2017年1月12日木曜日

店の数、夢の数

どんな店でも。


photo by たんたん。連日冷えまくっているのでかなりハードであろう氷濤制作2017。

これが好きなんだと店が語る。そんな店。
言葉はいらないのだ。

誰がどうでも、私はこうなんです。気に入ったらまた来てください。
潔い決意表明。
何をしたいのかよく分からない人は苦手だ。店もそう。
何事も分かりやすいのが好みだ。

何が好きか、どこへ向かいたいのか。
店は人。人が店。溢れる情熱が、店を開ける原動力、か。

日常で満足できたなら、唄は生まれず、店も生まれない。

表現、アイデンティティー。何もないところから生まれるものは何もない。これをせずには、必然性。



2017年1月11日水曜日

大滝の日


冷えまくっている。ようやっと氷濤日和到来。
天気予報の最低気温は日曜日まで-20℃近くが続いている。


毎日何かを焼く。昨冬の数字から逆算しておおよその見当をつける。去年は参考書がなかった。商店街の先輩方の情報だけを頼りにあとは得意の想像力で肉付け。よく攻略できたよなあと一回りして客観的視点を得て改めて思う。しかし、それもやはり、カヌーガイドとして、リスクマネージメント脳を毎夏働かせていた賜物であろう。自然は美しく、恐ろしい。敵うはずかない。畏怖の念は年々増すばかり。おっかないという感覚がなくなることはなく、なくなったら問題であり、それを維持することが仕事柄、年中ぼくには重要だ。こわいから備えねばと背筋が伸びる。これ以上準備のしようがないところまで整えよう。6の準備では不測の12に対応できないが10の準備があれば12にも対応できる。

「ツアーはツアー前(準備)から始まっている。」
byフォレストレック 矢吹全氏

知っている人と話すのと、知らない人と話すのとはどうしてこうも違うのかな。
会話は、生のコミュニケーションはこの世の娯楽であり、活力。
単に、好きな人に会えたら嬉しいって話。

人間で良かったのは、尻尾が見えないこと。犬であったらぼくの尻尾は早い内に振り切れたろう。待てよ。結局ちぎれるのならば犬でも良いのか。
結婚とか離婚とか、いろんな話を昨年はよく聞いた。
形なんかどうでもいいはずなのに、だんだんとらわれて、大事な気持ちを忘れたり、求めているものを持っていなかったり、愛より夢を選んだり、なんだか最終的には、人生いろいろ、人それぞれ、で全て方が付く。一番の核を自分の中に持つ、人に依らない人は男女問わず素敵。軸足が自分にない人には何の好奇心もくすぐられない。精神の自立。

当人が幸せならそれでいい。それが内にこもる二人だけの世界でなく、外に開かれ、循環し増幅していく幸せなら尚更良い。


2017年1月9日月曜日

ベチャ雪は勘弁

新宿のセレクト本屋さんからの一冊。


『茶の本』岡倉天心 桶谷秀昭 講談社学術文庫

「言葉は思考の邪魔物にすぎない。」

言葉からの脱却ができる日は来るのだろうか。

2017年1月6日金曜日

需要と供給

昨夜、支笏湖、雪。市内、平和。
‥ということで、除雪から始まった朝。ああ、誰もいない斜面を奇声を発しながら滑り降りたいとイメージしながら、まだ挨拶できていなかったなおさんに一度目の「あけましておめでとうございます」。


Photo by 大抵の人が見逃すであろう「暮らし」にフォーカスをあてる或るカメラマン。
撮影場所:ぼくんち 世界一は元々手元にありましたとさ。


どうやらマイペースであるらしい。というか、昔からずっと、周囲と歩調が合わず、はみ出ていた。
自分のペースで働けるということは、喋り相手がいないというデメリットを差し引いても余りあるメリットかもしれない。元々一人ぼっちだったわけで、馴れ合うのは拒絶反応が出るし、今は味方がいる中での「一人」状態。
ぼくの邪魔をするのはお客さまだけであり、作業に没頭していると「いらっしゃいませ」と心から言えないときもあるけれど、お客さまはお金を落としてくれるわけで、本当の意味で邪魔者では決してない。
距離ができるとよく分かるが、ぼくの夏は男に振り回される季節。
なおきさん、矢吹さん、福島さん、Pちゃん、ほーりー、どるふぃん、ふっくん、ごろー。
すごい人、楽しかった人、困った人、色んな人と過ごした。

