遠くの友におめでとうと伝えた。いくつになっても愛しているよと、嘘みたいな言葉をしれーっと贈ってしまうぼくは日本人失格だろうが、適当にあしらうその人もあっぱれである。
近くのcute極まりないちびっこも確か誕生日だった気がしておめでとうと伝えたら、いやはや、誕生日は今日ではなかったらしい。
‥誕生日間違えるとかありえなくなくなくなくない?
大失態の涙を木綿のハンカチーフで拭ったなら、今日もぼくはカヌーを漕がなければならない。
相変わらずウグイがすごい。水の上はどんど寂しくなっていくけれど、水の中は賑やかだ。
この時期にこれだけの数が見られるなんて。
雪虫、ウグイ、今年はあれこれ大量だ。
みんな、やさしい顔を持っている。集合時点では隠している。水の上だとすぐにほぐれていく。
まだここにいさせて。言葉にせずとも伝わる気持ちを断ち切るときの申し訳なさったら。
あっちでは【そもくや】でカヌーライフに衝撃を受けたらしいおにーちゃん。
さらにあっちでは、ふぃんふぃん。川の中は今日もぼくらだけでした。
ツアーの合間には去年一緒に遊び回ったカヌー乗りが風のように現れた。‥寂しかったではないですか!
また一緒に漕げる日を楽しみに。
午後からはクレイジーイングリッシュで[体験ツーリング]。
言葉は使うためにある。伝えるためにある。
使えば使うほど、今まで説明することを諦めていたことも伝えられるようになっていく。
So,美人に国境はない。
Have a nice trip!
PS‥
形とか建前とかオンとかオフとか仕事と暮らしの境界とか、制限をかけたり解放させたりが、まるでないようで全くなくはないらしく、それは勿論雇われの身であれば半ば当たり前ではあり、まま、そういった形の中では異例といってもいいくらい自分のペースで何でもかんでもほぼ自由に思うがままにやらせてもらっているわけで、形はどうでも、120%の自分かといわれると120ではないわけでありまして。
引き所というか、まあ大人しくしといた方が良かれなときには大人しくもするわけで。
立場や建前、形、当たり前とされる常識を飲み込むとき、のどに何かが引っ掛かるのです。
馴染ませたくない身のこなし方が染み込んでいるのだなあ、と。
なんだか、春からのぎこちなさの答えが今日、すーっと見えた気がしたのです。
白い冬が来る前に、
凝り固まったあれこれをぶち壊しに、あれこれを再確認しに、久々、生まれ育ったコンクリートロードを唄いに行きます。
Get back 何でもない、たったひとりのぼく。
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