2018年3月31日土曜日

異なる水と向き合う暮らし

午前、ツアー。色んな仕事をする人をご案内する。自分の世界が拡がる。


午後、カフェ。自分の手で生み出したものを「おいしい」と言われる快感。

偏った能力を最大限生かす働き方。
カヌー×コーヒー。異なる水と向き合う暮らし。

身体が二つあるなら、どちらも一日やっていたいこと。
身体は一つしかないから、季節で切り替えるのは効率は悪いがバランスはとれる。
ずっと夏でも、ずっと冬でもなく。ずっと一人でも、ずっとチームプレイでもなく。
管理も指図もされず、自分で思考し、能動的に動くための訓練を毎日できるのは有り難く、貴重。

2018年3月30日金曜日

forward stroke


前へ前へ。forwardstroke。


長すぎた冬。ずっと待ち焦がれたはずだのに。
いくつになっても春との相性はよくならないのかもしれない。
この、手離す感じ。
冬に味わう自由の代償は、たとえるなら、ソロ活動で脚光を浴びたアイドルがスポットライトを一人占めする快感を味わい、以降グループ活動に意欲を見出しづらくなる、みたいな。
今回はだいぶ様相が違い、手離すことで解き放たれる、新しい方向にあるから良し。
執着せずに愛するダライ・ラマ風。
なんせ人間、手は二本しかない。手に入れたところから手放していかないと新しいモノを掴めない。キャッチ&リリース&キャッチ&リリース&‥。
これが繰り返されることで古いものは淘汰され、残るものは洗練されていく。

さよなら、いってらっしゃい、ありがとう、よろしく。


結局何だったのだろう。冬のあいだ中考え続けて分からなくて、それでも気付けばついつい考えてしまいそうになるが、きっと答えは誰にも分からず、数年後にもしかすると分かることなのだろう。

何がというと、春は毎年せわしない。急にオリンピック代表入り決まる、みたいなスピード感。それが春なのだと思うこととする。

2018年3月29日木曜日

帆立パイと北加伊道

今日もハーフ&ハーフで展開。午前ツアー、午後Cafe兼事務。
三刀流のゾロとそろそろ勝負できそう。

さて、春は甘いものを食べたくなる季節でもあるらしく。
最近、イケイケ銘菓にがっつーんとやられてます。

「六花亭」は身体にやさしい。なのに、安い。かなわない。


『帆立パイ』(左)
網走旅の途上にてその味におののいたのは、部田菓子舗の『帆立パイ』。ローカルな菓子屋であるようだ。たまたま自分の足で見つけた「おいしい!」との出会いはたまらなく嬉しい。
帆立の貝柱が中にinという奇襲。しっかり帆立は主張している。ネーミングは嘘じゃない。甘すぎない。ほんのり、しょっぱい。でも、まろい。角がない。やさしい。こういう人‥パイに、私はなりたい。
トータルバランスの絶妙っぷりたるや。いい塩梅ってのはこういうことだよなあ。
見える。感じる。夕凪ぎのサロマ湖がとろけていく。
ストックがなくなってしまったので取り寄せ交渉に入ろうと思います。

六花亭新メンバー『北加伊道』(右)120円
以下説明は六花亭サイトより引用
「つぶ餡をパイで包んで焼き上げ。膨大な日誌、逆さまの地図、北の大地の新しい名前。それらは松浦武四郎の遺産です。北海道命名百五十年記念菓として2018年3月に新登場」

尊敬し、会ったこともある松浦武四郎。
あんこ×パイ(=バター)=平和。‥というか、まあ、あんこだけでぼくはいいくらいだが。
和(あんこ)×洋(パイ)=これも平和。つまり、peacefullな商品、ってわけだ!
ごめん、「ノースマン」。六花亭のがやさしいんだわ。

