朝。観光船のおにーさんが奇声を上げながら浮桟橋を安全な川の中へ動かしているのを横目に眺めながら、カヌー出し。
人数分のカヌー、パドル、イス、テーブルを何にも考えずに、…いや、ただ数を間違えないようにだけは気を使いながら行う。
このときばかりは多分、のっぺらぼう。
雑談相手がいなくなって久しい。鼻唄対決もしばらくできないと思うと悲しい。
いやはや、荒れるのか。
中央ボートのおにーさんもいつもより入念にスワンを引き上げた。
店番長、どるふぃん。現場、ぼく。尻別川出張、なおきさん。
風はこわい。
寒い時期の風は、女の人よりこわい。
女の人は夏の風よりこわい。
ぼくらは風に挑んでも無駄。敵うはずがない。ただ、窺うのみ。振り回されるより他になし。向き合う際の心労たるや凄まじい。
風と女の人は同一人物であるのかもしれない。
自分で判断をしてツアーを行うか否か決める。正解はないし、誰も教えてはくれない。お客さんは何も分からない。稼ぎも大事だが、安全第一。
今までの引き出しと、己の肌感覚が頼り。予報は盲目的には信じない。どれもこれも、しかし、完全には信頼しないのが肝。
「過信」はゴミステーションへ投げるが正解。曜日指定は特にない。
「もしかしたら…」の余白を常に残しておく。
安全だと判断した川の中でも一瞬の突風でカヌーがこけることもなくはない。
「もしかしたら」が、吹くかもしれない。
風のこわさ、吹いたときの対処法を伝える。
どのツアーにもリスクは潜んでいる。
緊張させるならやらなければいいのか。賛否両論あるだろう。
危険との付き合い方を知る機会は今のご時世ではあまりない。
勿論、度を過ぎた無理も無茶もしないけれど、
自分の身を守る、身を引き締めるという体験は貴重であり、想像力の欠如があらゆる問題の根っこにある気がしてならない今、非常に大事なことではないかと個人的には思う。
そんなわけで、今日も平和に笑顔で、またね。
何にも起きないことが当たり前、何か起きたら騒がしくなる。
危険は見えない。放射線も、好意も、憲法も。命にかかわることは、全部、形を持たずににじり寄る。
命にかかわることは、全部、感じるより他にない。
つまり、感じたことだけが真実となる。
ぼくはこの人にモンパチを聴かされたせいで、ここにいる。
しばらく会っていないけれど、かっこよすぎやん。
スポットライトを浴びていないと呼吸のできない生き物もある。
【βブログ】
photo by レスリー・キーさん
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