2016年11月22日火曜日

小上がり、なくなりました

本日もほぼ凪のナイスコンディションの中、久々ほーりーによるインターナショナルツアー。
風がないとあたたかい。
雪が降るかどうかの微妙な時期、日本人はひっそりお家に潜んでいるのだろうか。静寂の支笏湖温泉街。秋に豊作の宴をさせてくれた目の前の栗の木の葉はしぶとくまだ落ち切らない。「冬やで!」と毎朝声掛けをしているのだがなあ。

気に入った店に通う側から待つ身になって初めて、その気持ちがわかるような。
いつもそこに行けば会える。
いつ来てもいいように場所を守ること。何でもないようで、何でもなくないんだよなあ、これが。
待っていないようで待ってくれていたんだろうなあ、これが。駆け引きだよなあ。疑似恋愛だよなあ。気持ちは大事だけれど、あまり重たすぎるとお互いのためにはならないこともある。

季節に応じて店の使い方がガラリと変わる【かのあ】店内。これほど変化の大きい店もそうない気がする。生き物みたい。


制作者の手により、今年は小上がりを解体することとなった。

ひぃ

 ふぅ


みぃ

‥やあ!!

2016年11月21日月曜日

車中コミュニケーション


パッパラーごろうは元気そうだった。誰やねん。
氷濤はフレッシャーズだらけになったらしい。曲者が今や天然記念物、か。まさ⭕さん、え⭕さん、た⭕さん、に⭕ちゃん、…古き体制の最後をぼくは見届けたんだろう。さらば、お下劣な下ネタのエンドレスリピート。まわるまわるよ時代は何とやら。ミスチルのクロスロードも良し。アンバランスで、どこか足りなくて。でもだからこそ、そこにはゆるしあう、現代社会が置き去りにした人類愛があったような気がする。


久しぶりに鹿児島んちゅ・ほり先生登場。
なおきさんと二人、九州話で盛り上がる。
ああ、なんだか懐かしいなあと、横やりを入れつつ、コーヒーも淹れる。

普通を忌み嫌い、人のいない道ばかりに吸い寄せられて歩いてきた。あるとき、ふと、普通に憧れている気持ちから目を背けて、ただ、逃げてきただけだったのかな、という気が猛烈にしてきた時期がある。
これからのことを現実的に考え出した頃。カヌー→氷濤→カヌー→氷濤→カヌー→…潮時なのか?と。
しかし、結局、実際、それは、人目や常識、普通宗教を植え付けられつつあっただけで、ぼくはやはり、先天的反普通派であり、普通になれるはずもなく、なりたいとも本気で思ったわけではなかったのだ。誰かのために自分を偽ることは、ぼくにはできなかった、したくなかった。悩んでいる風で、実際に自分の心を手離す気なんてさらさらなかったのだろう。誰かのために、は偽善だ。誰かのせい、も嫌いだ。やるもやらないも情熱だけだと思う。火が弱いとお湯は沸かない。

そんなことを話しながら、閉店後の買い出し。


2016年11月20日日曜日

冬は毒づかない

雨が少し降ってはいるものの気温は高く寒くはない有り難い朝。
「お久しぶりです!」

‥?

‥!!!
(なおき隊長の脳内の動き)

湖で漕いだお客さんが今度は千歳川に戻ってきてくれた。
ということで、「千歳川ダウンリバーなおきSP」にいってらっしゃい後、ちょっといつもより遅れてCAFE CANOA オープン。

人と人の「間」に挟まれる人間の常なのだろう。【かのあ】は皆、まあ、一人見た目はお兄さんなおじさん(リップサービスリップサービス)が混じってはいるけれど、代表含め比較的若めな集まりだから、それぞれに、自分の人生にどうにか食らいついていることもあり、夏はお客さんどころか内部のあれこれで既に満腹になっているところがある。満腹どころか、出てしまいそう。いや、出てたな、きっと。