番外編だが、支笏湖の「ほうじ茶つぶあん・クリームチーズ」マフィンも悪かないです。

2018年3月27日火曜日

スタッフトレーニング開始

色んな思いを抱えながら、パドルを手にしてシーズンイン。


漕げるようになれば、ここでの仕事はもっともっと楽しくなる。
陸班も水班も切磋琢磨。
「できない」時期が一番楽しい。「できない」は「できる」にいつかなるけれど、「できる」→「できない」にはならない。


ニカーッと笑わずにはいられないのが春。


夏前にいろんなものを整えて備えたい。


午後はツアーへ。
美しすぎて漕ぐことを忘れ、ひたすら水に見入る図。

2018年3月26日月曜日

春ウニ日高

ウニは夏でしょ?


(帰りがてらの御無沙汰「椿サロン」夕焼け店はふっくんとの初デート時利用。どどーん太平洋。景色代。)

積丹でしょ?

しかし、日高は春。
美しいフォルムの馬に見とれながら、旬のウニを味わう。

ネバヤン『明るい未来』と太平洋がナイスハーモニー。

2018年3月25日日曜日

春はデトックス


一気に気忙しくなってきた春。

使命感、責任感、やりがい。降ってわいた執着。なさすぎたが故に肥大した。
一人で抱えすぎていたかもしれない。渡して始めて気付くこともあるのかも。
安心している自分がいて。やりきったから手離せるんだろう。
しがみついているときには感じられない水平な心持ち。

長い冬は誰にとってもそうであり。
あの日々はなんだったのか、別に答えはない。
すとんと腑に落ちるまで、気が済むまで対話を重ねたらいいんだろう。
春の内に癒そう。
芽吹きの頃を新鮮な気持ちで迎えられるよう。
何度でも生まれ変わる自然の摂理に乗っ取っていけ。


2018年3月22日木曜日

甦ろう2018


なおさんと大塚隊長に教わって、あとは自分なりに咀嚼したケーキづくりをふっくんに伝授。
無敵の守護神への進化プロジェクト、こっそり、早くも始まってます。

武器が二つになると唯一無二になる。
できることを増やすと世界の色が変わる。

役割はめぐる。
できるようになったらいつか手放す、この世の仕組み。
本当にやりたいことをやろう。やるべきに向き合ったおかげで、視界がクリアになった。
過去を活かすかどうかはこれから次第。

2018年3月21日水曜日

シベリア鉄道と網走の白鳥由栄


長い長い長い冬を越えて、まず、ふっくんが帰ってきた。おかえりなさい。


写真は脱獄名人白鳥由栄@網走監獄。

11月から今日まで、ツアーが入れば店を閉めて出た。うまくいえないけれど、何だかやけに心苦しかった。片手間じゃないのに、と。どちらもぼくはやるなら徹底的にやりたい。
「本気のコーヒー」が「不本意なコーヒー」になるような後ろめたさがツアーの度に付きまとった。

これまでの春は店側に立って、なおきさんや大ちゃんを迎えていた。

ツアーに出るときにちゃんと店を守ってくれる人がいる。ツアーから帰るとカフェでくつろぐお客さんもいる。あれもこれも、どちらも一定水準を保った(つもり)うえでちゃんと機能している。
その光景を店側ではなくガイド側から初めて見た記念日。革命は日常の中にいくらでも潜んでいる。何でもないことのようで、すごく嬉しい。
感謝。
ただ単にずっと外にいたペーペー時代には辿りつけない境地。
単に「やりたい」だけでなく、そこに「やらねば」が上書き・乗っ取られ、しかしさらに「やりたい」が重なるとこうなるのかー!!!

