにお任せして今日も店番長。


すき間時間でヨモギを摘んだ。
ヨモギと焼酎でアイヌ式万能薬、『カムイリキッド』をつくるのだ。完成するのは半年後。

傷の治療、消毒、虫よけ、かゆみ止め、化粧水、洗顔剤、入浴剤等に使えるらしい。

参考文献はこちら。
「できた!電気代600円生活」/はらみづほ/北海道新聞社

ちなみに我が家の先月の電気代は、1173円でした。

2015年6月4日木曜日

店番


激しい雷雨から明けて、本日ひとり店長ごっこ。

いや、ごっこでは断じてない。

昨日使ってもいないのに濡らしてしまったツアー道具を乾かそうと天日干し大作戦を敢行していたら、突然の雨に戦意喪失したり、いっちょまえのつもりで電話対応に追われてみたり、明日の算段を立てたり、コーヒーを淹れたり、ああ忙しい忙しい。



お気に入りのポストカードを真似してみた。
原本が欲しい方は洞爺湖温泉街の雑貨屋さんで探してみてください。

はやりの靴えらびより
髪型より
引っ越し先より迷う
あなたへの言葉



まるで自分が書いた言葉かと思った。
あなたのことより他に迷うべきことなんてたいした問題ではないよなあと、やっぱりぼくは阿呆なのだろう。



2015年6月3日水曜日

降らない雨と大雨警報

なおきさんしばらく長瀞へ。

午前中は久しぶりに静かな湖面。




ぎりぎり、ナイスタイミングで激しく雨が降る前に切り上げられた小団体ツアー。

この頃「雨」という文字をすっかり忘れていたのですが、降ったら降ったで過激すぎて参ります。

「濡れる」というのはそれだけで疲れます。
ツアーが終わってから鳴り響き始めた雷と大雨。ほーりーとびびりながら片付け。

去年の痛々しい秋の大雨を思い出してしまいます。
満身創痍の支笏を見るのは、非常にツライ。
それも支笏、どれも支笏、なのですが。分かってはいても、美人は24時間いつでも美人であってほしいと願ってしまうぼくは愚か者でしょうか。

郷ひろみさんなんかは、そういう意識でもっていつでも「郷ひろみ」を維持しようと努めています。
レディーガガさんなんかもいつでもハイヒールを脱ぐことはしないと誰かから聞きました。

自分が「完璧」とは程遠いが故に、支笏に求めてしまうのかもしれませんね。







2015年6月2日火曜日

土日のような火曜日

相変わらず風は強いのですが、あたたかい日が続いているおかげで、土日のような火曜日。



今シーズン四度目のお客さんからの振り。

「おにーさん、遠藤(ヤット。サッカー選手。)に似てるって言われません?」

‥またきたか。
言われ慣れているものの、未だ気の利いた返しが思い浮かばずにいるので冴えない返答しかできずに困るのが常。なんというか、鬼門ネタである。

ぼく『ああ、そうですね~、よく言われます。』

お客さん「やっぱり!」

‥試合終了ー。

Please tell me ウィットにとんだ返し。


午後、野暮用をこなしてからはビルメイソン家族の旅映像を横目に店番。外人というのは、子どもの内から大人のような顔をしているよなあ。
タオルを洗ったり、洗い物をしたり雑務をちまちまとこなす。

もうそんな時間か。ツアーから帰ってくるガイド陣たちを迎える。
「おかえり」、これまでの人生の中で最も縁遠い言葉である。
日本中で数えられないほどに発せられているであろう「おかえり」。このたった一言に、さまざまな感情が内包しているのだろう。そう、「ただいま」はいつだってお気楽だ。


「ツアーから帰ってきたときの顔を見ればその日がいいツアーだったかどうかがすぐ分かる。」
確か、そのようなことを昔、なおさんが言っていたっけか。

ううむ、なるほど、確かにそうであるらしい。

病み上がりのほーりー。
本調子ではないけれど、久しぶりのツアーを終えてきたその顔はなんだかとっても輝いて見えて、迎える側としても嬉しくなりました。

うーむ、おじさん、キラキラしているではないか。
‥さて、それに引き替え、最近のオレは一体どんな顔をして帰ってきているのだろう。

2015年6月1日月曜日

千歳川の日

暑い日は水の上が最高です。


いい時期の千歳川に仕事で来れるというのは素晴らしい。
お金になろうとならなかろうとぼくがいたいところ。

昨日は「Sotocafe」。今日は「千歳川」という、お客さんも現れたり。


台湾からのお客さまもどきどき初参加。湖よりシビアな川×ぼくのクレイジーイングリッシュ。
どこまで伝えられるかなあと若干不安ではあったのですが、そんな不安もなんのその。
同じ人間だもの。見つめあって笑い合えれば、good day。

ということで、レベルアップする気のない稚拙なクレイジーイングリッシュでsay cheese!


そそくさと移動を終え、午後からは飛び入り参加もあり、荒れる湖に背を向けて静かな源流部で涼みに。


水温も上がってきて、空飛ぶカヌーの時期に突入しております。


too きれい。

あ、勿論おねーさんたちも、ね。

2015年5月31日日曜日

はじめての‥


飛び入り参加も二つ返事で受け入れて蓋を開けたら、どたばたなんじゃもんじゃツアー。


自分のイメージする、醸し出したい雰囲気というものが、まああるわけです。それは、「やさしさ」だったり、「平和」だったり、「逃避」だったり、「境界」だったり。「かのあ」というか、ぼく個人の勝手極まりない思い。

そんなイメージを具現化できると嬉しくて、できないと悔しくて。

ただの自己満ですが、そことお客さんの笑顔は全く関係ないわけでもない気がしたりしていて。
エゴを貫けば笑顔が増える、と。
誰に誉められるでもないけれど、その空気を感じ取って喜んでくれる人もたまにいて、そういう、ヒトとヒトの間で生まれるモノを追求するのが、消耗は凄まじいけれど、毎日とにかく面白かったのです。

そんな化学反応実験もやりきった感満載なこの頃。

まあ、でも、どたばた大事なものを忘れたり、まあ、そういうありえない失態も、人間だもの。
たまにはやらかします。逆に貴重ですということで、ご愛嬌イレギュラーツアーとなりました。
皆さまのやさしさのおかげでどうにかこうにかやっております。


写真は、「はじめて」つながりの逸品。人生初の自分で手に入れた陶器です。
麺類からご飯もの、何でもイケるオールラウンド。
とあるギャラリーで惚れてしまったのですが、使えば使うほどに好きになっていけるという何とも魅力的な器でございました。ちょっとざらりとしているのもたまらんとです。

かさばる、重い、壊れる。荷物になるものは敬遠して毎日がキャンプなコッヘル暮らしをずっと続けていたぼくは、もしかすると、こういったものにずっと憧れていたのかもしれません。

いつかの憧れを現実にすると、今度はいつかの現実が憧れになるのかもしれません。