2013年5月14日火曜日

かのあ宴からの千歳0円ハウス2.3


昨夜。
今シーズンもよろしくお願いしまーす!



何でも作っちゃうnaoさんの誕生日。おめでとーう!



ガイドに大切なことは‥?
店内はちと寒かったけれど、相変わらずな皆さま。はい、暑苦しイイ夜でした。


延長戦は言わずと知れた「千歳0円ハウス」にて。



宴の締めにnaokiさんが今シーズンの抱負timeを設けました。
終着点のないちんぷんかんぷん話をぐだぐだと続ける僕には、皆さまクレームの嵐。
え?さくっとまとめろ?空気、読めません、無理難題。ま、いつものことですね。



僕は、「半年経っても(何年経っても)尾を引く余韻」をつくりたいです。
どこにいて何をしていても、目をつぶれば、一瞬で帰ることのできる、見えないけれど、確かな時間。


時間 それは空気感 時間 それは居場所 懐かしい色 匂い 実感 それがhome すべて 目の前の笑顔



ひとりではつくることができないから、そそられるのでしょうね。

お客様と一緒に、たった三時間で、どこまでいけるだろう。

これは僕のエゴ。どこまでもいく必要のないときも勿論あることも承知しております。



「三」時間を、「やさしい」時間へとつなげられたなら。
目の前の世界を丁寧にやさしく愛せたなら。

それが遠くの見知らぬ誰かの幸せにもつながっているんでしょ?なんて、都合のよい解釈をしているわけです。


‥これらは夏限定の話ではなく、生きる上で追求し続けていたい個人的課題でもあります。
表裏一体切り替えスイッチ不要生活を送れているようです。


2013年5月12日日曜日

Where has the spring gone?

和訳をすると、「春は、どこさいっただ?」ですね。


お客様と湖上で春を探しながら、今日も工藤氏と共にSoto Cafe一日開店。
お子様用のココアも用意しております。


僕はドコデモナイココにいますが、ココデハナイドコカの風を毎日感じています。
日本の北・支笏は今日も10℃くらいでしたが、日本の南はすでに24℃だとか。どっひゃあ。
24℃は、支笏の夏ですよ。
一ヶ月どころではすまない季節のズレをパスポートなしで体感できるなんて、この狭っちい国はなかなかどうして面白い。自民党は全くもって面白くありませんが。ああ、そろそろ選挙ですね。


片づけを終え事務所に戻ると、naoさんが「きなこ棒」をつくっていました。驚くなかれ、なんときなこから作っているのです。
naoさんは、食の自給人です。



最近のずきゅん文章。
★冨田貴史さん的「自給」★
自給=田畑を耕すこと、と限定的に捉えて「私にはできない」というブレーキをかけてしまう。そんな雰囲気が潜在的に蔓延しているように感じました。
しかし本当に「自給=田畑を耕すこと」なのでしょうか。私たちは田畑の産物のみで生きているわけではありません。味噌や醤油のような加工品。それらを流通させるマーケット。それらの価値を伝えるメディア、教育。それらもすべて、自給することができます。

‥何か一つでも自給を始めてみる、という行為そのものが、精神的な自立、そこから派生する安心感、自信、自立心、自分で考える心を育み、高めることにつながります。

(「冨貴月報」平成二十五年、睦月版より)

2013年5月11日土曜日

rising and falling


あたたかい日と、寒い日とが代わる代わる訪れています。今日は寒い日でした。

天気に心も体もリンクしてしまう、太陽任せの人間には、なかなかしんどい時期であります。



上がったり下がったりしながら、少しずつ少しずつ、安定していくのです。

人間だとしたら「春」は、二十代ですかね。

途中から雨もポツポツと。


 あら、仲良しカヌー発見。


どんな話をしているのでしょうか。静かな湖畔に笑い声が響き渡っていました。



昨日はクマゲラを見て、今日はオオルリを三回見ました。
マットな質感なのですね。いやはや、美しかった。


あれから二ケ月。
毎月11日に、「あ、今日で○ヶ月か。」と心の内でつぶやくことが日常になっています。





★モンパチフェス、やばすぎです。。
http://www.www800.asia/2013/news/artist-1/

『まちゅ★ぴちゅ』が呼び寄せた、アリュートの風@千歳0円ハウス

 長野県佐久市のつながり自然農園に送った、おひねり制月刊紙『まちゅ★ぴちゅ』第4号。

読んでくれていたのは、農園主のあきらくんだけではなかったようです。
さすが、名前負けしていないなあ。「つながり自然農園」。

新聞の左端に書いた『北海道へお越しの際はご一報。0円ハウスオープン!』。

不親切な文句に食いついたのは、酔狂なバイク乗り。



僕は彼がどんな人か昨夜まで知らなかったし、彼も僕のことを知らない。

ヒトとヒトは、四の五の言わずに、電話もメールも適当でいいから、とにかく、ただ顔を突き合わせればいい。
顔が見えないと、ヒトは簡単にヒトを見失う。
ヒトは僕らが思っている以上に単純な生き物だから。


いつから友だちだとか、何回遊んだとか、初めましての挨拶とか、どうでもいい。
面倒くさいことは全部すっ飛ばして、ジンギスカンでもつまみながら、たった一瞬、最高のときを過ごしたいだけ。