冬は自分を頼り、信じ、向き合い、高まる季節。

今度の夏は冬のような夏にしてやろう。

イメージイメージ。氷濤まつりが始まったら、終わる。すると、三月。カヌーの季節。
人波にもまれる前に、脳みそを思いっきり使えるのは今だけ。想像力想像力。イメージできないことは実現も不可能。

カフェ開店。

「スイマセーン」

ぼくの心:(オーダーかな)

客席に近寄る。

「コレ、タベテイイデスカ?」

(‥ん?なんだろうか)

おじいさんが指差したのは、各テーブル上に置いている(お洒落なガラス)小ビンに入った角砂糖。

(‥ん?なんだろうか。それはそれだけでeatするものではなく、inするものであり、inするための飲み物はまだ出してないぞ。いや、注文も受けていないではないか。ん?いや、今必要なのは常識や当たり前じゃない。今、この片言の日本語を介すグループがぼくに求めているものは一体何だ?ユーモア?笑顔?否定?遊ばれてるだけ?ああ、もう!意味が分からない!‥というか質問せずに勝手に自己責任で食いたいなら食えよ!!店員泣かせにも程がある!!もしオレなら勝手にこっそりやるよ!!!)

ぼく『‥ウ、ウーン、ソーデスネ‥‥』

イヤハヤ、マイリマシタ。





2017年1月5日木曜日

二度目のあけましておめでとうとファーストダウンアンヌプリ


今冬のシーズンインは支笏っ子とアンヌプリ(初めて!)ボードデート。いらっしゃいませでは鍛えられないらしい太ももインナー。これがカヌーならなあ。人がいないところで気持ちよく滑れたら幸せ。街でも山でも人がいなければどこでもいいのかもしれない。
しかし、そのあとのセーコマカツ丼の旨さはなんだ。
ニセコは三月のよう。こんなに積雪量の少ない一月はないよと嘆く支笏っ子。

ベーコンの下にハンバーグが二つも隠れているなんて。
「また食べたい」を探し続ける。

しっかり遊んだので本日よりバリッと店再開。

日中、なおきさん現れる。
すかさず、新年のご挨拶。
『あけましておめでとうございます!今年もよろしくお願いいたします!なかなか顔出しにいけなくてすいません!』

「…あれ、会ってなかったけ?」

『会ってないですよ、何言ってんすかー。
(あれ、そうだっけ。年末の挨拶はしたけれど。)ところで、あれはどーなりましたか?えっじゃああっちは?なるほど~。あれしたいんですけど、いいですかね?あとなんだっけ、えーと…』

店ができて、冬もかのあになって、それまでは夏が終われば、「【かのあ】のあべくん」は冬眠。まっさらな自分に戻っていたのだけれど、今は一年中かのあのことを考える。苦手だった春が好きになった。
半年では辿り着けない世界もある。ハコモノの存在は偉大だ。ぼくにはオンとかオフとかの概念はなく、ないから暮らしが仕事になるところにいるんだし、あらゆる「切り替え」が不得意だ。「線」や「枠」に捕らえられることが恐ろしくてたまらないので、チョークなど持てない。

……ん?そーいえばいつかの夕方、足を滑らせながら氷濤会場に挨拶に行ったとき、ギリギリ帰りがけのなおきさんに会ったような。あれはいつだ?…元旦か!あけましておめでとうございます…しっかり言ってるわ!

