去年の今日、ここで紹介した言葉が相変わらずがつんと響くので再び引用。
瀬戸内寂聴さん曰く、
きょうがもう最後だと思って、きょう食べたいものを食べて、飲みたいものを飲んで、会いたい人に会って、そして読みたい本を読んでください。
台風も地震も、そして戦争だって、あしたにも始まっちゃうかもしれない、変な時代です。
そんな不安な時代に本なんか読んでいられるかと思うかもしれませんが、不安な時代だから、明日がないから、きょうは本物の本を読みたいんです。
『図書』(岩波書店)2014年1月号内、「これまでの100年、これからの100年」講演より
四年前、ぼくは東京にいた。カブを入手したり、二度目の北上準備をしている頃だった。
確かだと信じきっていた地面か揺れに揺れて、悲しみや痛みが各地で量産される中、カヌーなんかやりに行く場合ではない、どこかもよく分からない支笏湖入りを止めよう、と思った。
地面も原発もぼくも、みんながみんな、ぐわんぐわんだった。
過程に何が起ころうが考えようが、結果として、
誰かの力になれる他にない機会をまるごと捨てて、こうしてぼくは、今も、ここにいる。
3.11。
漏れ続ける放射能と、生命の尊さを唄えなくなったうそつき国家。
何年経とうと変わらない、ぼくの業。
正しさとは何だろう。
ぼくはカヌーが嫌いではないけれど、何というか、非常に憎たらしい。いや、こうなったら嫌いなのかもしれない。
カヌーに載せるのが、コーヒーセットだけならどんなにか素晴らしいことだろう。
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