今日は仙台名物?のインドカレーを食べ、
夕方から松島付近や、仙台市荒浜などなど、
友人たちがボランティア活動を続けた場所を案内してもらった。
3月、マチュピチュよりもパタゴニアよりアラスカよりもどこよりも行きたかった場所は仙台です。
3.11の影響で当時僕が働いていた職場はてんやわんやの大忙し。都内は愚かにも買い占め騒動真っ盛り。人手がいつも以上に必要な状況だった。
近くの人も助けられずに遠くの人を助けに行く?
そこを振り払ってボランティアに行くのは見当違いだと判断を下した。
お金はなくても時間と身体とフットワークの軽さはあった。動けば楽になったであろう、フラストレーションに悶えながら僕は普段の何万倍も仕事に打ち込んだ。この仕事も仙台に、東北につながっていると感じられたから。オレが今やるべきことはコレだと決めた。
そんなこんなを引きずりながら、被害を受けた大洗港や仙台港をパスし、
予定外の新潟港から東北を通過しアンニュイモード全開で北海道に向かった。
「フェリーがどこにも行き着かなければいいのに」、本気で思っていた。
‥苫小牧港でnaoki氏に「おかえり」と言われるまではね。
話がそれました。
僕は3.11以前の被災地付近の景色を知らない。
「昔からこうだった」と言われたら「そうなんだ。やけにすっきりしてるね」で納得して終わるだろう。
仙台で育った友人たちの現実話を聞きながら一緒に仙台を見て回る。
重みが、説得力がちがう。
泣きたくなるが、泣いたところで何も変わらないからこの眼に焼き付ける。
ニュースで見知った地名はここか。これが屋上からヘリ救出していた校舎か。曲がったままの電信柱。ぼこぼこの歩道も日常だ。
ピンポイントで被害の大小がちがう。
ここは真っ暗でもあそこは明るかったり。
誰を、何を、恨めばいいんだろう。
無駄に「すごい」を繰り返す。
あれから9ヶ月が経とうとしている。
僕はやっと現実に触れることができた。
仙台の友人たちは、東京で悶える僕に優しいコトバをかけてくれた。自分が大変な状況なのに、まわりを気遣える彼らのあったかさに完敗、‥乾杯。
僕はもらったものを無駄にするアホにはなりたくない。
「被災地に行くと疲れる」眠気眼の友人がぼそっとつぶやいたコトバにはゴミ売り新聞やらより何よりの重みがある。
ありがとう。
目に焼き付けた、その事実だけを周りに伝えて下さい!町が復活するには、まだまだ相当な時間がかかると思います。
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