午前、ナイスコンディの湖を調子よく漕ぎ、いつもよりロングツーリング。
当たり障りない話から、懐へ飛びこんでみたり。シーズン初めからあれこれ感覚を取り戻していけるのは非常に有り難い。
ぼくがその年のときはどんな話をしたかったかなあと考えながら、相槌を打つ。

一緒に目の前の景色を味わうこと。それ以上でもそれ以下でもない。水平。平和。背中が支笏をしっかり吸収していくのが手に取るように分かる。若いって素晴らしい。明るい未来に期待。

午後、休憩をしながら、昔の家族旅の思い出を語らう目の輝き。

網走話があちこちで聞けてオホーツク文化圏熱におかされているぼくには嬉しい一日。

2018年3月20日火曜日

流れ続ける思い

‥春ですよ!
ぼくの周囲では年中冬が終わらない。みんな冬は氷濤で、年中「かのあ」はぼくだけだ。
年間通して「かのあ」を考えている時間世界ランキングがあったらぼくは堂々一位だと思う。

逆に言うと「かのあ」でこの冬の間どんな物語が生まれたかを知るのはぼくと冬の助っ人たちの秘め事である。誰も知らない。互いに分からないのだからそれでちょうど良い。

皆顔を合わせれば氷濤の話をしている。何だよと言いながら氷濤の話ばかりしている。それしかない。いや、それがいいのだ。冬のために夏を生きる人も多い。どっちが大事かは自由だ。
苦しい顔ばかりしていないで好きだって素直に言やいいじゃん、と現場を退いて三冬になったぼくは冷静に思う。

自分が関わっていない現場については、話の聞き方に気を付ける。
色んなものの見方がある。どれも嘘ではないけれど、事実であることは稀。まっさらな目で物事を見ることは年を重ねるほどに難解だ。いらん感情がどうしたって足される。
冬の間中13人の男たちが顔を突き合わせる。同じことを見聞きしても、受け取り方は人それぞれ。モノの見方は天国を地獄にも天国にもできる。捉え方次第。


時間を慈しむ道具。北方民族博物館にて。

時間は、氷濤会場にも流れているし、勿論ぼくがいた場所にも、世界中共通、平等に時間は流れてきた。観客のいる・いない、多い・少ないの程度の差はあれど。

変わらない方が不自然なわけで。何にも影響を受けずに同じことを繰り返すことは困難だ。
ぼくは夏にきれいな水で遊ぶように、冬は氷‥ではなくコーヒーと対話し続けてきた。

店ができた夏、大好きなSotoCafeにサヨナラをした。
思えば「ガイドとしてのぼく」はそのときに一度殺したような気がする。
「個」としてのエゴだけだったぼくは「全体」のためをそのときに選んだ。
おかげでぼくは丘にいる時間が増え、作業効率を上げるための思考回路を得て奇しくも至極まともになった(気でいる)。

ガイドは狂ってる方がいい(と思っている)。
一度殺したガイドとしてのぼくは、まだぼくの内で息をひそめて生きているだろうか。間に合っただろうか。
何かが終わらないと何にも始められない。
どんどん手離していこう、本当に欲しいものを手にしていくために。

凍結状態のカヌーガイドとしての思考はこの春に解氷するのか。

新しい生業には、これといった正解はない。各々の感性。

こうご期待。

2018年3月18日日曜日

「当たり前」を取り戻していく時代

網走といえば‥


北海道立北方民族博物館を外すわけには行きません。
コチラはウリチ人による白樺樹皮製容器。

かのあブログバーチバークカヌーでも触れていますが、手の内の樹皮細工が高じて、手の内から飛び出して、むしろ手のひらで包むどころか身体全体包まれる大きさのカヌーをつくった稀有な方がいまして。
詳しく知りたい方はコチラ→juli/ユーリさん。

彼女、カヌー乗ったことないんです。
白樺樹皮という入口を深めていくと、たどり着いたところがカヌーだったようです。

自分で使うものを自分でつくる。知らず知らず、思いまでも編まれていくようです。
時計を巻き戻すように、自分に還っていくような行為なのかなと、白樺樹皮を編まずに妄想してみているのだけれど。
きっと、それはかつて「当たり前」だった人の営み。
「リサイクル」とか「モノを大切に」とかそんなことわざわざ言葉にしなくてもきっと、誰もが慈しみ合っていた。
時間を。手間を。労力を。人を。いつからすべては使い捨て、替えがきくようになったのか。