夏とは打って変わって、やさしい気持ちでお客さんと向き合えるのは冬ならでは。
年中、人との距離感だったり、息づかい等、喋る技術を維持・向上する現場に立っていられるのは、人への好奇心が多分、一般的なそれより過剰なぼくにとって幸運なことだろう。


夜が長ーい東京。人気もまばらな千駄ヶ谷にて嬉しいサプライズがあった。
好きな人の好きな人がイマイチなはずがないんだよなあ。
形があろうがなかろうが、名前なんかつけようがつけなかろうが、そんなことはどうだっていい。
人と人との間にあるものはその人ごとに全部ちがうんだから、ひとつの言葉で説明できるほど単純じゃない。
思えば、まあ、ぼくがカヌーを漕いでいるから当然?いや、当然ではない。
その夜ここに出くわした人はみんな、支笏湖でカヌーに乗っている。こんな街で。六人も。I wonder‥奇跡的じゃnight!

みんな笑顔でありますように。

2013年春のアースデーとか高尾山を思い出させる人との再会が今秋は続いた。
早いもので実に濃厚であった。

2013年ちゃらんぽらん。2014年普通と異常の境。2015年責任と新境地。2016年自信とその先。
いつも、ここから。これからがもっと面白くなっていくんだろう。

2016年11月19日土曜日

お洒落は足元かららしい

朝から凪。素晴らしい日にツアーがあるのは最高。なおきツアーを見送る。漕ぎ出したい気持ちを落ち着かせる。今日漕がずにいつ漕ぐか、そんな小春日和。

髪は整えた。
さて、ぬくぬくインドアーズとしては、店での日々をより良いものにしていくためのニューアイテムを導入。


29歳記念に頂いたのは、BIRKENSTOCKのBOSTON。
SP thanks.
毎日使うものなだけに、これは嬉しい。

今まで使っていたコロンビアのサンダルはデザインは好みだったが、帰宅後足首に違和が残った。へたるのも早かった。

履き心地も段違いのこいつとなら長い付き合いができそうだ。
ぼくは長く使えるものが好きだ。別れはなるだけなら味わいたくないし、別れ方なんざ知らない。
飽きられるまで、呆れられるまで、愛し切りたい。
よろしくな、相棒!


2016年11月18日金曜日

質素がいちばん おにぎり論

派手派手しく着飾った食事もいいけれど、心にも胃腸にもやさしいのがいちばん。


photo by Chika.O

米は【ユニフレーム】のライスクッカーで炊く。
気持ちの問題だろうか。美味しいのだよなあ。ぼくはシンプルな【ユニフレーム】製品が非常に好きだ。
来客者は皆、炊飯器ではないことに驚く。タイマーはぼくだ。


遠出をする日の朝には、おにぎりがないといけない。
海苔はなくても良い。具には、梅干し(紀州南高梅、酸っぱすぎないはちみつ梅が好み)か、かつお節か、しょうゆ漬けにでもした鮭が良い。
豪華にも梅干しとかつお節の合わせ技を決めることもある。【サーモス】のスープマグに味噌汁が入れば、もうこれ以上他に何もいらない。味噌汁の具はなくてもよい。箸を忘れ、指で掻き出すことになりがちだから。いや、卵焼きがあってくれても良い。漬物も一口。

潔癖症づいている昨今では、何やら他人が直接手で握ったおにぎりは食べられないという新人類も参上しているとかいないとか。他人どころか恋人のつくったものですら受け付けない方もいらっしゃるとかいないとか。

愚かな時代だ。逆に「不」衛生だ。
ぼくは嬉しい。めちゃくちゃ嬉しい。お店ではお金を払いさえすれば、自分のためのコーヒーが出てくる。それも素晴らしい。お金で健全なぬくもりを買うのは素晴らしいことだ。お金をもらうから背筋が伸びて高まっていける。
しかし、お金を介さず、誰かが自分のためにただただ淹れてくれるコーヒーは訳もなく美味しい気がしてしまうのも確か。大事なのは味じゃないのだよね、気持ちを頂くのだ。