お互いの世界地図を、見せ合いっこしよう夜。


笑いながら生きるために必要なものは、本当に少ない。少ないからこそ、手にすることは難しいということでもありますが。





‥アリュート、アレウト、ウナンガン、アラスカ鉄道、トーテムポール、バイダルカ、小樽、新井場さん、松原さん、新谷暁生さん、ジュノー、フェアバンクス、クイーンシャーロット島、ワタリガラス、「Into the Wild」、ムース、星野道夫、ウナラスカ、カムチャッカ、利尻、キスカ、ベーリング海、トリンギット、クリンギット、ユピク、イヌイット、アイヌ、インディアン、グリーンランディア、インディアン、マッキンリー、デナリ、植村直己さん、オーロラ、犬ぞり、北海道、ヒグマ、知床、コンブ漁、四国、高知、瀬戸内海、坂口恭平、長野、四万十、パタゴニア、日本一の山girl、七尾旅人、フェリー、0円ハウス、十和田、47都道府県、根、現実、旅、オアフ‥


初めてかもしれない。
―カヌーという言葉と共に抱き続けていた憧れの場所のことを言葉としてしっかりと体内から放出したのは。
―言葉が通じるだけでなくむしろ、教えてもらえたのは。

現実としてそれらの世界を知る彼の言葉が、僕を本の世界から引っ張り出していく。


言葉は、恐ろしい。
口にした途端、口にされた途端、一気に現実味を帯びていく。まるで、魔法。呪力?
僕は長いものには巻かれないけれど、言葉には逆らえないのだ。

「いつか」が、そう遠くないところまで来ているようだ。


旅の虫を鎮めるのが昨夜は大変だったけれど、今朝、支笏湖に向かいながら思った。

「ココデハナイドコカ」と「ドコデモナイココ」。ふたつは、ひとつでは?

「ココデハナイドコカ」を日常として生きている彼が今向かおうとしているのは、多分、「ドコデモナイココ」。

あちこちで世界を一瞬で作りあげてきた彼が、一つの世界をつくるならば、一点にエネルギーを注ぎ込んだならば、それはそれは馬鹿みたいに面白い世界にしかならないでしょう。



こういう種類の刺激を受けたのは、何だかとても久しぶりな気がします。心地よい敗北感。


まだまだ世界には、名もなき馬鹿が、愛すべき馬鹿がうじゃうじゃいる。そう思うだけで、中途半端な根無し草の心はふっと軽くなるのです。

ふっと軽くなるのは「安心感」。それを上回る厄介なヤツが「焦燥感」。
何に焦っているのかって、まだ見ぬ世界が多すぎること、自分の(定規の)小ささに、です。

メーターを振り切りたいと願い続けている自分の心をまざまざと見せつけられてしまった。

旅の虫を鎮めるのに難儀しそうです。

問題は沢山あれど、この世界はなんて素晴らしいのだろう。


誰かにすごいと思われるより、すごいと思える誰かといたい。


↑ドコデモナイココ―SHIKOTSU。

2013年5月10日金曜日

湖上の木の椅子

昨日のかのあブログ東西にて、美しすぎる支笏写真満載です。



変わり続けるけれど、変わらないものもあります。

てやんday一年目のトップ画。やっぱり、ここ、好きです。

初めてここに来た時も、快晴ベタ凪でした。


野田知佑さんは、「水の上にしか自由がない」と言ったそうですが(工藤氏より)、
僕は思います。「水の上になら、自由がある。」

360度絶景の中、道のない未知をどこへどう漕ぎ出すか。すべては自らの手の内にあります。
ワクワクしないわけがありません。

どこで沈するも自由。そんなんあり?

湖畔を離れ、舳先を沖へ向ける恐怖は快感の味の素。

水を捉えながら、生きている確かな実感をも同時に掴むのです。
それがpaddling、漕ぐ、ということかもしれません。

ありえない景色の中に自分がお邪魔させてもらえていること。畏れ多くも死ぬほど嬉しく思います。


地球に返すものを持ち合わせていない僕には、ただただ「ありがとう」しかありません。

僕にできることといえば、分け合うこと。やりたいこともやるべきことも、分け合うことです。
この素晴らしい世界に畏敬の念を払いつつ、ひと夏をドコデモナイココ・支笏で、お客様と共有し尽くしたいです。

ガイド業には、僕の個人的なやりたいことが詰まっているようです。
分け合うこと、つながること、浮かぶこと‥

2013年5月9日木曜日

2013年5月8日水曜日

擬音語ガイドと春

ついに気温が10℃超え。あったかい!


 思い先行型の僕は、話をするときに擬音語を多用しているらしいことが判明。


どかっと。つるっと。ぴたっと。どどどん。ぐーっと。


‥「ぴたっと」? どういう意味ですか???

‥‥うーん、「ぴたっと」とは、つまり、えーと、「鏡のように穏やかな湖面」のことで。

擬音語ってすごい。

響きはあほっぽいけれど、たった何文字かにいくつものイメージが入り交ざり、それを多くの人が共通認識としている。

擬音語、即ち、「能ある鷹は爪を隠す」ではないですか。


Soto Cafe中に、春の香りをおすそ分け。




★本州で春からの逃亡を企てた僕を各地で出迎えたのは、満開のサクラでした。
どこに行っても、嫌というほど満開のサクラにぶつかりました。サクラから、春から逃げることは不可能であることを知りました。
今年の春以上に“春”を堪能することはこの先ないだろうと思うくらい、お腹いっぱいで冬の北国に入りました。

でも、それでも‥
ここ支笏で、僕は今、草木躍る春を・満開のサクラを、今か今かと待ちわびているのです。

もう飽きたはずの春を、そわそわと待っているのです。


春って何なのでしょう。

きっと、春だけだったら愛せない。
春の上に夏が勢いよく重なって、夏を塗り替える秋が吹いて、すべてを一掃する冬があるから、春が輝く。

僕がいるから君やみんながいるのではなく、君やみんながいるから、僕がいる。
季節も、ヒトと同じ関係性なのかもしれませんね。