「当たり前」ってのは時代がつくるのか、生息環境がつくるのだろうか。

何かを見たり聞いたり体験したときに、心がどう動くか、同じような感動をしている人に出会うと、ホッとする。大事にしたいと思う。
何が悪いわけでもないけれど、行動ひとつに人柄は出る。言葉は誤魔化せる。行動で見よう。行動で表現しようと言うためにこうして毎日言葉を使うぼくは何だろう。

「当たり前」って何だろう。

北海道×バーチバーク(シラカバ樹皮)カヌー。
出会うべくして、たぐり寄せあった、そんな気がする2018春。

水は陸を分断するのではなくつないでくれている。
北への入り口は、北にある。北にしかない。
手の外に手離してしまったあれこれを手の内に取り戻していく、思い出していく時代になっていくのだろう。

2018年3月17日土曜日

「道東誘致大作戦」に参加して@流氷ガラス館2F

憧れ続けた小さな暮らしは素晴らしい。
あるのは、湖とカヌー。コーヒーとマフィン。氷濤まつり。ボードとスノーシュー。風の音。同じ顔ぶれ。
宙に浮いたいろんな人の気持ちとか。何とはなしに積み重ねてきたからこそ味わえる代物だから有り難いっちゃ有り難いのだけれどね、‥という珍妙な息苦しさがあればまた一方では貴重な同士と気遣い合ったり。「お互い様」って良い言葉。

まー、何というか、何はなくとも、長き冬を越したのだからやっぱり、遠くへ行きたくなるのが人間の性ってやつでしょう。新しい風に吹かれたい。
何だろう。この切なる願望は。知らないモノと出会いたい。驚きたい。興奮したい。ひょえーってなりたい、ってのは。
季節はもう春なのだから。春を迎えに400キロ。


2011年晩秋、松澤家のハイエース旅に便乗したとき以来の網走へ流氷目当て‥ではなく、オモシロイおじさんたちに会いに行ってきた。
能取岬(のとろ。何度も「のとり」といってしまうので自戒のため)で流氷&オオワシという最強鉄板コラボも見れて大満足。

ちなみに400キロというのは、東京から直線距離だと神戸に着いてしまうキョリである。

狂った夜。最高。
久々味わうこの感じ。待ってました。脳みそが喜んでいるのが分かる。

このイベントについては説明が非常にややこしいので、コチラをご覧ください。
道東誘致大作戦


まさか、北海道で。札幌でもない町で。ま、まさか、釧路でもなく、網走で。
山上木工@津別】のISUが並んだステージ。



左から、柳下 恭平さん 徳谷 柿次郎さん 小倉ヒラクさん 藤本 智士さん 小林 直博さん、木村さん(【ALL YOURS】店主)

東京では毎日のように繰り広げられている超刺激的なイベントが、まさか、モヨロ人を生んだ東の地で開催されるなんて。感謝、感激。時代が網走に追いついた革新的一夜。

‥ん?んん?
新宿BERGの迫川副店長は「ゆらぎが必要」と言っているが、こ、この感じはゆらぎどころではないぞ。だ、大丈夫なのか?!!
このトークイベントの終着点はどこだ。狙いは?設定すらないような気がむんむんしてきたぞ。
思えばぼくは何に期待したんだっけ?動機は。何のためにここに来たんだっけか。

とにかくめちゃくちゃ「楽しそう」だったから。そう、なんか、「すげー楽しそう!!」それでここに来た。

推察するに主催側もおじさんたちをあちこち面白いところへ案内することに一生懸命でこのトークイベントまで考える余力がなかったのかなあ、とかとか。

なんとも言えない緊張感や先の見えない展開に不安を抱えながら、
そこはおじさんたちが臨機応変に公開ダメ出しをしつつ、テンポアップして調律をとっていく。
突然の司会指名の大役を柿次郎さんがさらっとこなす。