二度目のあけましておめでとうございますとか、おめでたさ全開やん。





2017年1月4日水曜日

一発目の読書



『くう・ねる・のぐそ』伊沢正名 ヤマケイ文庫

2017年一発目は父から贈られたこれでした。

思考回路が極端だけれど、分からなくもない流れ。

自分の出すものに責任を。日々、手品のように消えていくうんこ。
生き物たちにはご馳走だのに。消費するだけの生き物でいいのか?
ぼくも見習っていきたい。
うんこを埋めるべく穴を掘るのがポイントとのこと。

フキはお尻を拭くのに最高だからフキだったのかあ!

2017年1月1日日曜日

ようこそ、2017年

あけましておめでとうございます。


写真は、最近凝っているスパイスカレーシリーズの「北インド風カレー」です。鶏肉はタンドリーチキン味で一夜漬け置きしてみました。完成度高い!

正月はカレー食べたがる人が多いらしいです。
せっかくなので少し振り返ってみます。

2016年。ぼくは店のおかげで、(特に冬!)、新たな未知なる世界を覗く機会をいただき、少し大人になれました。自分の足で立つことは、どこにいても気概次第でどうとでもなることを学びました。
形や形式にとらわれていたのは、他でもないぼくだったのです。
「どうでもいい」と言っていることほど、実はどうでもよくないというのはぼくの場合、実に多い。

2015年までのぼくは本当にくそったれで自分に夢中‥というか必死‥というか、とにかく何にも見えていなかった。まあ結構最近の話です。次の瞬間にはどこに跳ねるか分からない、不安定な危うさだけが唯一の取り柄でした。
こんなはずじゃないのに。もっとできるはず。うまく表現ができず、やり方も分からず、手持無沙汰だったここ数年。
しかし、いくら不器用でも、どれ程ひねくれていようとも、念ずれば花開く。イメージすることを忘れたら人間は終わり。夢の中で暮らしているぼくはイメージだけは得意だった。
ようやっと、いろいろ整ってきて、視野が開けて参りました。これからだなあ、と。ここからだなあ、と遅まきに思う次第です。


年の瀬。
いつもより少し贅沢な寿司を頼んで、歌番組の司会人選に裏の権力や金、今後の展開を探りつつ、旬な売れっ子たちをとりあえず出しとけば満足だろう?という浅はかな姿勢に疑問を呈しつつ、「‥龍雷太じゃないよ!りゅうちぇるだよ!」は良かったけれど。しかし、たまの歌番組は刺激的です。

元旦。
布団のぬくもりをどうにか押しのけまして、いつも通りにお店を開けてみますと、
あの人この人あんな人‥、いつも通りの面々から、毎年愉快なお友達を引き連れてツアーに来てくれるにーちゃんが実は毎年支笏湖で年越しをしていたらしく、ばったり遭遇したりと、正月営業ならではのエピソードがちらほらと。
今年も正月開けてみて良かった!

「よいお年を~」は言いやすい(見送りの際にさらっと言える)けれど、「あけましておめでとうございます」(挨拶し合う間柄でないと妙になる)は言えない。言わない。正月開店あるある。


昨年は、てやんday読んでくれてありがとうございます。
楽しいですか?楽しくなかったら読まないですよね。
毎日書こうと思ったり、毎日書いたところで何になるのかと思ったりしながら、ほぼ毎日書いています。惰性で生きているのではないことを証明するために。
「毎日が新しい」!by忌野清志郎
てやんdayはうんこと同じです。うんこは出し惜しみしたら便秘になります。出すべきときに出さないと。うんこが誰かの救いにでも、笑いに、キッカケにでもなれば一石二鳥ってもんです。

排泄物とは別に、今年は「書く」ことをどこかで何かにしていきたい気がしています。
カヌーもコーヒーも文章も、全部、ぼくの好きなことです。一途とは程遠いけれど、どれにたいしても本気で向き合っていこうと思います。
文章の表現場所があれば、どしどしご一報ください。

今年もよろしくお願いいたします!