「おにぎり」の「お」は、「おふくろ」の「お」から始まり、いつしか「己」の「お」に転じるものであるらしいことに気付いてしまったのは去年のこと。衝撃的失望感を味わいつつ、ぼくはメゲずにおにぎりを握り続けた。

人生が終わるとき、誰かにおにぎりについて問われる機会でもあったなら、
『「おにぎり」の「お」は、ひとりぼっちの「己」ではなく、「お互い様」の「お」なんやで』と笑って周囲に希望を抱かせつつ死ねたら本望。

2016年11月17日木曜日

冬カフェのはじまり、31歳

なおきさんが31歳になった。2シーズン目のカフェがオープンした。めでたい日。久しぶりにふっくんの顔を見た。

お店の受話器越しになおきさん宛てのハッピーバースデーの電話をなぜか最後まで拝聴するというアンビリーバボーな初体験は、ここだけの秘密に‥できそうもありませんが頑張ります。

『‥いや、だから、ち、ちがうって!!』
ぼくの心からの叫びは熱唱中の相手に一切届くことはなかった。

そんなこんなで今日から春まで物理的にはだいたいひとりで気張ってます@CAFE CANOA。


photo by Chika.O 10月の宇宙登山。

食べることも街も山も愛も、全部同じ世界に乱立している。混乱せず、目を背けることもなく、頷けるくらいにはなった気がする。随分と時間がかかるが仕方がない。
それぞれの世界をつなげられるのは、人間だけ。単体として在る点を線でつなぐのはぼくらの行動だけ、足だけ。

2016年11月16日水曜日

味覚革命「エッセンベルク」

氷濤マン2017、本日より本格始動。

2016年2月26日「新宿駅最後の小さなお店ベルク」井野朋也著(ちくま文庫)読了。

必死になってカフェを回した怒濤の冬を越え、右も左も分からないなりに(湖畔で五年お客さまをもてなしてはきたけれど)突入した「飲食」という新たな世界は、同じ接客ではあるけれどさすがに水上とは一線を画すようでおっかなくてたまらなかった。屋根があるとどうも息苦しくて仕方がない。しかし、非常にexcitingな経験であった。一体全体「飲食」というのはどういう雰囲気なのだろう。
春になり、すべてが一段落した頃、身体ではなく言葉として「飲食」という世界を知りたくなったとき、ちょうどこの本に出会った。

その日から、ぼくはベルクに恋をした。

結局、生まれ育った「新宿」の手の内で弄ばれているだけかもしれない、と苦笑。

好きな人には会いに行きたい。

九ヶ月蒸らした恋。蒸らしすぎたコーヒーはいけないが、店への片思いは悪くない。
会えない時間が気持ちをどこまでも高めてくれる。

新宿ベルク、ランチ限定780円のコース料理。「エッセンベルク」。


30種類の食材。
この豆のスープはナンダ。何て言えばいいのか分からない、今まで飲んだことのないスープ。これが迫川副店長曰くの「ゆらぎ」なのかなあ。
ベルク本で何度も味を想像したけれど、イマイチ鮮明な味が見つからなかった「ポークアスピック」(写真中央)。これもまた、絶妙すぎる。

味覚がこれほど脳みそに刺激を与えるワンプレートというのもそうない。
食べるは宇宙。
「濃い=美味しい」が世の中まかり通っている風がある昨今にあって、すべてにおいて『寸止め』な味がどれもこれにも決まっていた。
一日1500人が来る店で、この味を決めるか。今のぼくには無理だ。きっと、立ち止まれない。不安で。イってしまう。イキすぎてしまうに決まっている。
覚悟。潔さ。これがベルクか。


新宿、すっっげー!!さすが!!リスペクト!!!!
ぼくの生まれ育った街には、たいした山も湖も川もないけれど、ベルクがあるぞ。どどーん。