とりあえず、場所と人とのギャップだけでまずオモシロイ。

何っていうか、何か久々味わう外的・人的刺激。楽しいぞ。こういう刺激は湖に暮らしていてもやっぱり必要だ。
素晴らしい景色に埋もれたいのと同じくらいぼくは面白い人に出会いたいという思いが強くあるようだ。

live感live感。

トークイベント後は常呂の前園風イケメン漁師さんの料理をつまみながら、気さくすぎるおじさんたちや各地の面白ローカルズと酔っ払いふれあいタイム。
この時間内に奇遇にもカヌー乗りと遭遇。しかも二人も。ニッチもいいとこ(ろ)。

発起人拓郎さんの今後の展開も楽しみ!
発起人拓郎さんeyes→道東誘致大作戦を終えて思ったこと


冬の間に著作を読んでいたら、本人に会えた。かわええ。
妖精のような雰囲気。しかし、実際のトークはきれっきれ。エッジ効きすぎやん!
ツッコみどころはしかし的確すぎて気持ち良い。
ニーズを重要視し、何のために人がここに集っているのか、集ってくれているのかを大事にしたいがための愛あるムチの嵐。偽らない人だなあ。
「良いことはとがっていると伝わりにくいから分かりやすくパッケージ」

分かりやすいのって大事だよな、やっぱり。トリッキーな言葉選び。
一気にファンになってしまった。
発酵デザイナー:小倉ヒラク氏 from 山梨。



長い冬が北国にはある。冬が半年、つまり、考える時間が沢山ある。
人と会えないとか、遠出が難しいとか、道産野菜がなくなる、とか色々あるけれど、考える時間がある。ユニークな思考だったり感性が生まれる。街は立ち止まることが許されない。
色々なものが離れているからこそ可能性を孕んでいる。
‥etc

そんなこんなで、網走川沿い(小樽運河より好き)で忘れ得ぬ夜を体感してきましたとさ。


「発酵文化人類学」(木楽舎)を手に。

出会った道内あちこちの超個性派ローカルズの皆さま方、ありがとうございます!

2018年3月12日月曜日

良き日に漕ぐ

今シーズン初のワンちゃん参加。
ツアー後のおかわりに鉄人たんたんをナンパ。


あれがこれでどうさ。会わない間を埋め合わせるにはお昼休みはちと短すぎるね。
あちこちであれこれがうごめいている。春だなあ。



カヌーも春を楽しんでいるようで、良き日に漕ぐ、稼がないために漕ぐ、これをやっぱり大事にしていきたい、と。
漕げと言われて漕ぐのは誰でもできる。漕がずにはいられない、そういうの。
麗しき支笏のお誘いを断れるぼくになる日はこないんだろう。

お金にならないカヌーが好きで、お金になるカヌーはお金にならない一瞬のカヌーのためにあって。
ここ数日、ナイスコンディション・ナイスゲストに恵まれ、何とも心健やかなカヌーガイド。
考えすぎた冬にサヨナラしてきます。

2018年3月11日日曜日

after 3.11 あれから七年


外に出る日が増えてきて、春を感じる。

今日も穏やかなナイスコンディ、canoeing。

物語の始まりは静かであればあるほど良い。
水の上に出るまでをどう使うかで、水の上が決まるように思う。

カヌーに乗りながら徐々にほどけていくお客さんたちの心がくっきりと、とても近しいところで感じられる。いや、近しいというか同じ。同じというか重ね合わせていくような。

カヌーは、「水」と「空」の境界を曖昧にするように、「自己」と「他者」の境界を曖昧にする。
かつての世界がそうであったように。分離が競争を生み、競争は破滅へ向かう。
clear water。

三月の間に、いろんなことがクリアになっていくのだろう、いや、していくのだ。

あれから何か変えられただろうか。

七年前、ぼくは口だけだった。気持ちだけだった。

一番変わったのはぼく自身で、これからもっともっと変わっていくんだろう。変わることをぼくは今までより意識的に望んでいるのだから、変わらないはずがない。
社会が変わるより先にどんどんぼくらが変わっていくのが最も手っ取り早い。




