四年前のクリスマスイブを彼女と渋谷で過ごして、
四年前のクリスマスは、はまだくんとかずやと東京駅付近で朝まで呑んで、
ちなみに四年経った、秋の支笏湖で、
はまだくんが僕の誕生日のプレゼントに連れてきてくれたサプライズゲストのかずやとは、そのとき振りの再会だった。
四年前のクリスマス明けには、夏の疲れが出たのかぶっ倒れて、
四年前の年の暮れ、彼女に電話をしてみたら、
四年前、「もう別れたでしょ?今さら何?」と突然の宣告を受けて、
四年前、ワケが分からず問いつめたなら、
四年前、何故か彼女の恋人と「お仕事は何を?」なんて世間話をし、
四年前、一度途切れた電話はその後二度とつながることもなく、
四年前、強く願えば叶わないなんてありえないときれい事を本気で信じてきた僕は、人が関わることに限っては、
どれだけ会いたいと願っても、叶わないことがある現実を力なく受け入れる他になく、
四年前、そんな現実をこの僕につきつけてきた彼女が憎たらしくてたまらず、
なのに、彼女の好きな唄ばかり聞いては遠い目をして、街を歩けば君の姿を探している自分にため息をつき、
四年前、サヨナラcolorで竹中直人が「僕はあなたにこだわり続けるんだ」なんて言うもんだから、おいおい泣いて、
四年前、の五年前、つまり今から九年前、
勝手に好きになられて、
四年前、勝手に、目の前から消え去って、
四年前、女の子は勝手で、女の子は自由で、
四年前、
こんなに痛いことがあるものか、他にいくらでもやり方があったろう、
こんなに酷い痛みがあるならば、この種の痛みは他の誰にも感じさせたくはない、少なくとも僕は‥
四年前、彼女は僕の人付き合いにおける反面教師となり、
四年前、まわりの人を傷つけないように、傷つけないのは無理だとしても痛みは最小限に食いとめようと、
四年前、誠実に、丁寧に、まっすぐに人と向き合おうと、
四年前、ワケの分からない世の中だし、分かりやすい人間が一人くらいいてもいいだろうと、僕がその一人になってやろうと、
四年前、痛みを和らげて寄り添ってくれた友人たちの存在に救われて、
彼らが苦しいときは逆に僕が助けられるだけの人間になりたいと初めて心の底から思えて、
四年前、不誠実極まりない自己中な気分屋は、彼女からの最後のプレゼントをしかと受け取り、
四年前、彼女のおかげか彼女のせいで、
僕は暑苦しいヤツへ変貌の機会をいただき、
おまけの一ヶ月前、一年振り?彼女は相変わらずキレイで、ついつい誘い文句を軽く飛ばしたなら、「何も変わらないね」なんて冷たく一蹴され、そんなでもさ、何やかんやと楽しかったんだ。
話を戻して四年前、
彼女、仕事、お金、‥何もかもがなくなって、
四年前、たまたまはまだくんもニートだったから、僕らは一緒に自転車を漕いで、
今日よりちょっといいはずの明日を探して、お互いにそれぞれにひたすらに、もがいていた。
四年前、昔憧れていた何にも属さない「自由」を初めて手に入れたけれど、それは実際修行僧さながら、
四年前、仕事がないと、これほどまでに社会に、人にcommitできなくなることを痛切に思い知り、
四年前、とにかく僕らは、つながりたくて、求めて欲しくて、
「生きていていいんだよ」と存在を赦してもらいたくて、
四年前、人、人、人
四年前、生きるためには、人には人が必要不可欠必須条件で必死な僕ら自身もご多分に漏れず、人、人、人なはずだのに‥
四年前、高校生からの夢だったカヌーガイド業に夢中でいたら、突然冬が来て、雪に追い立てられるようにとりあえず新宿へ
四年前、好きなことで食っていた小さなかわいいプライドが邪魔をして、どうでもいい仕事をする気にはなれず、
四年前、ゆとり世代は「やりたいことがあるのはいいことだ」と言われていた気がするけれど、
四年前、世間というのはコロコロ言うことが変わるようで、
四年前、一生懸命働いた夏の仕事は、「そんなの遊びだ。仕事じゃない」と罵られ、
四年前、あっちの世界でどれだけ頑張ったところで、こっちの世界ではクズ以下とされ、
四年前、大した覚悟もない社会人一年生は、ふたつの世界のギャップに打ちのめされて、
四年前、ひとつの世界を極める強さと恐ろしさを身を持って知り、
四年前、
ただでさえアンバランスな僕だから、狭くなりたくなくて、どこの世界でも通用する人間でありたいと思い、
四年前、やりたいこととやるべきことを同時にこなすことは超視野狭窄型の僕には不可能なことも分かり、
四年前、昔働いていた薬局に拾われて、
四年前、店長が熱を持って僕を説得をしてくれて、
四年前、つながりたくて必要とされたがっていた僕の心に店長の超一般的世間論はスッと染みこんで、ニートにサヨナラをして、
四年前、悩んだ末に来春からの北海道行きを諦めて、
四年前、北海道は物理的距離以上に遠かった。
四年前、
やるべきことをやることに決めて、
ひとつずつなら何でもできるはずだから、
やりたいことは封印をして、
四年前、
どうせ東京にいるのならばと、始動したのは「会いたい人に会いに行こう」project。
死の宣告を受けなくても生きていることは僕には奇跡で。
死ぬ前に会いたい人をリストアップして、実際に会いに行く。会いたかった、とコトバにオモイを乗せる。
オモイは思うだけでも価値があるけれど、僕はやっぱり伝えなければ意味がないし、伝えずにはいられなかった。
迷惑かどうかは僕の関与するところではないし。
相手を通して過去の不誠実な自分、不器用で未熟すぎた自分と向き合う。それはそれはエネルギーのいる作業だった。
四年前からの二年間で、いつ死んでもいいくらい、人にたいして積み重ねすぎた後悔は一掃した。
四年前、自分からぶつかれば、みんな、受け入れてくれる。それは僕だからか、みんなだったからか。
ああ、四年前、四年前、四年前。甘美な響きだ、四年前。
しつこいだろうか、四年前。今しか言えない、四年前。
だって来年には五年前。
四年前、僕は希望と絶望。両手に花でした。
四年前、四年前、四年前。
まだ見ぬ君はどこで何をしていたのだろう?今度聞いてみなくちゃね。
2008年。忘れられない年。
2011年。忘れてはいけない年。
(↓2012紅白。斉藤和義。「Nuke is over」)
2012年。自分を赦せた年。
2013年。自分に恥じない生き方を。
出会った人に、出会う人に。
Julay、Julay、Julay。
昨日と同じものは書けなかったけれど、まぁまぁまぁ。
なんか、俺の知らなかったあべちゃんに会えた気がする。
返信削除ありがとう。
>「ドイツなう」なしばけん
返信削除読んでアピールに応じて、早速読んでくれてこちらこそありがとう。
「文は心」。四年前の僕も、そう言ってもらえて成仏したかと。ありがとう。
これだけ豊かに言葉紡げるってすごいことです。
削除ごつごつしてるけどピュア。
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素敵コメント、ありがとうございます。
返信削除「ごつごつしてるけどピュア」、ぐさり。
精進しますので、また遊びに来て下さい。