2018年3月10日土曜日

念願のカヌー


BE-PALでかつて読んだカヌー。
いつかやりたかった、夢のカヌー。

ぼくらの日常は誰かの夢かもしれないこと。
ぼくらの日常は誰かのニンジンかもしれないこと。

穏やかな春の日差しに恵まれ、ナイスな家族ツーリング。

2018年3月9日金曜日

べんベーコン注文開始

しっかりと、雨。

春と秋、季節に寄り添いながら、ベーコンの燻製をしている。
スパイスを馴染ませたら一週間ほど冷蔵庫で寝かせる。
「寝かせる」、この工程がどうやらぼくは好みであるらしいことにこの冬、気づいた。食べたい方はご一報くださいね。


市販のベーコンは怪しいものが沢山入っていて、それより何よりあまり美味しくもない。
つくる楽しさ、仕込む楽しさをどんどん取り戻していきたい。

ぼくのベーコンはスパイスだけ。肉はメルカードきむらで社長に「何仕込むんだい?」といっちょやりながら購入する。

昨日から氷濤まつりは解体作業開始。三月半ばには終了予定。

で、先日も触れたLS北見のコミュニケーションについて最も的確な解説があったのでご紹介。
カーリング娘の会話術がこんなにも深い理由

ぼくが冬の間に感銘を受けたNVC、非暴力コミュニケーションの思想を彼女たちは体現していた。
そだねー、響きは浅いが意味は深すぎる。
和。みんな同じでなくて良い、けれど、間にあるものをそれぞれに大事にしたいという気持ちはちゃんと出す。
必要だったのは相互リスペクト。
間にあるものに無関心ならチームである意味はどこにもない。

keep smile Stay positive。
マリリン、最強。

2018年3月7日水曜日

棟方志功展「わだば、ゴッホになる。」@近代美術館-3/25まで

久々札幌。美術館にて、楽しんだ。

なんだろう。この熱量は。彫らずには、描かずには、気迫たるや。

トーテムポールとかアイヌ文様とか、北の共通性に感応するのだよなあ。



とある一枚の絵についての解説に痺れたのでご紹介。

けものを狩るには弓とか鉄砲を使うけれども、花だと心で狩る。
きれいな心の世界で美を射止める仕事、そういうものをいいなあと思い、弓を持たせない、鉄砲を持たせない、心で花を狩るという構図で仕事をした。


うーむ。
心よりきれいな花はなく、花は心で狩るよりなく。
うーむ。
心は弓という権力・立場や鉄砲という金でも買えないはずで。尊いはずなのだ。
しかし、うーむ。
人の心ってのは計り知れないもんだがや。




2018年3月5日月曜日

褒め称え合う宴


我が家のアイドル・ぺろ。

先日、氷濤まつりありがとう会を千歳某所にて行った。

良いところを良いって目の前の人に素直に言えるって、素晴らしい。
キョリ感の置き方が粋なんだよなあ、このオトナたち。
色々あるよね、ない人なんていないけれど。
ぼかあ褒めるのも褒められるのも気恥ずかしくって駄目だ。つまり、書くしかできないわけで。

酒は呑んだら呑まれるし非常に疲れるのでこの頃は遠慮しているのだが。
‥ん?オレンジジュースで酔えてるっぽいぞ。
かわいいの飲んでたおかげで滅多に笑わないクールビューティーが笑ってくれた夜。
そんな夜を重ねていけたら、生きてる意味なんざ、そんなもんでいいのです。

2018年3月3日土曜日

千歳川回送・カヌー発掘・カフェ・事務作業


季節によって働き方が変わる。割合を変えていく。
三月。忙しいってほどではないけれど、外に出る機会が増えていく。店:外=6:4ってところかなあ。
外に出ることが増えると、冬の間大事にしてきたことが億劫になり、手元から離れていくように感じる。
それによって悲しかったり苛立ったり様々のバランスを取り乱してきたけれど、今回は爽快。冬が始まるところから満ちていた。
春は一番相性の悪い季節だけれど、今年は良い風が吹いている気がする。

季節柄、頭が働く。夏になったら手遅れだから、夏が来る前にどれだけイメージをつくれるか。
ぼくはどうなりたいか。何が欲しいか。言い訳にできる要因が多すぎた。
「~すべき」はぜんぶ一回投げて、自分のことをしっかり考えて動くことにする。

「ツアーはツアー前から始まっている」と矢吹全氏はよく言っていた。

夏は春から既に始まっているわけだ。

2018年3月2日金曜日

水分増し除雪

午前中いっぱい、今日も除雪。
水分量次第で雪は極上にも最悪にもなる。

ああ、今手元に『雪板』があったならそのへんの丘で楽しめるのに‥

カーリングが面白くて、とりあえず、一投してみたいと目論んでいるがブームっぽいのに乗る風な軽い輩にはなりたくないので一年我慢をしよう。




初めて最初から最後までの展開を見た韓国戦。
ロコ・ソラーレ(太陽の常呂っ子ということらしい)彼女たちはいつでも前向きで肯定的。落ちこんでしまいそうな状況でも唄うように言葉がとにかく軽い。笑ってもいる。相手にはさぞかし不気味だったんじゃない?とは、ほーりー。
限られた時間。どうする?どうする。共感と質問・回答、相談、判断、意思決定、実行。
脳みその使い方。身体の使い方。仲間とのやりとり。マルチな能力が必要。

カヌーもそうだけれど、漕いでる人は皆知り合い、遠くても一人介せば知り合い。世界は狭く、おかげで深い。
ライバルは大概幼馴染だったり肉親関係だったりする、マイノリティスポーツ。

‥ああ、これだったのだ。
ひとりだけれど、ひとりじゃない。

密なコミュニケーション。誰も誰からも責められずに、各人良いパフォーマンスをすることが、チームに伝わって回っていく。
チームだけれど、個人。個人だけれど、チーム。頼るでもなく甘えるでもなく、自立したうえで寄り添う、高め合う。馴れ合いは不要。責任感は愚痴を封じる。
ぼくが考える究極の集合体。

店ができた年、誰に何を指図されたでもないが、これまでのこととか配役・現状を見てガイドとして一歩引くようになった。たっちゃんが南ちゃんになった。
南ちゃんは状況次第でたっちゃんにもなった。
しかし、なかなか気持ちが追いつかない。そりゃそうだ。スコアつけてた人が急にマウンドで三振取りにいき、次の瞬間には自らのスコアをつけている。
そんなことをしようと試みる人もしたい人もできる人もやりたい人も、そういない。

この二年、同世代の仲間が増えた。ぼくらは期待した。
「みんな、社長」みたいにして対等に渡り合えるプロ集団、すごい必殺技を一人ずつが持ったヒーロー戦隊を、ぼくはつくりたかった。
個人としてガイドとしてどうありたいかより、全体として辿りつきたい理想の方があり、知らず知らずそこを目指していたようで、しかし、自分のそういった思いに気づくことすらできなかったようで、
そんなことでは夢は実現するはずもなく、しかし、それを見事に彼女たちは体現してくれていた。
信頼関係に裏打ちされた密なコミュニケーションによるパフォーマンスに心打たれまくって、場外ホーームラン!!

今年は南ちゃんを卒業する気むんむんなので、165キロのストレート投げられるかな。
結局、やりたいことやった者勝ちだね。

2018年3月1日木曜日

除雪除雪除雪除雪


はて、湿り気のある雪が一日中振り続けました。
あっちこっちひたすら除雪。
久しぶりのボードで痛めつけた身体はさらなる負荷を与えられ悲鳴どころではありませんが、春。鈍った体に喝ということで。